安倍首相の訪米で従軍慰安婦問題がクローズアップされている。
3月1日、安倍首相の「(旧日本軍による)強制性については、それを裏付けるものがなかったのは事実」との発言が火をつけた。さらに、93年の河野談話を継承すると言いながら、軍の強制連行を意味する「狭義」の強制は否定したりした。
しかし、「広義」と「狭義」に分けようが、従軍慰安婦という存在があったのは事実だ。軍が直接関与したのかどうかといった、いわゆる「狭義」の強制連行について、問われているのではない。
戦争という時代をつくり、従軍慰安婦といわれる女性らが人権を傷つけられた。そこに多くの被害者を出しているという事実を直視しなければならない。政治家はその時代に対して責任をとらなければならないと思う。
先日、教科書検定で、沖縄戦での県民の集団自決についても軍が直接関与したかどうかで揺れた。これも、自決した被害者がいるにもかかわらず、ここでも「狭義」の解釈にこだわっているようだ。
最近、自分の主張を強く述べる一方、相手の立場や気持ちを考慮しない風潮が強くなっているのではないだろうか。特に被害を受けた人たちの心の傷について、「鈍感」になってはいないか。
「鈍感力」という言葉が一時はやったが、特に政治の分野では「鈍感」であってはならない。
3月1日、安倍首相の「(旧日本軍による)強制性については、それを裏付けるものがなかったのは事実」との発言が火をつけた。さらに、93年の河野談話を継承すると言いながら、軍の強制連行を意味する「狭義」の強制は否定したりした。
しかし、「広義」と「狭義」に分けようが、従軍慰安婦という存在があったのは事実だ。軍が直接関与したのかどうかといった、いわゆる「狭義」の強制連行について、問われているのではない。
戦争という時代をつくり、従軍慰安婦といわれる女性らが人権を傷つけられた。そこに多くの被害者を出しているという事実を直視しなければならない。政治家はその時代に対して責任をとらなければならないと思う。
先日、教科書検定で、沖縄戦での県民の集団自決についても軍が直接関与したかどうかで揺れた。これも、自決した被害者がいるにもかかわらず、ここでも「狭義」の解釈にこだわっているようだ。
最近、自分の主張を強く述べる一方、相手の立場や気持ちを考慮しない風潮が強くなっているのではないだろうか。特に被害を受けた人たちの心の傷について、「鈍感」になってはいないか。
「鈍感力」という言葉が一時はやったが、特に政治の分野では「鈍感」であってはならない。