壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

なまぐさし

2010年08月30日 22時09分14秒 | Weblog
        なまぐさし小葱が上の鮠の腸     芭 蕉

 『笈日記』に、支考がこの句に注目して、「残暑なるべし」と述べたところ、「翁もいとよしとは申されしなり」と伝えている。こうした実景の生々しい把握を通して、残暑の本意に迫ったところに、晩年の芭蕉の「軽み」への展開の足どりをうかがうこともできる。
 『笈日記』には、元禄七年の夏、芭蕉が、京の去来宅(桃花坊)に滞在したとき、弟子たちが寄り集まってよもやま話をしていた際に出来た句で、この句が残暑(秋)の句であると記されている。
 ただし、芭蕉の桃花坊滞在は、夏五、六月の変わり目なので、残暑を詠んだこの句の年代は、元禄六年以前ではないかと思う。

 「なまぐさし」は、素丸の『説叢大全』によれば、『十六夜日記』に
        浦人のしわざにや、隣よりくゆりかかる煙、いとむつかしき
        にほひなれば、「夜の家門(やかど)なまぐさし」といひける
        人のことばも思ひ出でらる」
 と引かれた『白氏文集』によるものかという。
 「小葱(こなぎ)」はミズナギともいい、水田や沼沢に生ずる一年生の水草で、形は水葵に似て小さく、長い柄のある卵形の葉を叢生する。晩夏・初秋のころ、頂に深碧色の花をつける。
 「鮠(はえ)」は、鮎に似た細長い魚で川に棲む。柳の葉に似ているので、柳鮠ともいう。

 季語は「小葱」で秋。実景に即した句であると思われ、鮮やかな感触のある句である。

    「秋に入って、水辺の小葱も花をつけているが、その密生した葉の上に
     釣り捨てられた鮠が、腸(わた)をはみだしてなまぐさい臭いを発して
     いる。それがいかにも残暑のいぶせさを感じさせる」


      湯の里にかがみ女の売る白桃     季 己