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左翼人物と事件9(黒田寛一氏、本多延嘉氏、重信房子氏)

2020年01月11日 | 左翼右翼
黒田寛一氏、本多延嘉氏

 ☆「内ゲバ」とは、暴力が内部に実行されること
 *仲間同士の揉め事一般にも使われる
 ☆1970年以降、内ゲバは中核派、革マル派の流血の抗争で行われた
 ☆両派の死者は100人近くを数え、、重傷を含めた負傷者は千人単位

異なる内ゲバ論
 ☆両派は、争いを内ゲバであることを否定する
 *中核派書記長、最高指導者の本多延嘉氏述べる
 (二つの集団での闘争では死者が出るのは当然)
 *革マル派の最高指導者は黒田寛一氏述べる
 (中核派の殺人行為に対する組織防衛)
 ☆同じ内グバでも両派によって意味が違う
 *中核派は大衆運動・直接行動優先
 *革マル派は革命を行う党の構築を優先する
 ☆本多延嘉氏、黒田寛一氏
 *日本共産党の議会主義に反旗を翻した時の主要メンバー
革マル派に殺された本多氏
 ☆本多氏は隠れ家で、革マル派に襲撃され、殺される
 ☆中核派は報復戦に出たが、世論の風当たりは強く両派の内グバは下火となる
 ☆本多延嘉氏は名家の生れで、中学生で日本共産党に入党
 *弁舌と組織づくりの巧みさは、新左翼内で注目されていた
 *カリスマ性もあつたため、たちまち人を集めた
 ☆黒田寛一氏は独学でマルクス主義を学んだ
 *黒田氏の人格が、革マル派の秘教的性格をつくつた
 *中核派の襲撃を逃れ抜き、埼玉の病院で78歳で死んだ

重信房子氏

 ☆日本赤軍の重信房子が大阪の高槻で逮捕された
 *日本を出国し丸々27年間、姿を消していた
 ☆オランダで起きた「ハーグ事件」の共謀共同正犯の罪で起訴された
 *無期懲役の求刑に対して懲役20年の刑が言い渡された
 ☆日本赤軍のリーダーだった重信房子氏

「戻るな」と言った父
 ☆日本赤軍によるテルアビブ空港乱射事件が起きた
 *パレスチナに渡った日本赤軍幹部として重信房子氏の名が報道された
 ☆2年前の浅間山荘事件
 *重信氏の父のもとには嫌がらせや脅迫が殺到していた
 ☆重信の父は、「重信房子の父として」と題された手記も残している
 *「房子が外国へ行くとき、わたしは『戻るな』と言った
 *どこへ何をしに行くのか知っていたわけではない
 *革命家というのは、大きな流れの中で寂しくてきびしい思いをする
田宮高麿との結婚を嫌う
 ☆重信房子氏は家に学生運動のメンバーをよく連れて来ている
 ☆重信房子氏の父の手記の結びの言葉
 *房子は海のかなたに去った
 *アヒルは岸にはもどらないだろう
 ☆房子氏は、パレスチナヘ入ったのは、パレスチナ人と共闘する為
 *パレスチナを根拠地として世界同時革命を闘おうという目的
 ☆重信房子氏逮捕の変貌ぶりから「ふつうのオバサン」と椰楡された
 *重信房子氏を罵る言葉は右からもない
 *重信房子氏は、左にとっては今も「全共闘のジャンヌ・ダルク」
 ☆重信氏のパレスチナ行き
 *田宮高麿が関連しているという話がある
 *赤軍派議長から房子氏に、北朝鮮に渡って田宮と結婚せよとの指令
 *結婚を嫌った房子氏が思いつきでパレスチナ行きを決意したとの噂も
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出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』












左翼人物と事件9(黒田寛一氏、本多延嘉氏、重信房子氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)






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