高木陽介「奔馳不息(ほんちふそく)」

衆議院議員 高木陽介のブログ

民主党が「暴走」している。

2010-01-26 16:19:50 | 活動徒然
 民主党が〝暴走〟している。
 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体の土地購入を巡る事件で15日、衆院議員・石川知裕容疑者ら3人
が逮捕されてからだ。
 まず、鳩山首相が小沢氏に「どうぞ闘ってください」と語った。行政のトップとして、その一機関である検察と「闘う」というのは不見識と批判を浴びた。すると「(小沢氏の)幹事長続投を認めた意味で申し上げた」と釈明。ところが、21日の会見で鳩山首相は石川容疑者について「起訴されないことを望む」と発言。取り調べをしている検事は、首相の発言にどう思ったか。これまでも数々の〝迷走〟発言をしてきた鳩山首相。今回は「反検察」の本音が出てしまったのか。だが、その発言も翌日の予算委員会で撤回した。
 次に民主党は「捜査情報の漏えい問題対策チーム」を立ち上げた。責任者を務める小川敏夫参院議員は「検察からマスコミへの捜査情報が漏れているのは明らか」と述べたという。検察の「リーク」の根拠は何か。自分たちに不都合なことを「リーク」というのだろうか。新聞記事は様々な取材情報を積み上げて紙面化される。「情報操作」された紙面を作ったメディアは信頼を失ってしまう。記者を経験した私の実感だ。
 さらに石川容疑者の当選同期の議員らが「石川代議士の逮捕を考える会」をつくった。同会は石川容疑者逮捕を「不当だ」と訴えている。だが、逮捕状請求をしたのは検察だが、それを認めたのは裁判官ということを認識しているのだろうか。
 極めつけは原口総務相の発言。「関係者によると」とした報道について、「何の関係者か分からない。そこを明確にしなければ、電波という公共のものを使ってやるには不適だ」と述べた。
 これに対して各メディアは一斉に反発した。毎日の社説(22日)では「『監視される』側の権力の中枢が、監視する役割を担うメディアに、事細かく注文を出すような発言はいかがなものだろうか」と批判。
 与党だった時の自民党がこのような動きをしたら、民主党は「言論統制だ」と大合唱をしたのではないだろうか。
 公明党の坂口力副代表(元厚労相)が、一連の民主党の動きにこうつぶやいた。「権力慣れしてないんだ」
 民主党に求められているのは検察・メディア批判ではない。党をあげて一連の事件の真相を究明するチームを立ち上げ、「政治不信」を払しょくすることだ。

持続可能な「福祉社会」と「活力ある社会」の両立

2010-01-25 00:35:02 | 日本の論点
持続可能な「福祉社会」と「活力ある社会」の両立。私たちの政策はさらに進化する

●原点に立ち返り本領の「福祉」を問い直す
 1999年に自民党政権の連立に参加してからちょうど10年目の09年、私たちは野党になった。その間、私たちは、庶民の目線から数々の福祉政策に取り組んできたが、残念ながら、小泉改革の揺り戻しや未曾有の景気後退の波に呑まれ、「福祉の党」のイメージを、混沌とする政治状況に埋没させてしまった。しかし逆に考えれば、野党になったからこそ、原点に立ち返り、私たちの本領である福祉政策のあり方をもう一度問い直すことが可能になった。
 いま私たちは、少子高齢化と人口減少の進行に対応した、持続可能な社会保障と経済成長を両立させねばならないという難問に直面している。社会保障の肥大化は財政を破綻させる。負担を平等に引き受けながら、活力ある社会をつくるにはどうすればよいか。少子化を食い止め、なお成長を続けるには女性の社会参加は必須の条件だ。
 06年、公明党は「少子社会トータルプラン」を提言した。結党以来、私たちは「児童手当」をはじめ、妊婦検診や出産一時金、育児休暇、待機児童の解消など「子ども優先社会」の実現を目指してきたが、これはその集大成である。民主党の目玉の少子化対策が「子育て手当て」なら、私たちは母親と働く女性に対して「子どもが産まれる前からの支援」をおこなってきたのである。
 こうした提案は現場の声に裏打ちされている。公明党には、北海道から沖縄まで、1800の基礎自治体で選ばれた3000人の地方議員がいる。彼らがこまめに地域を歩き、問題点を明らかにし、県および国会議員とともに解決に努力してきたのである。3割を超える女性議員は、その中心的な役割を担った。
 全国で始めて「児童手当」が制度化されたのは(1968年)、千葉県市川市だというのをご存知だろうか。公明党市議の提案によるものだった。福祉予算の厚い壁を破ったのを契機に、69年には都議会で、さらにその3年後には、国の制度として確立された。その後、児童手当は自公連立の10年間で4回にわたって改正され、3歳までだった対象年齢は、小学6年生に引き上げられた。

