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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

念仏

2011年10月20日 20時17分22秒 | Weblog
          美濃の国 朝長の墓にて
        苔埋む蔦のうつつの念仏かな     芭 蕉 

 「念仏」は「ねぶつ」と読む。
 謡曲「朝長(ともなが)」に、「夜更け人静まって後朝長の御声にて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と二声のたまふ……」とある最後の、自害の様が心にあって、朝長をあわれむ心が発想の契機になっているのであろう。
 語の選択については、『伊勢物語』の「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦楓は茂り、物心ぼそく……駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」に負うていると考えられる。

 「朝長の墓」は、源義朝の次男朝長の墓。朝長は平治の乱で負傷し、足手まといになることをおそれた父義朝の手にかかった人で、『平治物語』にその顛末が詳しい。墓は美濃国不破郡青墓村にある。芭蕉がこの地を通っているのは、貞享元年(1684)野ざらしの旅の折か、元禄二年『奥の細道』の旅の後かのいずれかであろうが、発想からみて、おそらく貞享元年であろう。

 季語は「蔦」で秋。

    「この非業の死を遂げた朝長の跡を弔うと、眼の前には、苔に埋もれ、
     蔦がおおった墓があるのみである。その前に立ちつくしていると、死
     にあたって唱えたという念仏の声が聞こえてくるような感じがする」


      櫨紅葉カヌーいづれも瀬を急ぎ     季 己

『去来抄』4 続・此木戸や

2011年10月19日 23時27分07秒 | Weblog
        此木戸や錠のさされて冬の月     其 角

 ――去来・凡兆のふたりを編集者として、元禄四年(1691)に刊行された俳諧撰集『猿蓑』は、「蕉門」一門の成果を世に問うための、今ふうにいえば、結社の合同句集である。
 編集者であるふたりは、共に京都に住んでいた。一方、其角は、江戸の人で、一句が成った元禄三年(1690)秋も其角は江戸にいた。
 芭蕉は、江戸深川の芭蕉庵を生活の拠点に定めたのであったが、元禄三、四年頃は、湖南、伊賀、京都を巡遊していた。
 したがって、居住空間を異にしていた其角は、〈此木戸や〉の句を、江戸から京都に送ったのである。ところが、〈此木戸〉の語が、其角の書き方が悪く、「此」と「木」が詰まって一字、つまり「柴」と読んでしまったのだ。

 横書きが主流となった現代でも、似たようなことが起こる。たとえば「仂」という字。これは「働」の異体字で、人名の場合多くは「つとむ」と読む。
 さて、「○○ 仂 様」と書かれた封筒を、「仂」という字を知らない人が「イカ」と二字に読んでしまい、読み間違われたご本人はそれ以来、「イカさま」「イカさま」と呼ばれ続けている、という話を聞いたことがある。
 俳句実作者も、投句に際しては、文字の書き方に十分注意していただきたい。

 上五を「柴戸や」と読み誤ったのは、去来と凡兆のふたりで、元禄八年一月二十九日付の許六宛去来書簡によれば、芭蕉は「此木戸や」と解していたことが分かる。
 この一条は、「柴戸」と「此木戸」、「霜の月」と「冬の月」のいずれを選ぶかという評価が交錯しているのだ。
 其角の原句は、「此木戸や錠のさされて霜の月」であったようだ。
 芭蕉は此木戸と解し、ためらわずに「冬の月」を選び、去来は芭蕉の意見に従っている。だが、凡兆は柴戸と此木戸に優劣を認めていない。
 では、柴の戸はなぜいけないのか。柴の戸から先ず思い浮かぶのは、山家か隠者の庵だろう。これに月を配すと、和歌や連歌、俳諧にもよく見られる平凡な景にしてしまう。俳諧としては何の発見も新味もない。第一、粗末な柴の戸に錠が必要であろうか。去来・凡兆ともあろう人が、どうして気づかなかったのだろう。

