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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

腰の綿

2011年11月04日 22時41分27秒 | Weblog
        初霜や菊冷え初むる腰の綿     芭 蕉

 この句、『荒小田』に「此の句、羽紅のもとより、腰綿をつくりて贈られし返事なり」と注記して収められている。他には出ていないという。
 秋冬の頃、京近辺にあった時期で、かつ、羽紅の夫凡兆との関係などから、元禄三年の作と推定できる。

 凡兆の妻羽紅から腰綿を贈られ、その厚意に対して謝意をこめた挨拶である。「冷え初むる」が「菊」にもかかり、「腰」にもかかるのでその複雑さが句を曇らせている。しかし、老境の感慨がこめられているので、何かしみじみしたものを誘う句である。

 「腰の綿」は腰綿のこと。腰にまとい冷えを防ぐ綿。

 『荒小田』に秋の部に収めるので、季語は「菊」。「菊の綿」もしくは「菊の着綿(きせわた)」を心に置いた用い方となっている。「菊の着綿」は、菊の花に綿をおおい被せたもの。重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜、菊の花に綿をおおって、その露や香を移しとり、翌朝その綿で体を拭うと長寿を保つという。
 なお、「初霜」は冬。「冷ゆる」も秋。

    「初霜がおり、菊も冷えはじめてきた。自分の腰も冷えはじめるころに
     なったのだ。菊の着綿をする頃だが、自分もこの腰綿を巻いて、冷えを
     ふせごうよ」


      晩菊や家うち深く日の入りて     季 己

『去来抄』7 続・春風に

2011年11月03日 20時13分13秒 | Weblog
        春風にこかすな雛のかごの衆

 ――この句、『去来抄』には作者名がない。しかし、『猿蓑』に荻子(てきし)の句として収められているので、それと知れる。荻子は、伊賀上野の蕉門で、伊賀上野の藩士。

 荻子のこの句、「雛の使」を詠んだもの、というのが定説のようである。
 三月の節句に、節句のお礼として、雛人形や雛の道具を小さな駕籠に乗せ、草餅・甘酒などを添えて親戚などへ配った。その使いの者を「雛の使」といった。
 すると一句は、「雛を運ぶ男衆よ、春風に浮かれて、駕籠の中の雛をひっくり返しなさんなよ」といった意になろう。何の計らいもなく、ポッと口をついて出たような、さらりとした句でユーモラスな感じもある。この点を芭蕉は、「あだなるところ」と評したのである。

 「あだ」は、これまで、女の美しくたおやかなさま、色っぽくなまめかしいさま、洗練されて粋なさまの意、あるいは、実のないこと、はかないこと、かりそめの意で解釈されてきた。
 それを、尾形仂氏が、当時の用例を詳しく検討し、「あだ」を「小児のごとき無心な態度から生まれた無邪気でユーモラスな詩趣」と結論づけた。
 あどけない、子どもっぽい、という意をあらわす語に「あだなし」があり、芭蕉先生の言う「あだ」は、こちらの意味であったようだ。
 したがって、「あだなるところ」は、あどけない、いやみのない作風、小児のような心で詠まれた句の味、ということになろう。

 この時期、芭蕉は、技巧の巧みな句、工夫をこらした句など、いわゆる念の入りすぎた句よりも、そうしたものを削ぎ落とした、計らいのない句を目指していた。これはやがて「かるみ」といわれる境地につづいてゆくものだが、そこへの一過程として「あだなるところ」を推賞したものと思う。

 「俳諧は三尺の童にさせよ、初心の句こそたのもしけれ」という芭蕉の言葉がある。知恵のついたが堕落の始まり、というのは、俳諧の世界だけではないが、何年も句を作っているとそれなりに身につけた技巧や知恵があって、かえって計らいが入り、とかく無心でものに向かうことを怠りがちである。いうなれば、形はととのっても魂が入らない。それでは人を感動させる力が生まれない。
 芭蕉自らが志向しつつあったものの中の一つを、伊賀の俳人たちが確実にマスターしてくれているのは、隠しようもなく嬉しかったのである。


      咲き盛る菊 神仏に手を合せ     季 己

『去来抄』7 春風に

2011年11月02日 22時22分01秒 | Weblog
        春風にこかすな雛のかごの衆

 先師がこの句を評して、
      「伊賀の俳人たちが、作為のない無邪気な句を詠んでいるのは、たいそう
       心をひかれるね」
といわれた。
 丈草が言うには、
      「伊賀の俳人たちの俳風が、作為がなく無邪気なのを、先師はまるで知らぬ
       顔をされているが、じつはそれは、先師がそのように指導をなさったから
       なのだ」
と。