●福祉の財源は誰が負担するのか
 民主党の「子ども手当て」は中学3年生までの子のいる家庭に一律支給されることになっているが、財源は扶養控除や特定扶養控除の廃止だ。大学生のいる家庭では、負担増になる場合がある。
 私たちの児童手当とアイデアこそ似ているが、その考え方は大きく違う。子育ての社会化といいながらその本当に意味を国民に伝えていない。子育ては社会全体が責任を持ち、そのコストは国や地方、企業など社会全体が負担すべきものだ。
 子ども手当てばかりではない。民主党はさらに「高校授業料の実質無償化」「農家の所得保障」と公的扶助にかたよった政策を打ち出した。
 しかし、人口減少による超少子高齢社会で最も重要なのは、共助の活性化と公助の信頼性の回復である。自助を前提に、地縁・血縁に関わりなく互いに支えあう(共助)新たなしくみの構築が必要だ。その上で公的機関が力を貸す(公助)というのが、バランスのとれた社会のあり方である。「コンクリートから人へ」「企業への再配分から家計への再配分へ」―のスローガンの下、民主党は補正予算15兆円のうち3兆円を凍結した。公共投資を大幅に削減し、個人へ直接給付にすることによって消費が刺激され、景気が回復するという。それは、貯蓄を増やすだけにはならないか。
 1993年、私が初当選を果たしたとき、政治テーマは政治改革一色だった。私も熱に浮かされたようにそのスローガンを繰り返した。だが本当にやるべきだったのは景気対策と経済の改革だったのだ。そうすれば98年の金融危機は避けられた。あのときの無策がその後の「失われた10年」のつながってしまったのである。
 もし民主党が「自公政権の否定」と「政権の維持」を政治目標とするなら、これからの4年、けっして日本は明るくはならない。

まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている

2010-01-12 07:18:53 | 活動徒然
 「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」
 司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」の書き出しだ。
 昨年12月。NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」第一部が4回にわたり放送された。
 主人公は極東の小国・日本を日露戦争で勝利に導いた秋山好吉、真之兄弟と俳人・正岡子規。ドラマでは真之役の本木雅弘、好吉役の阿部寛、子規役の香川照之とそれぞれ好演している。
年が明けて改めて原作を読み返してみた。亡き父が司馬遼太郎ファンで、本棚にあった「坂の上の雲」の単行本全6巻を初めて読んだのが中学2年の夏休みだった。
 この小説は明治100年にあたる昭和43年、「産経新聞」の夕刊に連載小説としてスタートした。当時は高度経済成長の真っ只中だった。原作によると、明治の日本は貧しかった。だが、青年たちが一生懸命に生き、国家を背負い、奇跡に近い形で日露戦争を乗り切った。子どもながらに高揚したのを覚えている。
 改めて政治に関わっている立場から読み返してみると、主人公の3人以外にも明治の人々に畏敬の念を覚える。それは、自らの国を知っていたということだ。当時の強国・ロシアと戦争を始めると同時に、国家指導者が終わり方も考えていた。奉天会戦の後、満州軍の参謀総長・児玉源太郎は東京に戻り、「火をつけた以上は消さにゃならんぞ」と語った。
 日露戦争から40年後。同じ日本が今度は終わり方を考えない太平洋戦争に突入していった。
司馬氏が「坂の上の雲」を書いて40年以上が過ぎた。今の国家指導者は、この国をどの方向に導こうとしているのか。鳩山首相は昨年10月、臨時国会の所信表明演説で「無血の平成維新」と叫んだ。
文芸評論家の野口武彦氏はこの言葉に対し、厳しい批評を加えている。「明治維新は単なる権力の交代ではなくて、国の統治形態を変え、所有権の移転までやった。(中略)今回の政権交代は江戸時代の老中交代のレベル」(毎日新聞)と断言。
間もなく通常国会が始まる。21世紀の日本。世界の中の日本。明治のように自らの国の現実を把握し、どの方向に導くのか。国会で骨太の論戦が期待されている。