 次に、其角が悩んだ「霜の月」か「冬の月」か、ということが問題になる。

        此木戸や錠のさされて霜の月
        此木戸や錠のさされて冬の月

 この二つを比べて、取り合わせの点で、どんな違いがあるだろうか。
 「木戸」は、「城戸」とも書き、警戒のため市内の要所に設けた門、あるいは城の外郭の通路を遮る城戸(きど)をさす。市ヶ谷見附の大木戸あたりがふさわしく思う。
 去来は「此木戸」を城門として、その情景を思い描き、定番の俳諧趣味とは違う一種悽愴の趣のある句の世界を導き出している。
 「柴戸」と「此木戸」とでは、句のイメージががらりと変わってしまう。古い隠者趣味をなぞったものと、豪壮な異種の空間を創出したものとの違いは大きい。この違いが大きいからこそ、芭蕉は一字にこだわったのである。

 「霜の月」の方がより直接的で、夜気の厳しい感じは出る。しかし、これでは景を木戸や低い地面のあたりに限定するような感じがある。また、「霜」という語が目立って、錠のさされた木戸のあざやかな視覚性と、焦点が二つあるような感じになってしまう。
 それに対し、「冬の月」は、いかめしい木戸に配された冬の月によって、空間の拡がりが生じ、景は大きくなり、夜更けの荒涼とした情緒で照らし出すような印象があり、視点は錠のさされた木戸に集まる。つまり、「冬の月」は、背景から木戸の情緒を盛り立てる役目をすることになる。
 「冬の月」のこうした働きを、芭蕉はよいと思ったのである。
 
 当時の本は、筆で書いた版下を版木に貼って彫るものだが、『猿蓑』版本は芭蕉の指示に従い、埋め木して「こ乃木戸」と直した跡がうかがえる。ということは、出版はもう進んでいたのだ。芭蕉の筋のとおしかたはたいへんなものである。しかもそれが、自作ではなく、弟子の其角の句であるのにこれほどのこだわりをもったのだ。
 ここには、折角の良句を生かしてやりたいという思いのほかに、『猿蓑』という俳諧撰集に一句でも多くよい句を収録して、一門の成果を世に問いたい、という強い思いがあったのかも知れない。


      朝鵙はけして弱音は吐かぬもの     季 己 

『去来抄』4 此木戸や

2011年10月18日 17時36分34秒 | Weblog
        此木戸や錠のさされて冬の月     其 角

 去来と凡兆のふたりを編集者に、京都で俳諧撰集『猿蓑』を編んでいた時、其角が江戸からこの句を書き送って、「下五を‘冬の月’にしようか、‘霜の月’にしようか迷っています」といってきた。
 ところが、初めわたしたちは、上五の文字が詰まっていたため、「此木戸(このきど)」と読むべきところを「柴戸(しばのと)」と読んでしまった。
 先師(芭蕉)は「其角が‘冬の月’にしようか、‘霜の月’にしようか迷うような句でもない」とおっしゃって、‘冬の月’として『猿蓑』に入集した。
 その後、大津からの先師の手紙に、「あの句の上五は‘柴の戸’ではなく‘此の木戸’である。このようなすぐれた句は、一句でも大切であるから、たとえすでに出版していても、すぐに改めよ」と記してあった。
 この手紙を見て、凡兆は、「‘柴の戸’でも‘此の木戸’でも、大して変わりはないではないか」と言い、違いを認めようとはしない。
 これに対してわたし(去来)は、「この月を、柴の戸に配して見れば、ごくありふれた景色になる。この月を城門に移しかえて景を想像すると、その風情はしみじみとした情趣の反面、ぞっとするほど不気味で、何とも言いようのない雰囲気がある。其角が下五を‘冬’にしようか、‘霜’にしようかと迷ったのももっともだ」といった。


      衣被つるりと我も物忘れ     季 己

      ※衣被(きぬかづき=皮のままゆでた里芋)

