旅にしあれば

人生の長い旅、お気に入りの歌でも口ずさみながら、
気ままに歩くとしましょうか…

沈没寸前だった日本沈没と復活の日が復活

2021-12-13 19:03:00 | 図書館はどこですか



旅先で途中まで読んでいた小松左京さん作の「日本沈没(下巻)」と「復活の日」を
地元の図書館でお借りして完読しました。


日本沈没は旅先で読んでいた版とは異なり、2006年に小学館文庫として再発売された
もののようです。カバーイラストなど装丁が違いますが、上下巻の区切りなど、構成は
ほぼ変わらないみたいです。

これほどまでに読み進めるのが怖いと感じた小説は、今までなかったと思います。絵空事、
物語の中の世界だとわかっていても、あまりにもリアルに迫ってくる内容にのめり込むと、自分が
沈みゆく国「日本」で右往左往している感覚に陥り、これはどうしたことだろうかと我に返り、
時々現実世界に立ち返ることで、今日本が沈んでいるわけではないのだと、言い聞かせ落ち着きを
取り戻すもつかの間、再び読み始めると恐怖心が蘇り襲ってくる…を何度も繰り返しました。

これは、この小説が発表された後、阪神淡路、東日本大震災という未曾有のふたつの大災害を
遠くからではありますが同時体感し、ここで描かれる災厄に見舞われる日本の姿が生々しく重なる
ことがひとつの要因でしょう。それと、物語内で登場する各種精密機器等の最新装置、たとえば
3Dディスプレイとか測定機器、コンピューター関連機器などの記述や、さらに舞台設定として
登場する成田空港、関西国際空港(当時運営はおろかまだ完成すらされていなかったはずです)
などなど、50年近く前に発表された作品からとすると、はるか先を見通していたとしか
考えられない記述が随所に見られるなどし、古さをあまり感じさせないことも、現世と照らし
合わせてタイムラグを感じさせず現実味を帯び、恐怖心がさらに増すのではないでしょうか。

リアルタイムで読まれた方々は、近未来世界としてこの小説を受け止めていたんですかね。当時と
違い、ソ連が消滅、中国が台頭し大国化するなど世界情勢も変化、物語中スマホはおろか携帯電話
すら登場しないなど、未来の社会情勢がすべて予測され、描ききられているわけではないにせよ、
世界における日本の立場、日本を取り巻く状況などに大きな変化はないことで、時代錯誤感を
ほとんど感じさせずに物語にのめり込んでしまい、日本が沈みゆく際に、真摯に向き合い、手を差し
伸べてくれる国がはたしてあるのだろうかと、登場人物たちと共に暗夜行路を行く気分なのです。

映像化された作品を見て結末はわかっているはずが、終章に向かうにつれ、胸を締め付けられる
ような緊迫感が増殖するばかりでした。そしてその結末は、原作ではより辛辣に描かれ、厳しい
末路が用意されています。主人公の小野寺をはじめ、主要登場人物にはできたら無事に日本から
脱出してほしいと願いましたが、はっきりとどうにか生存が確認できるのは二名のみ、あとは
生死が不明だったり、海外へ逃げのびたものの、心身ともにダメージがひどく、衰弱しきっての
脱出だったことが示唆されるなど、悲劇性がより助長された物語の締めくくりです。

映画の結末もけっして楽観的なものでなかったにせよ、もう少し希望を持たせた終わり方だった
ように記憶しており、この小説版での締めくくりを読むにつけ、さらに心が痛み、いたたまれなく
なりました。沈没するかどうかはともかく、現在日本列島では震度4前後の地震が頻発するなど、
地震活動活性期に入ったようにも思え、それでなくとも落ち着かないところに加え、異常気象が
日常的となり、ウィルス蔓延など不穏な社会情勢が否が応でも増すばかりなので、今さらながら
このいにしえの空想科学作品を、まったく他人事として読むことができないのかもしれません。
つい先日も地元和歌山を含め震度5弱の揺れが続けて起こり、トカラ列島で地震が頻発するなど、
毎日どこかの地震のニュースを見聞きしている気がします。

大きな震災を経験しながらも、日本全体で見れば、とれる対策には限りがあるというか、さほど
進歩はしていないように思え、いざというときには、命を守る行動をとるしかないのでしょうか。


時節柄さらに恐ろしくタイムリーな復活の日では、この二年ほど報道でもたらされた医者や看護師が
疲弊し、患者が多すぎて医療施設へ収容できない様子などが、ここでも先読みしていたとしか思えない
タッチで描かれており、物語では事態はさらに悪化、ウィルス蔓延に対する対策をたてられないうちに、
結局人類のほぼすべてが地上から姿を消します。

映像化された作品はテレビでチラッと一部を見ただけなので、もはやほとんど内容は忘れ去っていますが、
やはり映画版はラストがわずかながら希望を持てるような終わり方だった覚えがあるので、比べると
原作はかなりシニカルに終了します。オリビア・ハッセーのような美女も登場しないしね。

オリビアさんはともかく、両作品を通じて感じるのは、これら二編の作品では女性の描かれ方がずいぶん
希薄だということです。これは、物語の特殊性(どうしても活躍するのが男性中心になりうる)と、
発表されたのがともに1960年台と古いことが影響しているようで、しかしもし仮に現在同じような作品が
生まれるとするなら、間違いなく中心メンバーに女性も加わるでしょうから、その点、鋭い先見の明が
あった小松さんでも、のちに女性の社会進出がここまで進むことを予見できなかったのは確かでしょう。
復活の日では女性はたった16名しか生き残らない設定ですが、おそらくはこの数字も今日ならば160名、
あるいは1600名と、桁違いに修正され、物語の進行にも若干変更が加えられる可能性もあり得ますかね。

ただ、個人的にこの小説に物足りなさを感じたのは、ずばり『復活の日』の章として、人類滅亡後に
わずかに生き延びた人々が再生を目指す物語が全体の四分の一ほどしか記載がなく、逆に、いかにして
滅亡に至ったかの経緯が他の大部分を占めている点です。現況我々現在人が小説さながらにウイルスと
戦っていることを鑑みると、より現実味があるのがその経緯を描く章になるわけですが、私の興味としては
ザ・デイ・アフターにあったので、いつそれが始まるのやらと読み進めるうちにどんどん残りページ数が
少なくなり、結局生き残った人々のその後の姿が描かれるのは、ストーリー全体からすると少ししか
なかったのが不満でした。


なので、小説としての完成度の高さからすると、私からは日本沈没のほうをより強くお勧めしたいところ
です。そうとはいえ、どちらも近未来の現実を見透かしたように書かれた恐ろしくかつ面白いSF小説に
違いなく、未読の方は、図書館で借りるなどし、お読みになられてはいかがでしょうか。

コメント
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