壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

御遷宮

2010年08月21日 23時03分33秒 | Weblog
          内宮はことおさまり、外宮は遷宮
          拝み奉りて
        たふとさに皆押しあひぬ御遷宮     芭 蕉

 内宮(ないくう)の遷宮に間に合わなかったが、外宮(げくう)の遷宮には間に合って、ようやくその思いを果たして詠んだのがこの句である。
 芭蕉はかつて、
        何の木の花とは知らず匂ひかな
 と詠んでいるが、それは、ひとりつつしむ心であった。今度の作は、多くの人々の中に身を置いて、それと一つになりながら味わっているところに余裕が感じられる。元禄二年(1689)九月十三日作。

 「御遷宮(ごせんぐう)」は、伊勢神宮の式年遷宮のこと。伊勢神宮の場合は、前遷宮年を第一年とする二十年目に、旧社殿の隣接敷地で行なうのを、奈良朝以来の定めとしていた。中世末の中絶期を経て、慶長十四年(1609)の遷宮以後は、二十一年目に行なわれるようになる。これが式年遷宮で、ほかに臨時の遷宮もあった。
 また、初めは内宮(皇太神宮)造替えの二年後に外宮(豊受大神宮)を遷したが、後には同時に行なわれるようになった。日取りも、儀式の中心となる御霊遷奉が、内宮は九月十六日夜、外宮は同十五日夜を定めとしていたが、後には、あらかじめ吉日を卜(ぼく)して定めるようになった。
 この年の場合は、内宮は九月十日(陽暦・十月二十二日)、外宮は九月十三日であった。芭蕉の山田着は九月十二日、前書にもあるように、内宮には間に合わず外宮の遷宮を拝したもの。

 季語は「(伊勢)御遷宮」で秋季。御遷宮を拝する人に焦点を合わせた発想。季語に用いた例としては古い。ちなみに、次回「第62回式年遷宮」は平成25年。平成17年からそのための諸祭・行事が進行中である。

    「伊勢の御遷宮の尊さを目にしようとして、あふれるように集まった人々が、
     皆、押し合いながら拝したことである」


      石たたきうれしきときは石たたく     季 己