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心意気
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敗者の日本史(天草四郎)

2016年08月14日 | 歴史上の人物
天草・島原地方で起きた民衆の反乱

天草・島原地方は、キリシタン大名の領地で、キリシタン信仰は根強く残っていた
藩主松倉重政・寺沢広高の入部後は、キリシタンへの迫害が強まり、過重な年貢を賦課するようなる
松倉重政の息子、勝家のキリシタン弾圧策は峻厳をきわた
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください








天草四郎(ネットより画像引用)

天草四郎(天草・島原の乱の”旗頭”)
『四郎殿』を”旗頭”に、信仰の自由を求めて、反乱を起こした島原・天草地方の民衆
酷な年貢と宗教弾圧に抗つた長期籠城は、凄惨な壊滅戦になる

キリシタン大名有馬・小西に仕えた5人の牢人が起こした反乱
牢人5人は、談合し、有馬地方の代官を殺害する
一揆勢は、『四郎殿』を”旗頭”に一斉に蜂起する
将軍家光は、討伐の為板倉重昌を派遣する
一揆勢は攻められ原城に籠城
幕府軍は、籠城した城を攻撃するが、一揆勢の抵抗は強固で、板倉重昌は敗死した

全滅した一揆勢
板倉重昌敗死を知った家光は、一揆処理の上使として松平信綱を派遣
松平信綱は、全九州大名を動員、オランダ商館長の参戦も得て砲撃などで追い詰める
一揆勢の中で、無理 つれてこられた農民たちの離反が見られるようになった
幕府の軍勢 の総攻撃により、一揆勢の大半は殺害された
原城は落城し、天草四郎も原城で最期を迎えた

一揆終結後の幕府の処置
将軍家光は、松倉勝家を改易し、江戸で武士としては異例の斬首刑に処す
幕府は、キリシタンの摘発と処罰を強化し、宗門改め制度を徹底化した
信仰を捨てなかったキリシタン民衆は、潜伏し大規模な幕府摘発を受けながらも存続した

一揆勢が籠つた原城
原城は、有明海に張り出す岬にあつた
籠城軍は、海からやつてくるポルトガルの援軍を待った?
原城は「元和の一国―城令」により廃城になる

松平信綱
武蔵国忍藩主、川越藩初代藩主を経て、将軍・家光のときに幕府老中
才知から、「知恵伊豆」とも呼ばれた


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