      我楽多のなかのあれこれ秋日和     季 己

かじか

2011年11月01日 20時23分24秒 | Weblog
          山中十景 高瀬漁火
        いさり火にかじかや浪の下むせび     芭 蕉

 漁火(いさりび)、それも「高瀬の漁火」という十景の一題として、鰍(かじか)が鳴くという季題を契機として発想している。『東西夜話』の前書によれば、実景に接しての吟ではなく、桃妖亭での題詠のように思われる。元禄二年、山中温泉滞留中の作。

 「かじか」は鰍。イシブシ・ゴリなどとも呼ばれる魚。ハゼに似て痩せ形で、暗灰色に黒い縞がある。河鹿と混同されて、鳴くものとされ、『本朝食鑑』に「加志加(かじか)魚いまだ正字を見ず。あるいは歌鹿に作りて、魚声歌のごとく、鹿の遠く鳴くがごとし……」とあり、『をだまき綱目』に、季語として「かじか鳴く」が見える。この句も「かじか鳴く」を意識しているふしが感じられる。
 「下むせび」は、心中ひそかにむせび泣く意で、定家の『拾遺愚草』その他の歌に用例が見え、歌語的な語感を持つが、「浪の」との続き方が掛詞的であるところや、「いさり火に」と「むせび」がつきすぎている点など、詩語として純化されきっているとはいえないようである。

 季語は「かじか」で秋。

    「漁火がうつる浪の下でかなしげに鳴いているのは、伝え聞く鰍のむせぶ
     声であろうか」


      きりぎりすまだ鳴いてゐる帰り道     季 己

手毎にむけや

2011年10月31日 20時42分17秒 | Weblog
          ある草庵にいざなはれて
        秋涼し手毎にむけや瓜茄子     芭 蕉

 即興の句であるから、軽く口をついて出た感がある。庵主への挨拶の心があるのは言うまでもない。
 「むけや」は、「むかん」に比較して、他へ広く呼びかける親しさがある。自分でも皮をむきながら、一座の人々に語りかける、軽くはずんだ気持を他に及ぼしてゆく、そういう気持である。

        残暑しばし手毎に料(りょう)れ瓜茄子   (初案)
        秋さびし手毎にむけや瓜茄子  (『泊船集』)
の句形もあるが、挨拶として見ると、初案の「残暑しばし」より、「秋涼し」の方が、はるかにふさわしいことは言うまでもない。また、「秋さびし」では孤独の感があらわにすぎて、挨拶の心が十分には生きてこない。

 「ある草庵」というのは、金沢の斎藤一泉の松玄庵。庵は犀川のほとりにあったという。
 「手毎(てごと)にむけや」は、てんでに瓜の皮をむいたり、茄子(なすび)を手にしたりしようよ、ぐらいの意。茄子は瓜に引かれて出たので、「むけや」は瓜の方にかかるわけである。

 「秋涼し」が季語。「涼し」だけだと夏であるが、それを初秋爽涼の感に生かし用いたもの。「新たに涼し」「初めて涼し」などの言い方もある。

    「秋の涼しさがいっぱいに満ちているこの座敷で、瓜や茄子のご馳走は
     まことにありがたい。皆てんでにむいて自由にいただこうではないか」


      おほばこの実を踏んでゆく人のあり     季 己

暮秋

2011年10月30日 22時16分36秒 | Weblog
          老杜(ろうと)を憶(おも)ふ
        髭風を吹いて暮秋歎ずるは誰が子ぞ     桃 青

 杜甫の詩にすがり、その詩の一句を倒置法により、新たに取り込むことによって、発句の表現の中に転生せしめようとした句である。杜詩の摂取は、そのパロディを目指していることにおいて、まだ多分に外面的なものである。
 しかし、疎髥(そぜん)の風になびくさまが、いかにも悲歌慷慨の士らしく生きているし、その奥には、芭蕉自らの嘆ずる姿も感得される。
 漢詩の中にふみこんで、それをそのまま素材化しようとしたところには、天和期における新しいものをつかみ取ろうとする情熱と迫力の一面をうかがうことができる。

 「老杜」は杜甫のこと。大杜ともいい、小杜(杜牧)と区別する。芭蕉の最も傾倒した中国の詩人。
 「髭風を吹いて」は「風髭を吹いて」を倒置したもの。
 「暮秋歎ずるは誰が子ぞ」は、杜甫の詩によったもので、暮秋を歎ずるのは誰であるかの意。「誰が子」は誰と同じである。「暮秋」には、人生の暮秋の意も含まれている。

