壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

竹の子

2008年04月28日 21時14分37秒 | Weblog
 其角とともに、江戸蕉門の双璧と目される嵐雪は、承応三年(1654)、江戸湯島に生まれた。幼少より武家奉公をつづけることおよそ三十年。そのかたわら、二二、三歳ごろから芭蕉の門人となり、俳諧の道に励んだ。
 嵐雪、四一歳ごろの作に、
       竹の子や児(ちご)の歯ぐきのうつくしき
 という句がある。季は「竹の子」で夏。

 『近世俳句俳文集』によると、この竹の子は根曲竹で、今の竹の子とは異なり、とうもろこしを食べるように、皮をむいたままのものを茹で、かぶりつくようにして食べたのであろう、という。

 多くの注釈書は、この句の典拠として、『源氏物語』横笛の巻にある、
  「御歯の生ひ出づるに食ひあてんとて、筍(たかうな)をつと握り持ちて、
  雫もよよと食ひ濡らし給へば」
 の部分をあげている。
 これは、幼い薫の君の有様を描いたもので、古来、有名な文章である。
 『寂聴源氏』では、
  「若君は歯が生えかけているので、物を噛もうとして、筍をぎゅっと握り
  しめて、口に当て涎をたらたら流していらっしゃいます」
 と、訳されている。

 芭蕉も、
     「たかうなや雫もよよの篠(ささ)の露」
 と、詠んでいる。
 『源氏』の上記の部分を裁ち入れ、「節々(よよ)」と「夜々(よよ)」の掛詞として用いたものである。
 人々によく知られた古典の詞句の一部分を裁ち入れることで、古典的気分と庶民的感覚との重層を生み出す、当時の常套的発想である。
 「筍が勢いよく伸びている。これは篠の節々にたまった露のしたたりを夜ごと夜ごと受けて、このように成長したものであろう」の意。

 芭蕉の「たかうなや」の句が詠まれたのは、嵐雪の「竹の子や」の句より十数年前である。嵐雪が、この芭蕉の句を知っていて、わざとその手法を真似たとは思えない。
 私にはむしろ、『枕草子』の「うつくしきもの」の方が強く連想される。
 その本文は、きのう書いた通り「うつくしきもの。瓜に描きたる稚児の顔」云々で、「竹の子」は出てこないが、「ちご」ということばが六回も繰り返される。そして「なにもなにも、小さきものは、みなうつくし」ということになる。
 『枕草子』の「うつくしきもの」に、『源氏物語』の「たかうな」、つまり「竹の子」が二重写しされていると、見てもよいのではなかろうか。

 もう一つ、多くの注が「うつくしき」を単に「美しい」と書いているのは如何なものか。ここはやはり古語として、「かわいい」「愛らしい」と解釈したい。
 「たけのこを手に握って食べている幼子の歯ぐきが、実に愛らしく見える」と。


      笑ふ山 目よりうろこの落ちにけり     季 己