🌸先人に驚く(2)(薩英戦争他)
⛳日本人の習性は江戸時代に出来上がった
☆「明治の日本人は偉かったですね」とよくきく
☆日露戦争までの日本人、江戸人の面影をつよくのこしていた
☆民族により、西洋人に出会ったとき、興味を持つものが違う
☆民族により、西洋人に出会ったとき、興味を持つものが違う
*朝鮮人は書物、琉球人は地球儀、アイヌは何も欲しがらず
(朝鮮は儒教で文人の国、琉球は海人の国、アイヌは穏やかな狩猟民族)
(朝鮮は儒教で文人の国、琉球は海人の国、アイヌは穏やかな狩猟民族)
*日本人の兵備への関心は突出し、武人の国といってよい
☆19世紀の日本人の強み
☆19世紀の日本人の強み
*「世の中は変わる。人智と機械は進歩する」と信じ
*「過去にとらわれず自らを変える」のに躊躇しなかった
☆外国人たちは、日本の弱点もみている
*厳しく躾けられ政府への服従に慣れた国民
*治める者と治められる者が同じ
*議会の使い方が不得意とみている
☆日本人の習性、強みや弱み
*江戸時代に形成されているものが多い
☆国の改革には、その習性を知らねばならない
⛳手塚治虫と幕末西洋医
☆手塚氏の高祖父、二代目良仙は、蘭方医
⛳手塚治虫と幕末西洋医
☆手塚氏の高祖父、二代目良仙は、蘭方医
*良仙のお節介な性格が結果的にこの国の医学を躍進させた
*良仙は、たくさんの蘭方医を育てた
*その中でも、大槻俊斎の才能を見出したのが大きかった
☆大槻俊斎は、優れた蘭方医となった
*良仙は娘をめあわせ、秋葉原で開業させた
☆大槻俊斎は、優れた蘭方医となった
*良仙は娘をめあわせ、秋葉原で開業させた
*俊斎はまさに幕末の天才医ブラック・ジャック
*天然痘から人々を救おうと、幕府に願い、種痘所を建てている
*種痘所は後の東大医学部となる
☆手塚氏自身、大阪大学で医学を学ぶ
*生命、医学、人類史の全体をみつめる数々の作品を残している
*その根っこは驚くはど深い
⛳トカラ列島宝島の薩英戦争
☆日本人はペリー来航で初めて西洋列強を意識したのでない
⛳トカラ列島宝島の薩英戦争
☆日本人はペリー来航で初めて西洋列強を意識したのでない
☆日本近海には頻繁に異国船が出現
*脅威をうけた藩から西洋に目覚めた
*英軍艦フェートン号が長崎に侵入
*薩州宝島に英人が上陸、薩摩藩士と交戦状態になる
*薩摩藩は西洋の脅威を目の当たりにする
☆幕府は、異国船打払令を出した
*武士階層から攘夷を意識し始める
☆平和な宝島で英国人と薩摩人が交戦した経緯
*英国人は、さかんに浜辺の「牛貰いたし」と訴える
☆平和な宝島で英国人と薩摩人が交戦した経緯
*英国人は、さかんに浜辺の「牛貰いたし」と訴える
*野菜などを与え「牛はやれぬ」と対応した野菜を持ち帰った
*四時間後、英国人が小船で乗り鉄砲発砲し上陸してきた
*四時間後、英国人が小船で乗り鉄砲発砲し上陸してきた
*日本人10数人対英国人20人の小さな戦争が始まった
*英国人の胸元目掛け、日本人鉄砲を撃ち英国人は即死した
*英国人の胸元目掛け、日本人鉄砲を撃ち英国人は即死した
☆長い航海で英国人は新鮮な牛肉を欲し、この戦いが起きた
(敬称略)
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⛳出典、「歴史の愉しみ方」(記事より画像引用)
先人に驚く(2)(薩英戦争他)
(ネットより画像引用)
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