壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

心敬さんの声

2010年08月20日 20時24分09秒 | Weblog
 『ささめごと』の、「昔と中ごろの連歌」の項を読むたびに、心敬さんの声が聞こえてきます。

        俳句は、自然と自分とのかかわりを詠うもの。季語の心、つまり、
       季感を忘れて、ただいたずらに美辞麗句を並べ立てたり、しゃれた
       表現をしようなどと考えてはだめなの。季語は飾り物ではないのじゃ。
       季語のそなえ持っている季感に、おのれ自身の心を通わせ、そして
       心を季感に沈潜し、おのれの周辺を見渡すのだ。
        そうして、心にうったえてくるものや、おのれの実感を季語と結び
       つけ、具体的に表現する。観念語を使ったり、こけおどし的なことば
       を使うと、句が死んでしまうの。実感として季節を感じ、一字一句を
       おろそかにせず、簡潔に表現することが大切なのじゃ。
        つまりだな、俳句は、自分の心情や感動を、具体的なモノ(季題)
       に託して、うたいあげるものなの。

        連歌では「捨て所」が急所であったが、俳句では「省略・単純化」が
       命なの。ただ、捨てて、捨てて、すべて切り捨てた結果としての単純で
       なければいけないんだな。
        「いいおおせて何かある」。省略がきけばきくほど、読む者の想像が
       広がってくるのじゃよ。だが、省略された部分が、ほのかに思い浮かぶ
       ような省略でなければならない。ここが難しいんだな。

        もう一つ教えておこう。「俳句は愛情」。これを忘れてはいけないよ。
       この世に存在するすべてのものに、濃やかな愛情をもって接すること。
       そして何よりも、自分自身に対しても愛情を持つこと。
        これらが名句の特色、つまりは、俳句を作るコツなのじゃよ。


 ――好中球が2週間で、750から2050にまで回復した。
 抗ガン剤から解放されたこの2週間、連日の猛暑にかかわらず、体調は絶好調。だが外出は?
 この抗ガン剤は、直射日光に当たると、皮膚が黒ずんでくるので、外出はなるべく控えるようにしている。美術館・博物館はもちろん、画廊めぐりも……、もっともこの時期、夏季休廊が多いが。
 今朝、9時20分に家を出て、帰宅したのが午後6時10分。長~い“待ち”の一日であった。
 都バスを乗り継いでの通院だが、渋滞で、チョロッと動いたかと思うと、またしばらく動かない。やっと病院に着くと、患者が多くて、診察待ち、抗ガン剤の調剤待ち。おまけに点滴の落ちる速度が遅く、いつもより1時間ほど長くかかった。もう一つおまけに、主治医が、持ち帰りの薬の入力を忘れたため、また30分ほど待った。そして会計は、9万7920円也。
 絶好調の身体に、一日かけて抗ガン剤治療を受け、体調を不調にする。にっくき癌を押さえ込むためとはいえ、これからの2週間を考えると……。だが、来週あたりから夏季休廊も明け、「美術の秋」のシーズンに入る。
 そうだ、大好きな岡本真枝さんの個展が、23日(月)から「画廊 宮坂」で始まる。これを一本目の電信柱にすることにしよう。

      奈良に見しひとひらの雲 秋はじめ     季 己