気比

2011年10月17日 21時26分19秒 | Weblog
          気比の海
        国々の八景更に気比の月     芭 蕉

 観念が実体の支えを持っていない。八景のケイと気比のケイとが韻を踏んでいる作為的な発想だと思う。そのため極めて感動が弱い句になってしまった。

 「気比の月」は、気比の海にさす月の意味。「気比」は古の「笥飯(けひ)」で敦賀の古名だった。笥飯浦(気比の浦)は今の敦賀湾をさす。ここは前書から見て敦賀の海岸という意で、気比の松原あたりの海の景であろう。

 季語は「月」で秋。この「月」は実体を生かしていない。

    「近江八景などのように、国々にすぐれた景は多いが、更にそれに加えて、
     この気比の海の月は落とすことのできない景というべきだ」


      鰯雲さかなぎらひに風の吹く     季 己

ひぐらし

2011年10月16日 20時35分27秒 | Weblog
                   大伴家持
        隠りのみをれば いぶせみ 慰むと
          出で立ち聞けば来鳴く 寒蟬 (『万葉集』巻八)


 現在、「ひぐらし」は「蜩」と書くが、「茅蜩」とも書く。
 古典の世界では、「ひぐらし」は「寒蟬」あるいは「晩蟬」と書いた。日暮れに鳴くので、それが鳴くと暗くなるところから、それが鳴いて日を暗くするのだ、というように考えた。
 そういう常識をふまえて、佳品というべき作をなした歌に、
        寒蟬の鳴きつるなべに 日は暮れぬ
          と思ふは 山の陰にぞありける (『古今集』)
などがある。
 この歌の持っている、つれづれな、空虚で退屈な生活を考えると、その前に、ここにあげた家持の歌があることに気がつく。

 「いぶせみ」というのは、待ち遠しさなどのために、気分が晴れず、うっとうしい、つまり憂鬱さに、ということ。
 一日中じっと家の中に引っ込んでいて、憂鬱な気持ちが晴れない。それでたまらなくなって、その気持ちが少しはなだまるかと思って庭前に出て行った。そうしたら、ひょっと耳についたのが寒蟬の声だった、というのである。「出で立ち聞けば」といっても、聞こうとして出て行った、というのではない。

 いかにも小刻みな歌い方であるけれども、それがかえって、この歌の持っている細かな心の動きを示すのに効果がある。そこに、近代的な家持らしいところが出ている。この歌などは、家持の本領であって、家持の持っている文学の心が見られると思う。


      ひぐらしの来鳴き余命をもらひけり     季 己

我も行く人

2011年10月15日 21時10分32秒 | Weblog
        門を出れば我も行く人秋のくれ     蕪 村

 蕪村は、芭蕉が高野山で詠んだ、
        父母のしきりに恋し雉子の声
に対して、
        父母のことのみおもふ秋のくれ
の句をつくっている。であるから掲句は、芭蕉の
        此道や行く人なしに秋の暮
によって示された秋の暮の淋しさに匹敵する作を得ようと考えたに違いない。
 しかし、蕪村のこの句には、彼独特の詩情の優秀さがあることは事実としても、芭蕉の句とは本質を異にしているものである。
 芭蕉の句は、眼前の風景以上に人生的な寂寥感にまで到達しているが、蕪村の句は、安定と調和を得た実生活中での、ある夕暮れの一詩興である。
 蕪村の句には、詩情としての「淋しさ」はあるが、人生的な「孤独感」はない。

 「門」は「かど」と読み、家の外構えの門(もん)のこと。

 季語は「秋のくれ」。晩秋の意ではなく、秋の夕暮れの意。

    「秋の夕暮れの淋しさ。それも家にいる間はまぎれているが、
     一歩門を出て、往来を歩めば、自分も行き交わしつつ互い
     に無縁な行路者の一人に過ぎなくて、ことにもの淋しい気持
     がする」


      読書パソコン而うして夜長かな     季 己

えいさらえい

2011年10月14日 20時04分35秒 | Weblog
        松なれや霧えいさらえいとひくほどに     桃 青

 「えいさらえい」は、謡曲『岩船』の「引けや岩船……吹きよせよ、えいさ、えいさらえいさとおすや唐櫓の」とか、『百万』の「重くともひけやえいさらえいさと」、「牛の車のとことはに、何処(いずく)をさして引かるらん、えいさらえいさ」などをとり入れ、「ひく」に「引く」と「退(ひ)く」とを掛けたもの。謡曲的口調による発想である。
 