 季語は「暮秋」で、多分に漢詩的な情感をあらわす道具立てとして扱われている。

    「暮秋の蕭条たる風に髭を吹かれながら、暮秋を歎ずるあの人はいったい
     どこの何者であろう」


      フードもて投げ餅ひろふ暮の秋     季 己

『去来抄』6 続・凩(こがらし)

2011年10月29日 20時48分46秒 | Weblog
        凩に二日の月のふきちるか     荷けい     
        凩の地にもおとさぬしぐれ哉     去 来


 ――荷けいは、芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に行った時、その門に入った俳人である。後に『俳諧七部集』と呼ばれる蕉門の代表的撰集のうち、『冬の日』『春の日』『曠(あら)野』の三集を編集し、初期の蕉門で重きをなした。ことに『曠野』に収める「凩に」の句が、発表直後から評判になり、これにより「凩の荷けい」と呼ばれ、一躍有名になった。
 一方、去来の「凩の」の句は、其角編の俳書『いつを昔』に、荷けいの「凩に二日の月の吹ちるか」とともに、「凩の地迄落さぬしぐれかな」の句形で収められている。
 いやでも、この二つの句が比較されることになってしまったのである。おそらく、この時点では、荷けいの句は、「凩の荷けい」の愛称とともに大いに喧伝されていたことだろう。
 すっかり自信をなくした去来が、弱々しく胸中を吐露したところ、芭蕉からまったく予期せぬ反応が返ってきた。大喜びした去来は、さっそく、『去来抄』にまとめたのが、この一条なのである。

 そこで、荷けい・去来の両句であるが、両句とも「凩」がテーマである。荷けいは「凩」に「二日の月」を、去来は「凩」に「しぐれ」を「取合せ」たものである。
 「二日の月」は、それまで作句の対象として注目されることはなかった。荷けいが「凩」との関わりの中で発見した対象として、高く評価できるのである。
 それに対して、去来の句の「しぐれ」は、「凩」とともに、オーソドックスな冬の季語である。
 となると、荷けいの句は、「二日の月」の発見と、それを「ふきちるか」と把握、表現した点と、二つの面白さがあることになる。
 去来の句は、「しぐれ」に対して「凩」が「地迄おとさぬ」勢いで吹きつけていると把握、表現した、この一点に評価がかかっているのである。

 芭蕉の言として、「体格はまづ優美にして、一曲あるは上品(じょうぼん)なり。また工(たく)みを取り、珍しき物に寄るはその次なり」とある。それゆえ、「荷けいが句は、二日の月といふ物にて作せり。その名目(みょうもく)をのぞけば、させる事なし」との言も出てくるのであろう。
 対する去来の句に対して、芭蕉の「全体の好句なり」との評言を、額面通りに受け取ってはならない。落胆している去来に対する、芭蕉の思いやりが働いていることを、去来はまったく気づかなかったのである。
 去来の一句における、まさに眼目とも言うべき措辞「地迄おとさぬ」の「迄」の部分が、芭蕉によって「ただ、地迄とかぎりたる迄の字いやし」ということで、「地にもおとさぬ」と斧正されたのであるから、「全体の好句なり」は、多分に社交辞令的な言葉であることが理解し得るはずである。
 それを額面通りに受け取って喜んでいる去来。去来の甘さがよくわかる一条である。

 単語の魅力や表現技巧に頼った句は、人目をひき、作者も得意になりがちである。しかし、部分が目立ちすぎて、全体の情感はさほどでもない、ということがしばしばある。こういう句を「名目(みょうもく)の句」というのでしょう。技巧に巧みなベテランほどこうした危険を抱えているといえる。
 魅力のある語も、気の利いた言い回しもないが、景は具体的で、情感があり、季語の本情の把握も確かな句を「全体の好句」というのである。

 最後に、「地迄」と「地にも」違いを。
 「まで」というと、視線を地面のほうにさそって限定し理屈で説明した感じになる。
 「にも」だと、重点は凩にあって、句柄が大きくなる。この斧正(添削)は、ぴたりと勘所を押さえてみごとである。思わず「座布団五枚」と言いたくなる。さすがは芭蕉先生である。


      生姜湯をうましと飲めば秋深む     季 己

『去来抄』6 凩(こがらし)

2011年10月28日 20時59分50秒 | Weblog
        凩に二日の月のふきちるか     荷けい
        凩の地にもおとさぬしぐれ哉     去 来


