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目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

格好いいとは… 60億Kmを旅して-「はやぶさ」の帰還、そして新たなる旅立ち-(その7)

2010-08-08 00:37:15 | 自然の海
           ※ JAXA 臼田宇宙空間観測所の管制室
                  (TOP画像提供:JAXA)


日時:平成22年7月8日(木) 午後4時~5時
場所:NEC関西支社(大阪市OBP内)
講座タイトル:NECソリューション公開講座 in 関西2010
       「『はやぶさ』の帰還、そして新たな旅立ち」
話者:小笠原雅弘(日本電気航空宇宙システム株式会社 
                   宇宙・情報システム事業部)

サブタイトル:
 2010年6月13日、深夜。
 ウルル・カタジュの上空を二条の流れ星が西から東へ流れた。
 一個は途中で爆発を繰り返しながら砂漠の闇に消えていった。
 そして小さな輝きだけが残った。
 60億Kmもの旅をして「はやぶさ」が届けてくれたものは…



■見えない、絆
ここで。
はやぶさが行方不明となっていた時の状況を、軽く俯瞰しよう。



以前にも、川口プロマネが大阪でのタウンミーティングに
見えられた際に。
はやぶさが行方不明になっている間も、運用班のメンバーは
必死に彼を探し続けてくれていたという話をしていただけた

ことがあった。

何せ、はやぶさ本体が少し大きめの業務用冷蔵庫ほどの大きさしか
ないのである。

搭載できるバッテリーの容量にも、当然限りがある。
その内蔵バッテリーによる活動限界時間は、僅か約30~40分。

もし、姿勢制御が出来なくなって、太陽電池パドルを太陽の方向に
きちんと向けることができなくなれば。

はやぶさの命の源である電気を生み出すことが出来なくなる、と言う
ことであり。

それは、はやぶさにとって。
アンビリカブルケーブルの切断と、30~40分後に訪れる死の宣告に
等しい状況に陥ったことを意味する。


彼をロストした時点で、JAXA管制室はその運用管制フェーズを、
通常の運用モードから救出モードへと移行。

以降、行方不明となったはやぶさに対して、返信を求めるビーコンを
送出し続けることが管制運用の唯一の仕事となる。

そして。
これこそが、上述した運用班の人の仕事である…。


確かに。
はやぶさには、そうした事態に備えて、姿勢制御を自動で復旧させる
ために、慣性主軸安定運動(俗に言う、味噌擂り運動)によって、
姿勢を安定させるような設計が為されていたことは事実であり。

そして。
メカニカルな部分が問題なければ、電力が枯渇していたとしても、
いずれ姿勢安定後に、彼の太陽電池パドルに日が当たるタイミングが
くれば、はやぶさがこちらからの呼びかけに応えることも有るかも
しれないと想定されていた。


実際。
彼を再発見したときの、JAXAの公式発表では。

復旧の確度はかなり高いと想定していたとして記載されている
(※ 上記リンクにおける、はやぶさタイムスケジュールの
             2005年12月14日欄を参照)

また。
復旧の見通しがついた時点で行われた川口プロマネの記者会見では、

 「信じられなかった。
  予想よりもずっと強い電波で入感してきたから。」

という表現を用いられており。

川口プロマネも、やはりはやぶさを再発見する勝算は十分にあると、
踏んでいたと言うことか、とも思う。



ただ。
それでも、尚。

いつ来るか分からない、”その時”のために。
毎日、どこにいるやとも知れぬはやぶさに向かって、ビーコンを
打ち続ける運用班の方々の思いは、如何ばかりだったかと思う。

恐らくは、はやぶさを擬人化し。

 頑張れ!
 俺達は、ここにいるぞ!
 きっと、お前を見つけ出してやるぞ!

と、毎日語りかけながら、作業をされていたに違いないと思うのだ。


そして。
そうした思い入れや感情を、内包しながらも。
インタビューに対しては、その思いのたけを晒すことなく。

淡々と、「仕事、ですから」と言い切った。

その方々の姿勢が、格好いい!と思ってしまった所以である。





僕のブログの中でも、はやぶさを”彼”として脳内で擬人化して
つい表記している。

正直。
これは、ロジカルな反応とは言えないだろう。

それでも。
ここまで様々な困難に直面し、かつそれを克服してきたはやぶさが、
アルミやシリコン、その他の無機質の塊と割り切って見ることは、
僕には出来やしない。

ただ。
そうして、無責任に自分の感情の迸るままに想いを書き散らせばよい
市井のブロガーとは、当然まったく異なるスタンスが運用サイドには
求められることもまた、事実である。



実際。
氏の語るエピソードを聞いて。

今年の6月13日。
あの、彼の地球帰還の日に。

twitterの宇宙クラスタ有志の面々と訪れた、はやぶさ地球出立の
聖地・内之浦。

そこで出会った内之浦宇宙空間観測所の運用班の方とお話しする
機会を得て。

その方の言われていた、「特定の衛星に、思い入れは持たない」
という言葉を思い出していた。

あの時、あの運用班の方が仰りたかったことは、そうした過度の
感情移入は運用時の判断の妨げになるから、ということだった
のだろうと自分なりに理解し、先ほどの氏の紹介していただいた
話とリンクした次第である。


ただ…。
あの、川口プロマネですら。

最後の最後に、はやぶさに対して”彼”と呼びかけたのだから。

僕のような市井のはやぶさの一ファンとしては、普段からそうした
想いをブログ等でばらまいてしまうこともまた、むべなるかなと
開き直ってしまう次第である。



そして。
そうした、運用班の仕事の累積の末に。

2006年1月23日。
はやぶさとの通信が、回復。

そこからが、彼の”故郷への長い旅”が始まりである。


(この稿、続く)


はやぶさと宇宙の果てを探る (洋泉社MOOK)
二間瀬 敏史
洋泉社

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