壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

西新井大師の牡丹

2008年04月22日 23時49分19秒 | Weblog
 昼食後だしぬけに、「西新井大師へ行きたい」と母が言うので、お大師様へ連れて行った。
 西新井大師は、正式には五智山遍照院総持寺といい、真言宗豊山派の寺である。
 今から1180年ほど前、弘法大師が巡錫の折、この地に立ち寄り、悪疫流行に悩む村人を救わんと、21日間の祈祷を行なった。すると、枯れ井戸から清らかな水が湧き出て、悪疫はたちどころに治まったという。
 その井戸が、お堂の西側にあったことから、「西新井」の地名ができたと伝えられている。
 西新井は、お大師様と切っても切れない関係を持っている。

 合掌してから、趣のある山門をくぐり、本堂へ向かう。
 本堂は現在、改修工事中のため、ぐるりをシートで囲まれて、中へ入ることはできない。
 特設の賽銭箱にお賽銭を入れ、母の長寿と日頃の健康を感謝し、真言を唱える。

 「西の長谷寺、東の西新井」と言われるように、西新井大師は、牡丹の名所である。
 長谷寺は、真言宗・豊山派の総本山で、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある。もちろん牡丹の名所で、150種、7000株が植えられ、東洋一の牡丹寺といわれている。
 総本山長谷寺から移植され、西新井大師に“ぼたん園”が出来たのが、今からおよそ200年前のことという。
 
 西新井大師には5ヶ所の“ぼたん園”があると、案内板に書いてあるが、4ヶ所しか見つからなかった。
 全部で、100種、4500株の牡丹が植えられ、寺社では関東一の規模だという。最も大きい“第2ぼたん園”が、遊歩道も整備され、見ごたえがある。これから咲くのもあるが、今が一番の見頃であろう。

 「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」とは、美人評のこと。
 芍薬は、じつの姿は牡丹とかわらない。だが、中国の詩においては、春に男を野に誘い、恋を楽しんだ女が、別れに男から贈られる花としてうたわれている。いわば、触れなば落ちんという女を連想させる。
 牡丹は、国一番の美女、つまり楊貴妃を連想させ、「花の王」とか「富貴草」と呼ばれる。一点の隙もないゆったりとした落ち着きと、汲めども尽きぬあでやかさに満ちた美しさがある。
 「楊貴妃」という牡丹もあったが、わたしは「蓮鶴」が最も好きだ。八重咲の中輪で、花弁は雪白色の「連鶴」は、純白色の品種の中では、容姿も最もすぐれていると思う。

 母のおかげで、すてきな花見ができたことに感謝。
 その母も疲れたらしく、今日はいつもより一時間早く、ベッドにもぐりこんだようである。


      ははそばの母にくづるる白牡丹     季 己