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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

薩長の「明治維新」が日本を誤らせた

2018年02月19日 | 歴史
世にはびこる薩長史観はウソだ‐軍国主義が絶対天皇主義を導き太平洋戦争ヘ

「錦の御旗」はでっち上げ
 ☆安倍政権は明治維新150年を記念して盛大な事業を行おうとしている
 ☆明治維新の精神は真から賞賛に値するものだろうか?
 ☆薩長史観とは、薩長が行ったテロや殺致、強奪、強姦の犯罪行為を正当化する史観なのでは?
 (絶対的天皇主義のもとで正当化した)
 ☆薩長は、大政奉還を無効にするために、幕府に直轄領の返納を強要した
 ☆西郷隆盛は、江戸で強盗・殺人など「薩摩御用盗」の騒乱を起こさせた
 ☆西郷隆盛は、江戸城を放火して大坂にいる幕府軍を憤激させ、鳥羽・伏見の戦いを惹起した
 ☆薩長は、無益な戊辰戦争を強引に引き起こし、日本の国土を血に染めた
 ☆「錦の御旗」が掲げられたが、「官軍」を自称するためでっち上げられたもの
 ☆「官軍」の美名のもとで、逆らうものを「朝敵」「賊軍」として、暴虐の限りをつくした
薩長は「尊皇攘夷」⇒「尊王」⇒「王政復古」での討幕活動
 ☆下関戦争や薩英戦争で大敗すると、薩長は攘夷を棄てて尊皇を基軸として討幕を目指す
 ☆孝明天皇の理解が得られないと、公家の岩倉具視の協力を得て天皇を毒殺
 ☆薩長の息がかかった明治天皇を擁立する
 ☆薩長が行った数々の暴虐行為は天皇を絶対視することですり替えた
 ☆「王政復古」という時代錯誤号令で薩長の行為を糊塗する
 ☆国民が一致して天皇を現人神として崇める思想を強要した「教育勅語」
 (無条件に天皇に命を捧げることが愛国心との教え)
 ☆薩長の為政者が恣意的に国民を支配し従属させるための愛国教育
西郷と勝会談に密約(江戸城無血開城)
 ☆明治維新が、薩長主導のもとで平和裏に行われたという印象を与えられている
 ☆まやかしで「官軍」による「賊軍」の掃蕩が密約されていた
 ☆西郷は、開城の条件として、徳川慶喜を助けた藩主は厳罰に処すとした
 ☆勝は、「官軍」に逆らうものを「賊軍」として討伐することを容認した
 ☆西郷は「敬天愛人」を唱えたが、行動は「汚天殺人」
「官軍」は捕虜を虐殺し放置ヘ
 ☆長州の大村益次郎は、強引に戦火を開いて、彰義隊を殺毅した
 ☆「官軍」は、遺体を野晒しにして死臭に満ちさせた
 ☆会津では「官軍」の殺人、家財の強奪や強姦などが横行
 ☆戦後の会津処分は苛烈を極め、これを強行したのが長州の木戸孝允
 (同志が殺された京都の池田屋事件の報復か?会津人を根絶やしにする勢い)
 ☆戊辰戦争以来、東北地方は明治政府にとって蔑視し排除する対象になった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS2月号(歴史家・作家武田鏡村氏)』





薩長の「明治維新」が日本を誤らせた(『THEMIS2月号』記事、ネットより画像引用)


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近所で見た凄い行列

2018年02月19日 | 観劇他
マキシマム ザ ホルモン、私は初めて知った名前です

近所での出来事
 ☆散歩している道で凄い行列を見ました
 ☆何時も、何もない場所なので、店がオープンしたのかなと思い近くへ行きました
 ☆1KM前後続くと思われる凄い行列(整理券を配布していました)
 ☆私は入場するのは諦め、グッズ購入しようと思いましたが購入できませんでした
 (入場者のみに販売)
マキシマムザ亮君次男が描く「奇怪なイラスト」展
 ☆『保育園児が描いた奇怪イラスト展』御徒町のギャラリーで開催
 ☆マキシマムザ亮君(マキシマム ザ ホルモン)の次男の絵の展覧会です
 ☆次男は、突然保育園で描き、保育士を「ドン引き」させた落書きを展示
 ☆会場では、マキシマムザ亮君が、息子に行なった教育法も展示されています
 ☆グッズ販売や、マキシマムザ亮君本人による物販販売も行なわれていました
マキシマム ザ ホルモンプロフィール
 ☆ロックバンド
 ☆バンド名の由来「脳内分泌物(ホルモン)が最大級(マキシマム)に分泌される音楽」
 (実際はメンバーが肉好きだった)
 ☆芸能人のファンが多く、生田斗真、前田敦子、渡辺麻友(AKB48)他多数
 ☆メンバー(マキシマムザ亮君)(ダイスケはん)(上ちゃん)(ナヲ)
マスメディアへの出演
 ☆テレビ出演、タモリ倶楽部(テレビ朝日系列)他
 ☆映画出演、BECK(松竹)他
 ☆CM出演、はごろもフーズ「シーチキン」他
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、展覧会紹介、WIKIPEDIA








近所で見た凄い行列(展覧会紹介、WIKIPEDIA、ネットより画像引用)
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佐々木只三郎(たださぶろう)幕末の暗殺者

2018年02月19日 | 歴史上の人物
佐々木只三郎(龍馬暗殺の指揮官)

清河八郎(攘夷思想家)
 ☆清河の策略により、幕府は浪士を集め京都に向かわせた
 (幕府は京都の治安を守るために浪士組を募った)
 ☆清河の思惑は、浪士を攘夷の先兵に使うことにあった
 ☆幕府を騙した清河の元に集った浪上の中に、只三郎がいた
 ☆清河は、浪士ともども江戸戻り、横浜の外国人居留地の焼き討ちを企てた
 ☆幕府は、清河暗殺命令を下す
佐々木只三郎(龍馬・清河暗殺の指揮官)
 ☆只三郎は幕府の命を受け、京都見廻組治安部隊を率いる
 ☆大政奉還後も、警察権などは旧幕府に委任されていた
 ☆只三郎の任務も変わらず、市中警備を続けた
 ☆近江屋事件の指揮は、只三郎がとった
 ☆暗殺を実行したのは、今井信郎、渡辺篤、世良彼郎です
佐々木只三郎、被弾し戦線離脱し36歳で死亡
 ☆討幕派は、徳川家を排斥した新政権を立て、只三郎ら見廻組は大坂に下る
 ☆佐々木只三郎、戊辰戦争、鳥羽・伏見の戦いに参戦する
 ☆見廻組の武器は刀や槍がほとんどで、鉄砲に対する術はなかった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本史”悪役”100人(世界文化社)』


佐々木只三郎(たださぶろう)幕末の暗殺者(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)
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