 「松なれや」は、さすがに松だと感嘆する意。
 「えいさらえい」は、物を引くときの掛け声。

 季語は「霧」で秋。

    「磯馴れた松にかかっていた霧が晴れてゆくにつれて、あたかも霧が
     えいさらえいと掛け声でもかけて、松を引いているように感じられる。
     しかし、さすがに松はどっしりとして動きそうにもない」


      秋ふかし大日如来の厨子ひらき     季 己

いづく時雨

2011年10月13日 22時30分16秒 | Weblog
        いづく時雨傘を手にさげて帰る僧     桃 青

 雫が垂れそうに濡れた僧の傘から想像して、「いづく時雨」と表現したあたりには、当時の口ぶりがわずかにうかがわれる。僧の姿からわびしい時雨の風情を描き出したところには、すでに蕉風的なものへの志向が現れはじめている。

 「いづく時雨」は、どこで時雨に遭ったものであろうか、の意。

 季語は「時雨」で冬。

    「このあたりは一向に時雨れていないが、いったいどこで時雨に遭った
     のであろうか。あの僧は濡れた傘を手にさげて帰って行くが」


      秋風に背押されて遠筑波     季 己

        ※背(そびら)=せなか

枯枝に

2011年10月12日 20時37分50秒 | Weblog
        枯枝に烏のとまりたるや秋の暮     桃 青

 自然の実景に感合して成った句ではなく、「秋の暮」の情趣を水墨画風の「寒鴉古木(かんあこぼく)という情景に見出したと興じているのである。
 『泊船集』には「秋のくれとは」という前書があるが、それだと句は、その問いに答えるような発想をとっていることになる。その点、後の『あらの』の句形
        かれ枝に烏のとまりけり秋の暮
は、純粋な自然観照の句となっている。だが、原句のもっていた「はり」が失われたようである。
 この句は、蕉風頓悟(とんご=修行の段階を経ずに、一挙に悟りを開くこと)の句として喧伝されているが、それは誇張であって、談林から蕉風への一過程を示すものにとどまる。談林の枠を出ていず、句の質としては、昨日の「夜窃かに虫は月下の栗を穿つ」のほうが、蕉風への源流をなすものであろう。
 しかし、こうして道具立てとして取り込まれた古典ないし漢詩文的なものが、内奥において摂取されるにいたり、蕉風が確立してくるのである。
 ちなみに、
        飛尽す烏一つづつ秋の暮     蕪 村
        けろりくわんとして烏と柳哉     一 茶

があるが、いずれも芭蕉のこの句が心にあったものと思われる。

 「秋の暮」が季語。暮秋の意ではなく、秋の夕暮れとしていわれているものであろう。

    「枯枝に烏が止まっているが、そのさまは、まことにさびしい限りであって、
     これこそ秋の暮にふさわしい趣であるよ」


      風ふるび露伴旧居の秋の冷え     季 己

夜窃かに

2011年10月11日 22時33分33秒 | Weblog
        夜窃かに虫は月下の栗を穿つ     桃 青

 「よるひそかに むしはげっかの くりをうがつ」と読む。
 漢詩的な発想、漢文的な表記、字余り、また「栗名月」ともよばれる十三夜の縁で、栗を取り出したあたりには、談林的なものの残滓を感じる。
 けれども、極めて小さい栗虫が、一心に栗の実の中を穿つということによって、後の月の冴えわたった明るさ、しずかさが異様なまでに生かされた作である。
 無辺に広がる十三夜の月光の世界と、目に見えぬ栗虫のいとなみとの対比のするどさ、実に後年の蕉風に発展する萌芽ともいうべきで、蕉風の萌芽とされて人口に膾炙(かいしゃ)した「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」の句よりも、はるかにするどい把握が見られる。

 なお、漢詩文調をはたらかすのは、貞門以来の主な発想の一つで、『毛吹草』巻一には「詩之詞」という項があって、「月影の遅きは雨や不老門」・「花をふむ人は少年の心かな」のような例を示している。こうした行き方が次第に発展して奔放に生かされ、後に漢詩文の内容が、それぞれの句に滲透するに至るわけである。

 「後名月」は九月十三夜の月。栗名月・豆名月・名残の月などともいう。
 「虫」は「栗虫」であろう。栗虫はクリシギゾウムシの幼虫。

 「後の名月」(栗名月)の句で秋。「月」・「虫」・「栗」すべて秋の季語。

    「九月十三夜のものみな月光を浴びた中に、栗の実が実っている。
     いま音もなく虫はその中を、ぐんぐん食い進んでいることであろう」


      ゆで栗の渋の離れぬ男かな     季 己
 

花木槿(むくげ)

2011年10月10日 20時40分50秒 | Weblog
        花木槿裸童のかざしかな     桃 青

 『新古今集』の、
        ももしきの 大宮人は いとまあれや
          桜かざして けふもくらしつ   山部赤人
などを念頭において、「昔の大宮人は桜をかざしとしたものだったが」の意を裏にこめた発想であろう。画賛の句なので、即興的に作ったものと思う。

 「かざし」は昔、髪や冠にさし、飾りとした花の枝。

 季語は「花木槿(はなむくげ)」で秋。

    「この裸童子が花木槿を持った図は、そのひなびた取合わせが
     しっくりしていて、古人が桜をかざしたのに対して、花木槿は、
     里童の挿頭(かざし)にまことにふさわしい感じだ」


      校庭の子らに日のある白木槿     季 己

ひとかぶた

2011年10月09日 22時24分32秒 | Weblog
        武蔵野にひろごる菊のひとかぶた     桃 青

 思い切った誇張による発想で、その警抜な点は、延宝・天和の交あたりの作風に近い感じがする。
 『芭蕉翁遺墨集』に収める菊の自画賛で、「芭蕉桃青」と落款がある。貞享頃の筆跡かと考えられている。発想は大まかで、それより以前のものではないかといわれている。

 「ひろごる」は広がる。
 「ひとかぶた」は一株。株のことを「かぶつ」または「かぶた」という地方がある。

 季語は「菊」で秋。

    「この菊はまことにみごとな出来映えである。まるで一株で武蔵野
     いっぱいに広がるくらいの感じがある」


      百年の小学校誌 秋ざくら

『去来抄』3 続・行春を

2011年10月08日 20時22分14秒 | Weblog
        行春を近江の人とをしみけり     芭 蕉

 ――この句、芭蕉七部集の一つ『猿蓑』の巻軸(一番最後)に、
        行春を近江の人とをしみける     芭 蕉
という形で据えられている。したがって芭蕉にとって、自信作中の自信作ということであったに違いない。(「けり」と「ける」とで違いがあるが、句形としては「ける」の方が余情があってよい)
 こともあろうにそれを、近江在住の古老・尚白から異議を唱えられたのであるから、芭蕉は、いささか不快であったに違いない。
 尚白の非難は、一句が「動く」というのだ。現在でも、季語が「動く」というが、これは一句の季語が他の季語と取り替えられる場合で、別の季語と替えられない場合を、「動かない」という。

        行春を近江の人とをしみけり
        行春を丹波の人とをしみけり
        行歳を近江の人とをしみけり
        行歳を丹波の人とをしみけり
 このように、他の言葉で代替がきく表現を、当時の俳諧用語では、「ふる」または「動く」と言った。だから俳人たちは、「ふら」ない句、「動か」ない句を目指したのである。
 「動く・動かない」ということは、俳句のような短詩型文芸においては、特に留意しなければならない。

