美濃の国 朝長の墓にて
苔埋む蔦のうつつの念仏かな 芭 蕉
「念仏」は「ねぶつ」と読む。
謡曲「朝長(ともなが)」に、「夜更け人静まって後朝長の御声にて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と二声のたまふ……」とある最後の、自害の様が心にあって、朝長をあわれむ心が発想の契機になっているのであろう。
語の選択については、『伊勢物語』の「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦楓は茂り、物心ぼそく……駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」に負うていると考えられる。
「朝長の墓」は、源義朝の次男朝長の墓。朝長は平治の乱で負傷し、足手まといになることをおそれた父義朝の手にかかった人で、『平治物語』にその顛末が詳しい。墓は美濃国不破郡青墓村にある。芭蕉がこの地を通っているのは、貞享元年(1684)野ざらしの旅の折か、元禄二年『奥の細道』の旅の後かのいずれかであろうが、発想からみて、おそらく貞享元年であろう。
季語は「蔦」で秋。
「この非業の死を遂げた朝長の跡を弔うと、眼の前には、苔に埋もれ、
蔦がおおった墓があるのみである。その前に立ちつくしていると、死
にあたって唱えたという念仏の声が聞こえてくるような感じがする」
櫨紅葉カヌーいづれも瀬を急ぎ 季 己
苔埋む蔦のうつつの念仏かな 芭 蕉
「念仏」は「ねぶつ」と読む。
謡曲「朝長(ともなが)」に、「夜更け人静まって後朝長の御声にて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と二声のたまふ……」とある最後の、自害の様が心にあって、朝長をあわれむ心が発想の契機になっているのであろう。
語の選択については、『伊勢物語』の「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦楓は茂り、物心ぼそく……駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」に負うていると考えられる。
「朝長の墓」は、源義朝の次男朝長の墓。朝長は平治の乱で負傷し、足手まといになることをおそれた父義朝の手にかかった人で、『平治物語』にその顛末が詳しい。墓は美濃国不破郡青墓村にある。芭蕉がこの地を通っているのは、貞享元年(1684)野ざらしの旅の折か、元禄二年『奥の細道』の旅の後かのいずれかであろうが、発想からみて、おそらく貞享元年であろう。
季語は「蔦」で秋。
「この非業の死を遂げた朝長の跡を弔うと、眼の前には、苔に埋もれ、
蔦がおおった墓があるのみである。その前に立ちつくしていると、死
にあたって唱えたという念仏の声が聞こえてくるような感じがする」
櫨紅葉カヌーいづれも瀬を急ぎ 季 己