 この二句について、わたし去来は、
     「荷けいさんの句は、二日の月というものをもって来て、それが吹き
      散るかと、才気の生き生きと出ているところなど、わたしの句より
      ずっとすぐれていると思います」
と言った。
 先師芭蕉先生は、
     「荷けいの句は、二日の月という素材の珍しさで、句を仕立てている。
      その二日の月という物の名を除くと、それほどの句ではない。お前の
      句は、これといって取り立てて言うような素材をもってきて作ったと
      も見えない。けれども、全体としては味わいがあってよい句である。
      ただ、地迄と限定した迄という字が、気品を落としている」
と言われて、「地にも」と直された。
 初めの句形は、「地迄おとさぬ」であった。


      筑波嶺の白雲うすし暮の秋     季 己

世の中は

2011年10月27日 21時18分12秒 | Weblog
          人に米をもらうて
        世の中は稲刈る頃か草の庵     芭 蕉

 読む人によっては、いやみな作と感じるかも知れない。横から眺めて、隠棲をひとり高しとする気持ととると、「世の中は」のひびきが、いやみな感じをうながすようである。
 しかし、収穫の秋に入ったことにはっと気づいた、その自然な驚きの気持のあらわれととると、かなり味わい深い作である。

 前書の「人に米をもらうて」というのは、門人に新米を贈られたのを言ったものであろう。

 季語は「稲刈る」で秋。

    「門人に新米をもらったが、草の庵にこもっていて、風雅に明け暮れして
     いるうちに、いつの間にか世の中は、稲刈る頃になっていたのだなあ」


      母のとぐ掌を漏る光り今年米     季 己

雲をりをり

2011年10月26日 20時39分52秒 | Weblog
        雲をりをり人を休める月見かな     芭 蕉

 月の清澄なようすを裏からたたえたもの。
 西行の、
        なかなかに 時々雲の かゝるこそ
          月をもてなす かぎりなりけり
を心に置いての句であるが、その踏まえ方は、詞句を取るという域をはるかに出て、月を見るにあたっての情趣を取り入れている。
 諸本によっては、中七を「人を休むる」とするが、語法的には、この「休むる」の方がよい。

 季語は「月見」で秋。型にはまってはいるが、やわらかみを生み出しているところが注目される。

    「今宵の月は清光限りなく、見入っているうちに心奪われて、われを
     忘れるくらいである。しかし、時おり雲が過ぎて、その雲が月を隠
     している間は、われにかえって、ほっとすることだ」


      木枯のゆくえ暮色の六本木     季 己

須磨の秋

2011年10月25日 22時29分36秒 | Weblog
        見渡せば詠むれば見れば須磨の秋     桃 青

 同じことを異なった表現で三つたたみかけて言った点に談林的な遊びがあり、秋の趣の実感はない。
 「見渡せば詠(なが)むれば見れば」は、いろいろに見れば見るほどの意を、三通りにわけて言ったもの。
        見渡せば 花ももみぢも なかりけり
          浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮 (『新古今』・定家)
        ながむれば ちぢにもの思ふ 月にまた
          わが身ひとつの 峰の松風     (『新古今』・長明)
などの句をとる意識があったかもしれない。
 なお、『新古今』所収の「三夕の和歌」は、よく俳諧の種に使われているので、参考までにあげておこう。
        見渡せば 花ももみぢも なかりけり
          浦の苫屋の 秋の夕暮  (定家)
        さびしさは その色としも なかりけり
          槇立つ山の 秋の夕暮  (寂蓮)
        心なき 身にもあはれは 知られけり
          鴫立つ沢の 秋の夕暮  (西行)

 「詠む」は、物思いにふけりながら、じっと見るの意の中古語。
 「須磨」は、光源氏が流された地として名高い。『源氏物語』に、「またなくあはれなるものはかかる所の秋なりけり」とあるところである。

 秋の雑の句である。

    「須磨の秋は、古典でもあわれ深いものとされているが、実際に
     いろいろ眺めれば眺めるほど、またとなくあわれ深いことだ」


      十月や後姿が日を拒み     季 己

『去来抄』5 続・うらやまし

2011年10月24日 20時12分55秒 | Weblog
        うらやましおもひ切る時猫の恋     越 人

 ――『去来抄』には、変人が本文として使っている去来自筆本と、版本とがある。「うらやまし」の一条は、自筆本と、版本との間に、かなりの異同がある。
 参考のために、両本の異同のある部分だけではあるが、本文を掲げてみる。

    「心に風雅あるもの、一度(ひとたび)口にいでずといふ事なし。
     かれが風流、ここに至りて本性をあらはせり」 (自筆本)

