🌸安寿と厨子王丸
⛳由来
☆人買いによって船で丹後に運ばれる安寿姫と厨子王丸 ☆中世に成立した説経節『さんせう太夫』が原作
*浄瑠璃などの演目で演じられてきた
*それを子供向けに改変したもの
☆ゆかりのある各地で民話化している
⛳あらすじ
☆奥羽五十六郡の太守、岩城判官正氏の一族
*讒言で、筑紫に流された
☆本国の正氏の妻と、2人の子供(姉の安寿姫と弟の厨子王)
*正氏を訪ね求めて越後の直江津にたどり着いた
☆人買いの山岡太夫の手にかかり
*妻は、佐渡に、姉弟は丹後の山椒太夫にそれぞれ売り渡された
☆山椒大夫のもとで姉弟は酷使された
☆安寿は厨子王に勧めて密かに逃れさせようとし
*罰として額に焼け火箸を当てられた
*しかし地蔵尊のおかげで痕が付かなかった
☆姉弟は、再会を約して逃亡を図った
*姉を残して都へと行くのをためらう厨子王に
*安寿姫は強く勧めて、弟が去った後
*自身は山椒館の近くの沼に身を投げて亡くなった
*その亡骸は村人により丁重に葬られた
☆厨子王は丹後の国分寺に逃げ込んで寺僧に助けられた
*京都七条朱雀の権現堂に送られた
*最後に、一家没落の経緯を朝廷に奏上した
☆判官正氏の罪が赦された上に旧国を与えられた
*讒言者の領地は没収されて厨子王に下賜された
☆安寿姫の霊はその後も母と弟を守護した
☆厨子王は、領主となった丹後に行く
*かつて匿ってくれた国分寺の僧侶に謝し
*山椒大夫とその子三郎とを鋸挽きの刑に処し
*また越後で山岡太夫を討ち取った
☆報恩と復讐を果たした厨子王
*生き別れた母の行方を求めて佐渡にたずね歩く
*老いた瞽女が鳥を追う唄をうたっているのに巡り会った
*厨子王は、これぞ母と知り、駆け寄りすがりついた
☆うれし涙に、盲いた母の眼は開き、母子は再び抱き合った
⛳歴史的背景
☆歴史上では、架空の伝説である
☆「の民」とは
*権力者の領地荘園から脱落したりして浮浪化した者
☆「の大夫」とは
*これらの人々を金で買ったり力ずくで拉致して利益を得た者
☆説教節は仏教的因果応報を説くものである
*の大夫と下層民という現実よりも
*没落した貴人の運命の悲劇を織り込む方が
*聞く者に強い印象を与え、効果的である
☆安寿と厨子王の物語の成立にはこうした背景があった
⛳伝承地、東北地方
☆津軽地方の山岳信仰の対象である岩木山に安寿が祀られている
☆説教節では安寿は拷問によって非業の死を遂げる
*彼女を酷使し殺害した山椒大夫らはいずれも丹後国の者
☆弘前藩領に丹後の人間が入ると
*安寿の怨霊によって災害が起こって人々を苦しめるとされた
☆弘前藩が自らの苛政を隠蔽する為
*領民の不満を丹後人に向けた策との説もある
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『WIKIPEDIA』中田敦彦ユーチューブ
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『WIKIPEDIA』中田敦彦ユーチューブ
安寿と厨子王丸(ネットより画像引用)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます