将棋ファンにとって今年の名人戦は見応えがあった。
羽生善治名人に挑戦したのは郷田真隆九段。7番勝負の第一局は4月、羽生先勝でスタートを切った。
一進一退の攻防は第5局、郷田が3勝目をあげ王手。そこから羽生は粘りを発揮。カド番をしのいで3勝3敗のタイに持ち込み、最終局も81手で郷田を退けた。これで6期目の名人獲得し、7冠のタイトルでは大山康晴十五世名人の80期に次ぐ73期となった。
小学校に入る前だったと思う。亡くなった父から将棋を教わった。せっかちな父は、考えながら指しているかと思うほど早指しだった。小学生の時はクラスで将棋ブームになったこともあった。その頃、「プロとアマの差が最も開いているのが将棋」と誰かに聞いた。
将棋のプロには現在約150人の現役棋士がいる(国会議員722人よりも少ない)。プロになるには奨励会に入会。6級からスタートし、昇級昇段して四段でプロとなる。
都道府県のアマ将棋のトップレベルでも奨励会の6級といわれるそうで、自分たちのヘボ将棋からみたら、まさに将棋のプロは雲の上だ。
そのプロ棋士の世界には7大タイトルがあり、その最高峰に名人戦がある。
プロ棋士がA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組と5クラスに分かれ、1年かけて順位戦を戦う。成績によって上のクラスに昇級、下のクラスに降級したりする。
トップ棋士の集まりである10人が総当り戦を行なうA級順位戦。ここでトップとなってようやく名人戦の挑戦権を獲得する。つまり、プロとなって、どんなに早くても名人に挑戦するのは5年かかることになる。
江戸時代から世襲制だった将棋の名人位。昭和12年に実力制名人位がスタートして、名人位に就いた棋士は12人。ちなみに平成5年に私が衆院議員に初当選してから16年の間に首相は10人。
国会では党首討論が先日行なわれたが、本来は次の首相を目指す政治家同士の一騎打ち。政治の〝名人戦〟でなければいけないはずだ。
だが、「名人戦の域には及ばない」と思った人もいたのではないか。
将棋は奨励会、順位戦と厳しい戦いを経て、名人になる。対局中の一手で天国から地獄へ転落する将棋。今の政治も全魂を傾けた一手が求められている。
羽生善治名人に挑戦したのは郷田真隆九段。7番勝負の第一局は4月、羽生先勝でスタートを切った。
一進一退の攻防は第5局、郷田が3勝目をあげ王手。そこから羽生は粘りを発揮。カド番をしのいで3勝3敗のタイに持ち込み、最終局も81手で郷田を退けた。これで6期目の名人獲得し、7冠のタイトルでは大山康晴十五世名人の80期に次ぐ73期となった。
小学校に入る前だったと思う。亡くなった父から将棋を教わった。せっかちな父は、考えながら指しているかと思うほど早指しだった。小学生の時はクラスで将棋ブームになったこともあった。その頃、「プロとアマの差が最も開いているのが将棋」と誰かに聞いた。
将棋のプロには現在約150人の現役棋士がいる(国会議員722人よりも少ない)。プロになるには奨励会に入会。6級からスタートし、昇級昇段して四段でプロとなる。
都道府県のアマ将棋のトップレベルでも奨励会の6級といわれるそうで、自分たちのヘボ将棋からみたら、まさに将棋のプロは雲の上だ。
そのプロ棋士の世界には7大タイトルがあり、その最高峰に名人戦がある。
プロ棋士がA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組と5クラスに分かれ、1年かけて順位戦を戦う。成績によって上のクラスに昇級、下のクラスに降級したりする。
トップ棋士の集まりである10人が総当り戦を行なうA級順位戦。ここでトップとなってようやく名人戦の挑戦権を獲得する。つまり、プロとなって、どんなに早くても名人に挑戦するのは5年かかることになる。
江戸時代から世襲制だった将棋の名人位。昭和12年に実力制名人位がスタートして、名人位に就いた棋士は12人。ちなみに平成5年に私が衆院議員に初当選してから16年の間に首相は10人。
国会では党首討論が先日行なわれたが、本来は次の首相を目指す政治家同士の一騎打ち。政治の〝名人戦〟でなければいけないはずだ。
だが、「名人戦の域には及ばない」と思った人もいたのではないか。
将棋は奨励会、順位戦と厳しい戦いを経て、名人になる。対局中の一手で天国から地獄へ転落する将棋。今の政治も全魂を傾けた一手が求められている。