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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

安寿と厨子王丸

2020年09月09日 | 中田敦彦
🌸安寿と厨子王丸

⛳由来

 ☆人買いによって船で丹後に運ばれる安寿姫と厨子王丸
 ☆中世に成立した説経節『さんせう太夫』が原作
 *浄瑠璃などの演目で演じられてきた
 *それを子供向けに改変したもの
 ☆ゆかりのある各地で民話化している

⛳あらすじ

 ☆奥羽五十六郡の太守、岩城判官正氏の一族
 *讒言で、筑紫に流された
 ☆本国の正氏の妻と、2人の子供(姉の安寿姫と弟の厨子王)
 *正氏を訪ね求めて越後の直江津にたどり着いた
 ☆人買いの山岡太夫の手にかかり
 *妻は、佐渡に、姉弟は丹後の山椒太夫にそれぞれ売り渡された
 ☆山椒大夫のもとで姉弟は酷使された
 ☆安寿は厨子王に勧めて密かに逃れさせようとし
 *罰として額に焼け火箸を当てられた
 *しかし地蔵尊のおかげで痕が付かなかった
 ☆姉弟は、再会を約して逃亡を図った
 *姉を残して都へと行くのをためらう厨子王に
 *安寿姫は強く勧めて、弟が去った後
 *自身は山椒館の近くの沼に身を投げて亡くなった
 *その亡骸は村人により丁重に葬られた
 ☆厨子王は丹後の国分寺に逃げ込んで寺僧に助けられた
 *京都七条朱雀の権現堂に送られた
 *最後に、一家没落の経緯を朝廷に奏上した
 ☆判官正氏の罪が赦された上に旧国を与えられた
 *讒言者の領地は没収されて厨子王に下賜された
 ☆安寿姫の霊はその後も母と弟を守護した
 ☆厨子王は、領主となった丹後に行く
 *かつて匿ってくれた国分寺の僧侶に謝し
 *山椒大夫とその子三郎とを鋸挽きの刑に処し
 *また越後で山岡太夫を討ち取った
 ☆報恩と復讐を果たした厨子王
 *生き別れた母の行方を求めて佐渡にたずね歩く
 *老いた瞽女が鳥を追う唄をうたっているのに巡り会った
 *厨子王は、これぞ母と知り、駆け寄りすがりついた
 ☆うれし涙に、盲いた母の眼は開き、母子は再び抱き合った

⛳歴史的背景

 ☆歴史上では、架空の伝説である
 ☆「の民」とは
 *権力者の領地荘園から脱落したりして浮浪化した者
 ☆「の大夫」とは
 *これらの人々を金で買ったり力ずくで拉致して利益を得た者
 ☆説教節は仏教的因果応報を説くものである
 *の大夫と下層民という現実よりも
 *没落した貴人の運命の悲劇を織り込む方が
 *聞く者に強い印象を与え、効果的である
 ☆安寿と厨子王の物語の成立にはこうした背景があった


⛳伝承地、東北地方

 ☆津軽地方の山岳信仰の対象である岩木山に安寿が祀られている
 ☆説教節では安寿は拷問によって非業の死を遂げる
 *彼女を酷使し殺害した山椒大夫らはいずれも丹後国の者
 ☆弘前藩領に丹後の人間が入ると
 *安寿の怨霊によって災害が起こって人々を苦しめるとされた
 ☆弘前藩が自らの苛政を隠蔽する為
 *領民の不満を丹後人に向けた策との説もある
                                                    (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『WIKIPEDIA』中田敦彦ユーチューブ





安寿と厨子王丸(ネットより画像引用)





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