「パール論争」に言論人の「知的誠実」を問う(3)
牛村圭の知的誠実さ
☆国際日本文化研究センター教授・牛村圭とは、建設的な議論ができる
☆牛村はパール判決書は「無罪論」であることは認める
☆しかし牛村は「日本無罪論」ではないとした
*「日本無罪論ではない」という発言が独り歩き
*「反日学者」と呼ばれてしまった
☆牛村のパール判決書の無罪に対する見解
*パールが無罪判決を下したのは対象は、「国家の行為」
*パール判決書は、国家が無罪と述べている
☆『国家を裁く』とはどういうことなのかという問題である
「全被告無罪」ならば「日本無罪」
☆「国を相手に裁判を起こす」ということは民事訴訟では普通
☆東京裁判は「軍事裁判」
*軍事裁判で「国家」を禁固刑にしたり死刑にしたりできない
☆東京裁判の被告が形式上「個人」であるのは当然
*東京裁判は、「個人」を裁くものになっていた
☆「国家」を被告席に座らせることなどできない
☆東京裁判で裁かれた「個人」
*「一私人」としての「個人」ではない
*「国家機関」としての「個人」である
☆被告「個人」を裁くということと「国家」を裁くということは不可分
☆パールは判決書「全被告無罪論」はすなわち「日本無罪論」なのである
☆「裁かれたのは国家か個人か」という二者選択は、問題設定自体が間違っている
☆「個人」と「国家」は分離し難い
☆国民と国家を切り離す
*どこかに「国家」なる怪物が存在するというのは、左翼の国家観である
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『世論という悪夢』
牛村圭の知的誠実さ
☆国際日本文化研究センター教授・牛村圭とは、建設的な議論ができる
☆牛村はパール判決書は「無罪論」であることは認める
☆しかし牛村は「日本無罪論」ではないとした
*「日本無罪論ではない」という発言が独り歩き
*「反日学者」と呼ばれてしまった
☆牛村のパール判決書の無罪に対する見解
*パールが無罪判決を下したのは対象は、「国家の行為」
*パール判決書は、国家が無罪と述べている
☆『国家を裁く』とはどういうことなのかという問題である
「全被告無罪」ならば「日本無罪」
☆「国を相手に裁判を起こす」ということは民事訴訟では普通
☆東京裁判は「軍事裁判」
*軍事裁判で「国家」を禁固刑にしたり死刑にしたりできない
☆東京裁判の被告が形式上「個人」であるのは当然
*東京裁判は、「個人」を裁くものになっていた
☆「国家」を被告席に座らせることなどできない
☆東京裁判で裁かれた「個人」
*「一私人」としての「個人」ではない
*「国家機関」としての「個人」である
☆被告「個人」を裁くということと「国家」を裁くということは不可分
☆パールは判決書「全被告無罪論」はすなわち「日本無罪論」なのである
☆「裁かれたのは国家か個人か」という二者選択は、問題設定自体が間違っている
☆「個人」と「国家」は分離し難い
☆国民と国家を切り離す
*どこかに「国家」なる怪物が存在するというのは、左翼の国家観である
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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