高木陽介「奔馳不息(ほんちふそく)」

衆議院議員 高木陽介のブログ

従軍慰安婦問題と「鈍感力」

2007-04-30 21:03:13 | 永田町からのEメール
安倍首相の訪米で従軍慰安婦問題がクローズアップされている。
3月1日、安倍首相の「(旧日本軍による)強制性については、それを裏付けるものがなかったのは事実」との発言が火をつけた。さらに、93年の河野談話を継承すると言いながら、軍の強制連行を意味する「狭義」の強制は否定したりした。
 しかし、「広義」と「狭義」に分けようが、従軍慰安婦という存在があったのは事実だ。軍が直接関与したのかどうかといった、いわゆる「狭義」の強制連行について、問われているのではない。
 戦争という時代をつくり、従軍慰安婦といわれる女性らが人権を傷つけられた。そこに多くの被害者を出しているという事実を直視しなければならない。政治家はその時代に対して責任をとらなければならないと思う。
 先日、教科書検定で、沖縄戦での県民の集団自決についても軍が直接関与したかどうかで揺れた。これも、自決した被害者がいるにもかかわらず、ここでも「狭義」の解釈にこだわっているようだ。
 最近、自分の主張を強く述べる一方、相手の立場や気持ちを考慮しない風潮が強くなっているのではないだろうか。特に被害を受けた人たちの心の傷について、「鈍感」になってはいないか。
 「鈍感力」という言葉が一時はやったが、特に政治の分野では「鈍感」であってはならない。

テロップを変えた日本テレビ

2007-04-16 22:45:49 | 活動徒然
 「公務員制度改革なんですけれども、与党公明党の抵抗が強まっています」。4日の昼過ぎ、日本テレビ系「おもいっきりテレビ」のニュースコーナーで、キャスターの声が流れた。画面にも「『公務員制度改革』で公明党が抵抗」の文字。
 ちょっと待ってくれ。いつ公明党が〝抵抗勢力〟になったんだ!?
 統一地方選の投票日の直前、私は新潟県議選の応援で、新潟市内を車で移動中だった。党広報局のスタッフから携帯電話に連絡が入った。前述のニュースが放送され、その後、党本部に抗議の電話が殺到していると。
 ニュースの内容は、前日に行われた「公務員制度改革」の政府与党協議会の議事録を日本テレビが入手。それによると、省庁ごとの天下り斡旋を禁止して「新人材バンク」で一元管理する政府の方針について、公明党出席者が「公務員に特権を与えるというマスコミの論調が見受けられる」「参院選にマイナスになりかねない」と慎重な姿勢を強調。また、渡辺行革担当大臣の政治手法を痛烈に批判していると報道した。
 私は日テレの公明担当記者に電話したが、報道内容を知らなかった。そこで、日本テレビの政治部長に電話で抗議。
 部長は「こちらは事実に基づいて報道している。論評は加えていない」という。公明党の出席者の発言は事実だが、なぜ〝抵抗〟となるのか。公明党が〝抵抗〟しているというのは論評ではないのか。
 さらに「公明担当の記者はこの問題を知らないと言っている」と私。部長は「彼の他にも記者はいる」と開き直る。「しかし、当事者たる公明党出席者に取材してないではないか」と私は反論したが、明確な回答はなかった。
 2日付の朝日新聞社説は「新人材バンクが天下りの温床に過ぎず、役所が退職後の面倒まで見るようなことは止めるべき」と書いた。つまり政府丸抱えの天下りの斡旋との指摘だ。新人材バンクを前提にこのような批判に耐えられるものにしようとの主張が〝抵抗〟なのか。
 そもそも、主語が誰なのか。官邸の誰かが公明党が抵抗していると思っているのか。日本テレビがそう見ているのか。当事者に取材しないで報道する姿勢。私が記者時代には、そんなあいまいさは許されなかった。
 ちなみに夕方のニュースは「公明党から慎重論噴出」とテロップが変った。「事実に基づいている」と強弁するなら、テロップは変えなくていいはずだが……。

