絵のタイトルは、どのようにして決めるのだろうか。
絵が先か、タイトルが先か。
おそらく、描きあがってからつけるのが多いと思うが、どうであろうか。
「ストールの裸婦」、「思い」、「ストールをまとう裸婦」、「感」、「希う」、「想い」、「青いワンピース」、「ひととき」、「かなた」、「惟る」。
以上は、『木原和敏個展』の作品タイトルである。
「ストールの裸婦」、「ストールをまとう裸婦」、「青いワンピース」の3点は、誰が見ても、解りすぎるくらい解るであろう。
問題は、これら以外の作品のタイトルだ。
「感」と「希(こいねが)う」は、どう違うのだろうか。見るではなく、よく観れば、「希う」のほうが「感」より、何かを望んでいるように感じられる。
「ひととき」と「かなた」では、目線が若干違っている。「かなた」は確かに、はるかかなたを望んでいるように観える。
では、「惟る」と「想い」「思い」とは、どう違うのか。「惟(おもんみ)る」とは、“よくよく考えること”だからと思って観れば、そう観えなくもない。
だが、「想い」と「思い」になると、もうわからない。「想像」と「思考」と言う熟語を思い浮かべれば、言葉のうえでの違いはわかるが、絵の違いはわからない。
多分、木原先生に尋ねても、「フィーリング、直感ですよ」と、にっこりされるだけだろう。
そう、静かに、心を無にして、作品の前にたたずめばよいのだ。そして、作品を購入できれば、もっといいのだが…。
今回の個展に限って言えば、「青いワンピース」、「ストールをまとう裸婦」に木原先生の強い思い入れを感じた。
絵が先か、タイトルが先か。
おそらく、描きあがってからつけるのが多いと思うが、どうであろうか。
「ストールの裸婦」、「思い」、「ストールをまとう裸婦」、「感」、「希う」、「想い」、「青いワンピース」、「ひととき」、「かなた」、「惟る」。
以上は、『木原和敏個展』の作品タイトルである。
「ストールの裸婦」、「ストールをまとう裸婦」、「青いワンピース」の3点は、誰が見ても、解りすぎるくらい解るであろう。
問題は、これら以外の作品のタイトルだ。
「感」と「希(こいねが)う」は、どう違うのだろうか。見るではなく、よく観れば、「希う」のほうが「感」より、何かを望んでいるように感じられる。
「ひととき」と「かなた」では、目線が若干違っている。「かなた」は確かに、はるかかなたを望んでいるように観える。
では、「惟る」と「想い」「思い」とは、どう違うのか。「惟(おもんみ)る」とは、“よくよく考えること”だからと思って観れば、そう観えなくもない。
だが、「想い」と「思い」になると、もうわからない。「想像」と「思考」と言う熟語を思い浮かべれば、言葉のうえでの違いはわかるが、絵の違いはわからない。
多分、木原先生に尋ねても、「フィーリング、直感ですよ」と、にっこりされるだけだろう。
そう、静かに、心を無にして、作品の前にたたずめばよいのだ。そして、作品を購入できれば、もっといいのだが…。
今回の個展に限って言えば、「青いワンピース」、「ストールをまとう裸婦」に木原先生の強い思い入れを感じた。