なまぐさし小葱が上の鮠の腸 芭 蕉
『笈日記』に、支考がこの句に注目して、「残暑なるべし」と述べたところ、「翁もいとよしとは申されしなり」と伝えている。こうした実景の生々しい把握を通して、残暑の本意に迫ったところに、晩年の芭蕉の「軽み」への展開の足どりをうかがうこともできる。
『笈日記』には、元禄七年の夏、芭蕉が、京の去来宅(桃花坊)に滞在したとき、弟子たちが寄り集まってよもやま話をしていた際に出来た句で、この句が残暑(秋)の句であると記されている。
ただし、芭蕉の桃花坊滞在は、夏五、六月の変わり目なので、残暑を詠んだこの句の年代は、元禄六年以前ではないかと思う。
「なまぐさし」は、素丸の『説叢大全』によれば、『十六夜日記』に
浦人のしわざにや、隣よりくゆりかかる煙、いとむつかしき
にほひなれば、「夜の家門(やかど)なまぐさし」といひける
人のことばも思ひ出でらる」
と引かれた『白氏文集』によるものかという。
「小葱(こなぎ)」はミズナギともいい、水田や沼沢に生ずる一年生の水草で、形は水葵に似て小さく、長い柄のある卵形の葉を叢生する。晩夏・初秋のころ、頂に深碧色の花をつける。
「鮠(はえ)」は、鮎に似た細長い魚で川に棲む。柳の葉に似ているので、柳鮠ともいう。
季語は「小葱」で秋。実景に即した句であると思われ、鮮やかな感触のある句である。
「秋に入って、水辺の小葱も花をつけているが、その密生した葉の上に
釣り捨てられた鮠が、腸(わた)をはみだしてなまぐさい臭いを発して
いる。それがいかにも残暑のいぶせさを感じさせる」
湯の里にかがみ女の売る白桃 季 己
『笈日記』に、支考がこの句に注目して、「残暑なるべし」と述べたところ、「翁もいとよしとは申されしなり」と伝えている。こうした実景の生々しい把握を通して、残暑の本意に迫ったところに、晩年の芭蕉の「軽み」への展開の足どりをうかがうこともできる。
『笈日記』には、元禄七年の夏、芭蕉が、京の去来宅(桃花坊)に滞在したとき、弟子たちが寄り集まってよもやま話をしていた際に出来た句で、この句が残暑(秋)の句であると記されている。
ただし、芭蕉の桃花坊滞在は、夏五、六月の変わり目なので、残暑を詠んだこの句の年代は、元禄六年以前ではないかと思う。
「なまぐさし」は、素丸の『説叢大全』によれば、『十六夜日記』に
浦人のしわざにや、隣よりくゆりかかる煙、いとむつかしき
にほひなれば、「夜の家門(やかど)なまぐさし」といひける
人のことばも思ひ出でらる」
と引かれた『白氏文集』によるものかという。
「小葱(こなぎ)」はミズナギともいい、水田や沼沢に生ずる一年生の水草で、形は水葵に似て小さく、長い柄のある卵形の葉を叢生する。晩夏・初秋のころ、頂に深碧色の花をつける。
「鮠(はえ)」は、鮎に似た細長い魚で川に棲む。柳の葉に似ているので、柳鮠ともいう。
季語は「小葱」で秋。実景に即した句であると思われ、鮮やかな感触のある句である。
「秋に入って、水辺の小葱も花をつけているが、その密生した葉の上に
釣り捨てられた鮠が、腸(わた)をはみだしてなまぐさい臭いを発して
いる。それがいかにも残暑のいぶせさを感じさせる」
湯の里にかがみ女の売る白桃 季 己