慶喜

心意気
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新元号は「令和」は「梅花の宴」から

2019年04月12日 | 生活
植物の好みと時代とともに推移する(梅と桜と松)

梅(中国文化の影響が強い古代の花)
 ☆新元号「令和」『万葉集』の梅花の宴にまつわる部分が典拠
 *「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」
 ☆菅原道真の詠んだ歌
 *「東風ふかば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」平素から梅の花を愛す
 *北野天満宮や太宰府天満宮には梅が多く植えられています
 ☆「梅花の宴」は、中国の先端の流行を意識した、文化的水準の高い宴だった
松(武士が愛した)
 ☆大政奉還で、二条城の御殿で慶喜が幕府重臣らに奉還の意思を伝達している場面
 *ふすまには狩野派の手になる雄渾(ゆうこん)な松の絵がある
 *城の広間には桜でなく、往々にして松が描かれる
 ☆武家の行動指針の第一は「家」を存続させること
 ☆武家が愛したのは、常に緑を絶やさない松
 ☆武家は、城下町の名称にも「松」の字を好んで用いている
 *現在でも県庁所在地や有力都市になっていて、松の字を用いた地名は多い
 (松山、高松、松江、松本、松阪、浜松、会津若松など)
 ☆「潔く散る」桜は、本来は武家好みではなかった
桜の宴(エリート層を中心に昔から行われた)
 ☆国風文化が育った平安時代中期以降では「花」は、桜の花を意味する
 ☆満開の桜は、しばらくして風が吹くと、瞬時に花を散らせる
 ☆そのはかなさ、潔さが日本人のこころにぴたり
 ☆知的エリートの貴族たちが、桜を愛する美意識を切り開いて成熟させた
桜(多くの日本人が愛する花へ)
 ☆江戸時代の中頃まで、武士も農民も桜をめでることは少なかった
 ☆江戸の桜の名所というと古くから忍の岡、上野山周辺
 *格式高い名刹、寛永寺があって、庶民はうかれ騒ぐことができなかった
 ☆みんなで桜の宴は、8代の吉宗の頃から
 *吉宗は飛鳥山を桜の名所とした
 *隅田川の堤に桜を植えて庶民の憩いの場にした
吉宗の治世に生まれた国学者・本居宣長
 ☆「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」の歌を残す
 ☆宣長は、「山桜」を珍重していた
 *ピンクの濃い、花の大きな山桜を好んだ
 ☆現在の時代、桜といえばソメイヨシノ
 *ほのかなピンクで、花びらは軽く、さっと散る
 ☆ソメイヨシノが全国に植えられたのは明治になってから
 ☆桜は潔くさっと散るからこそ、より美しいのだとする日本人
 ☆「みんな」の感性が確立するのは、近代以降
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詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『産経新聞』










新元号は「令和」は「梅花の宴」から
(『産経新聞』ネットより画像引用)

                   


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