朝6時過ぎ。JR八王子駅頭

2007-04-04 19:04:44 | 永田町からのEメール
 朝6時過ぎ。JR八王子駅頭に立ち、あいさつしていた。
 通勤途中の壮年の支持者が歩み寄ってきて、私の手をギュッと握りしめた。「申し訳なかった」とつぶやいた。目には涙が浮んでいる。
 「ありがとうございました。次は必ず―」。私も声が詰まってしまった。
 定数1の小選挙区制が導入され初めての衆院選。11年前の秋だった。
 2期目に挑戦の私は東京・八王子市を選挙区とする東京24区から出馬した。新人の時は中選挙区制で、八王子市内で獲得した票は3万4962票だった。無名の新人を支持者の皆さんが押し上げていただいた。
 初めての小選挙区の戦いは激しかった。相手陣営はネガティブ・キャンペーンを張り、宣伝カーで「この街を創価市にしてはいけません」と連呼していた。
 それでも支持者の皆さんは、必死になって票を拡大。前回より倍近い6万4730票だったが、一歩及ばず落選した。
 開票結果が出て、自宅に戻ったのが午前2時。次の戦いはスタートしていると自らに言い聞かせ、早朝の駅に立った。
 落選―。自分にとっても辛い3年8ヶ月の浪人時代だった。だが、何よりも辛く、悲しかったのは、支持者の必死の戦いが、無になってしまったことだ。
統一選前半戦の真っただ中。私たち議員、そして候補者は、支持者に悔し涙を流させてはならない。そのためにも一瞬一瞬が勝負。どんなに逆境でも勝ち抜いていきたい。

入社式に思う・・・。

2007-04-02 23:49:24 | 活動徒然
 桜と共に、新入社員を迎える季節になった。今日、2日が入社式だった企業も多いと思う。
 読者の中にも「今年の新人はどんな奴がいるか」と、品定めをしているベテラン・サラリーマンもいるだろう。
 私も22年前、毎日新聞社の入社式に参加した。「毎日」は面白い会社で、当時の入社試験の資格は、「学歴不問」だった。同期には大学の成績が「2単位」しかなく、中退して入社した猛者もいた。
 かくいう私もマスコミを目指し、2度の就職試験に落ちた。就職浪人を経て、入社したのは25歳だった。浪人時代は今でいうフリーター。運送会社、塾講師、プールの監視員、植木屋…など様々な職種を経験した。
 バブル崩壊後から就職状況が悪化し、正規社員になれなかった若者が多い。ニート・フリーターと呼ばれ不安を抱いている人もいるかもしれない。
私も浪人時代、同級生が社会人としてバリバリ仕事をしている時、「俺はこのままで大丈夫だろうか」と不安を抱いたこともあった。
 だが、正規社員になっていないからといって、あきらめてはいけない。若い世代はまだ可能性があるはずだ(私たち40歳代もまだ可能性があると信じるが…)。さらに、政治の責任として、若者の就職環境を好転させることに力を入れていきたい。
 一方、晴れて社会人になった人も、期待と不安が交錯していると思うが、失敗を恐れずにチャレンジしてほしい。私も記者一年生の時は失敗ばかりだった。
地方支局からのスタートのため、記事だけでなく、写真も自分で撮らなくてはならなかった。当時はフィルム式のカメラ。ある時、フィルムを確実にセットせず空回りしているのを知らないで、シャッターを切った。暗室で現像をしてみると何も写っていない。「あちゃー」。頭の中は真っ白に。(そんな新人を温かく育ててくれた先輩たちに今でも感謝している)
 ともかく、新入社員の皆さんには、多くの失敗を乗り越え、それぞれの企業の将来を担うとの気概で頑張ってもらいたい。
 国会は選挙の時しか新人が入ってこないが、国民の代表としては「一年生なので失敗しました」と言いわけはできない。与野党合わせて101人の衆院一年生。入社してもう2年近く。〝一人前〟になっただろうか。