 では、掲句は「動く」のか「動かない」のか。結論は「動かない」。以下、その理由を述べよう。
 「近江」は単なる名勝ではなく、「歌枕」の地であった。その近江で、近江の俳人の皆さんと志賀の辛崎で船遊びをさせてもらいました。おかげで、昔の文人墨客がこの国で春を惜しんだように、自分も近江の皆さんと共に、風雅の伝統ある近江で、過ぎ行く春を惜しむことができました。今日は、ほんとうにいい思いをさせてもらいました、というお礼の気持、つまり、挨拶句なのだ。
 だから、「近江」を「丹波」に、「行春」を「行歳」に、簡単に取り替えることはできない。
 掲句は、近江の人と春を惜しんだ、という事実の報告ではなく、近江の俳人たちに対する挨拶の句、感謝の気持の表現なのである。さらに、近江という歌枕の地に対する挨拶、古人に対する挨拶でもあるのだ。

 もう一点。自然の風光は人々を感動させる。それは昔の人も今の人もかわらない。古人と今人の心の底に、共通する「まこと」があり、それが古人と今人を風雅の心でつないでいる、ということを忘れてはならない。


      ななかまど水の行方を凝視して     季 己

『去来抄』3 行春を

2011年10月07日 16時55分28秒 | Weblog
        行春を近江の人とをしみけり     芭 蕉

 先師(芭蕉)が言われるには、
 「この句を、大津の尚白が非難して、『近江という地名は丹波にも取り替えられ、行春は、行歳にも代えられる。だからこの句は、季語が動き安定した句ではない。』といっているが、お前はどう思うかね」と。
 私(去来)は、
 「尚白の非難は当たっておりません。近江といったのは、琵琶湖の湖水がほのかにけぶって、いかにも春を惜しむのにふさわしいからでしょう。ことにそれは、近江の皆さんと志賀の辛崎に船遊びをした、その機会に詠まれたものですから」と答えた。
 先師は、
 「その通りだ。昔の文人墨客も、この近江国で春を惜しむのは、ほとんど京の都で春を惜しむのに劣らないのだ」といわれた。
 私は、
 「そのお言葉、深く感じ入りました。そのことまで考えが及びませんでした。行歳に近江におられたら、どうしてこのような感慨がおありでしょう。行春に丹波においでなら、もとより惜春の情は浮かばないでしょう。まったく、風光というものが、人に感動を起こさせる詩情というものには、古今を通じて変わらない真情があるものでございますね」と申し上げた。
 先師は、
 「去来よ、お前は、わしと共に風雅(俳諧)を語るに足る者だ」と、たいそう喜ばれた。


      金木犀 病みて幾日の塵ほこり     季 己

         ※ 幾日(いくか)=いくにち


 ☆ 今回より『去来抄』のスタイルを変更します。本日の分は、『去来抄』の変人訳です。したがって、若干通説と異なるところがあります。今回の解説は明日、という形になります。

菊の花

2011年10月06日 21時05分48秒 | Weblog
        稲扱の姥もめでたし菊の花     芭 蕉

 『笈日記』などによれば、近江国平田の明照寺(めんしょうじ)に門弟の李由をたずねる途中、服部某に案内されて、付近の北村某の家を訪ね、宿したときの作である。
 その家の庭先に咲く菊と、その傍らで稲扱(いねこき)をするすこやかな老媼とを結びつけて、挨拶の意をこめて詠んだものである。
 菊の花は、例の、南陽県の甘谷の下流の水を汲むと長寿を保つ、と言う中国の故事もあって、めでたい花とされる。菊と長寿を結びつけた発想は、俳諧としてはむしろ陳腐なものである。けれども、この句では長寿延齢の縁が一句の裏にひそめられてしまって、菊そのものが旧家の庭先の生きた姿としてとらえられている。

 「稲扱」・「菊の花」ともに秋の季語。ここでは「菊の花」が主としてはたらき、菊そのものの感じを生かしている。

    「庭先には齢(よわい)を延べるという菊の花が咲き匂い、それにふさわしく
     稲扱の老媼(おうな)がすこやかに働いていることよ」


      他言せぬ菊人形の遠目かな     季 己