慶喜

心意気
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『IS』のベーシックインカムは?

2016年08月14日 | 国際情勢
IS『テロ続行』を支える資金源を抉る(身代金・原油・麻薬・美術品等)

ISを崩壊するには、有志連合らが、イラク・シリア国境地帯に地上軍を派遣しその地を完全に遮断させるのが必要
ISをイラク側、シリア側に分断して陸の孤島化にし、ヒト、モノ、カネの往来をストップさせるのが重要
ISの経済は、孤島内で縮小循環するのみで、時間の経過とともに自減する
有志連合や周辺各国とも現地への地上軍派遣に否定的なので難しいが?
(正義と公平と感動)月刊誌「THEMIS」記事参照&引用(毎月1日発売)
















IS国ベーシックインカム(ネットより画像引用)

イスラム過激派テロ組織「イスラム国(IS)」のテロ活動
本拠地シリア、イラクから欧州、東南アジアにまで広がってきた
人が集まるレストランや空港など「ソフトターゲット」が狙われるようになっている
ダッカのレストランででは、7人の日本人を含む外国人20人が犠牲になった
ジェトロによると、バングラデシュに拠点を置く日本企業は、約240社(約千人の日本人が暮らす)

国家予算レベルの密貿易市場
過去から現在までISの重要な資金源となっているのは、交易の支配です
シリアとイラクの支配地域には、自由貿易地帯が設置されている
ISが支配下に置くシリア・イラク国境の都市カイムとイラク第2の都市モスルがあるニナワ州です
イラクのフセイン政権末期には、国家予算に匹敵する規模だったという
この地域における既存の交易・密留易ルートに覆いかぶさり、そこから徴収した税金が彼らのベーシック・インカムです
原油収入はいわばボーナス的なものだったのだ

原油収入の資金源
背景には、有志連合の空爆とロシアの「参戦」が影響していると
ロシアは、IS空爆を旗印にシリア内戦に介入したが、シリア・アサド政権への「支援」が主目的でした
最近ロシアは、ISにまで及び、シリア・イラク国境地帯の油田や製油所が次々に破壊されている
IS支配下から生産される原油は日量約4万バレル(約200万ドル)と言われている
米国務省や金融インテリジェンスらが、IS支配下にある原油製油所をつきとめた

富裕層からの保険のため資金援助
産油地帯であるアラブ湾岸諸国の富裕層からの献金が資金源
献金者は、武装組織の思想に共鳴もあるが、自身の経済権益の保障と引き換えのケースも多い
公務員から巻きあげる収入(シリア、イラクには公務員が多い)
略奪(略奪品には、武器や美術品等)売買は一定の利潤を生む
ISが頻繁に行う営利目的誘拐


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散歩(小室町で190万円のマンション販売中)

2016年08月14日 | 散歩
小室町散歩(ビックリしたマンション売価)

お墓のある小室町へお墓参り
北総線は、料金の高いことで有名ですが、小室駅周辺にはマンションが多数有ります
駅降りてビックリしたのは、3DKマンション『190万円』の広告でした
オープンハウスでしたので、付近散策し見に行きました
UR都市機構(旧日本公団)が分譲したマンションで、駅から徒歩約7分便利で環境の良い場所です
私は、購入予定ないので、室内はみておりません
日本は、人口が減少し、今後少し遠方の一戸建、マンションも値下がりするのでしょうね?
















小室町(写真のマンション画像は売りマンションとは関係有りませ)((ネット他より画像引用)

小室の歴史
小室は古い歴史を持つ土地で、9千年前の縄文時代早期の遺跡が見つかっています
小室という名称は、約千年前に誕生し使われ続けています
小室は、ニュータウンの街となっていますが、鎌倉時代から続く古い集落です
日蓮宗の本覚寺という古い寺があり、鎌倉の日蓮宗の古刹、本覚寺と同じです

小室の本覚寺の墓地
「大東亜戦争戦没者之霊」という慰霊碑があります
碑の題字を揮毫したのは、極東国際軍事裁判で終身刑となった元海軍大将の嶋田繁太郎氏です

小室町の過去の遺跡
区画整理途中、畑跡地から太刀・刀子と勾玉が発見・発掘されました(6世紀頃の物?)
太刀は、この地域を治めていた領主の統治権を表す象徴的な剣だったのではないか?
勾玉や管玉とは時代が違うことから詳細は不明です
船橋市教育委員会では「印旛沼を支配していた勢力との関係も?」として調査を進めています
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敗者の日本史(天草四郎)

2016年08月14日 | 歴史上の人物
天草・島原地方で起きた民衆の反乱

天草・島原地方は、キリシタン大名の領地で、キリシタン信仰は根強く残っていた
藩主松倉重政・寺沢広高の入部後は、キリシタンへの迫害が強まり、過重な年貢を賦課するようなる
松倉重政の息子、勝家のキリシタン弾圧策は峻厳をきわた
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください








天草四郎(ネットより画像引用)

天草四郎(天草・島原の乱の”旗頭”)
『四郎殿』を”旗頭”に、信仰の自由を求めて、反乱を起こした島原・天草地方の民衆
酷な年貢と宗教弾圧に抗つた長期籠城は、凄惨な壊滅戦になる

キリシタン大名有馬・小西に仕えた5人の牢人が起こした反乱
牢人5人は、談合し、有馬地方の代官を殺害する
一揆勢は、『四郎殿』を”旗頭”に一斉に蜂起する
将軍家光は、討伐の為板倉重昌を派遣する
一揆勢は攻められ原城に籠城
幕府軍は、籠城した城を攻撃するが、一揆勢の抵抗は強固で、板倉重昌は敗死した

全滅した一揆勢
板倉重昌敗死を知った家光は、一揆処理の上使として松平信綱を派遣
松平信綱は、全九州大名を動員、オランダ商館長の参戦も得て砲撃などで追い詰める
一揆勢の中で、無理 つれてこられた農民たちの離反が見られるようになった
幕府の軍勢 の総攻撃により、一揆勢の大半は殺害された
原城は落城し、天草四郎も原城で最期を迎えた

一揆終結後の幕府の処置
将軍家光は、松倉勝家を改易し、江戸で武士としては異例の斬首刑に処す
幕府は、キリシタンの摘発と処罰を強化し、宗門改め制度を徹底化した
信仰を捨てなかったキリシタン民衆は、潜伏し大規模な幕府摘発を受けながらも存続した

一揆勢が籠つた原城
原城は、有明海に張り出す岬にあつた
籠城軍は、海からやつてくるポルトガルの援軍を待った?
原城は「元和の一国―城令」により廃城になる

松平信綱
武蔵国忍藩主、川越藩初代藩主を経て、将軍・家光のときに幕府老中
才知から、「知恵伊豆」とも呼ばれた

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