    「心に俗情あるもの、一たび口に不出(いでず)といふ事なし。
     かれが風雅、是(ここ)に至りて本情をあらはせり」 (版本)

 「心に風雅あるもの」と、「心に俗情あるもの」とでは、文全体の解が異なってくる。
 幸いなことに、去来もこの句を「越人が秀作」(浪化宛書簡)とし、芭蕉も「よろしく候」(珍碩宛書簡)と認めているので、「風雅」とすべきであろう。

 長い和歌の伝統が作り出した「雅」に対して、俳諧は「俗」の中に詩をさぐるのが特徴の一つでもある。蕉門で、「風雅」・「風流」といった場合は「俳諧」をさす。また広義には「詩の心」といった意味もある。
 一句の意味は、「さわがしく鳴いていた恋猫も、時期が過ぎれば、すっぱりと思い切ることができる。それが執着を断ち切れない人間には羨ましい」ということであろう。
 笑いの中に人生の真を詠んでいる点に、芭蕉がこの句を高く評価する理由があったのかも知れない。
 芭蕉が俳諧に求めていたものを一言で言えば「高悟帰俗(こうごきぞく)」つまり、「高く心を悟りて、俗に帰るべし」という語になる。
 越人の句は、王朝風雅の恋を踏まえながら、猫の恋の本情を生かして俳諧に転じ、人の真情の表現に成功したもの、と芭蕉には見えたのであろう。

 越人は、芭蕉の十大弟子のひとりで、去来は、もう評価の定まった作者と思っていた。それが、この句によって、ようやく本来の素質が出てきたと師はおっしゃる、そうだったのか、とあらためて顧みる思いであったことだろう。
 では、ここに至って本性を現したという越人は、それまでどんな句を作っていたのだろうか。

        藤の花たゞうつぶいて別れ哉     越 人
        おもしろや理屈はなしに花の雲     越 人
        声あらば鮎も鳴くらん鵜飼舟     越 人

 ひねりがきかせてあるが、読み手の心の深いところに届くものがない。たいした発見も洞察もないのに、目さきを変えておもしろくしようとしているだけ。一応、俳諧の手法は心得ていても、もう一つ風雅の誠に届いていないのが、この時代の越人の句であったことが分かる。


      太子像にこみあぐるもの秋惜しむ     季 己

『去来抄』5 うらやまし

2011年10月23日 20時47分27秒 | Weblog
        うらやましおもひ切る時猫の恋     越 人

 先師が伊賀上野からこの句を書き送って言われるには、
 「心にまことの詩心をもっている者は、いつかそれが口をついて出ないということはない。越人の俳諧は、この句において初めて本来の持ち味を現したのだ」と。
 これより前から越人は、俳人として名が四方に高く聞こえ、人のほめそやす句も多くある。それでも、師は、この句にいたって初めて、越人が本来の持ち味を発揮した、とおっしゃったのだった。


      四阿につづくトンネル萩の径     季 己

子持山

2011年10月22日 21時16分37秒 | Weblog
                東歌・未勘国歌
        子持山 若かへるでの もみづまで
          寝もと吾は思ふ 汝はあどか思ふ (『万葉集』巻十四)


 子持山は今も群馬県にある。榛名山の北、吾妻川の峡谷をへだてて、伊香保温泉から、真っ正面に見える。万葉の子持山が、群馬県のそれだとすれば、この歌は未勘国の歌ではなく、上野(こうずけ)の国の歌ということになる。
 子持山は、室町初期の神道集に「児持山明神」の縁起があり、有名な山であるが、編纂当時は、その場所が分からなかったものとみえる。
 「もみづ」は、秋になって木の葉が紅葉することをいったとすると、情痴の誇張がすぎるようである。紅葉することを意味する以前に、赤色を意味する「もみ」に、動詞化の語尾がついて、明るくなることを言っているものととりたい。
 夜の暗い中に女のもとを去って行かねばならないはずの男女関係なのに、夜が明けて明るくなるまで寝ていよう、というのである。それを問答式にして、お前さんはどう思うかい、と問いかけながら、分かっているさ、もちろんおれと同じ思いだね、といった含みがあるところが面白いのだ。
 「常陸風土記」などには、歌垣の時に共寝した男女が、寝過ごして夜が明けてしまって、とうとうその場で松になってしまった、というような伝えがある。一番鶏が鳴いたら別れねばならないのである。そのタブーを犯すことを空想することは楽しいのだ。


      余命てふ不確かなもの秋長けぬ     季 己

おちこち

2011年10月21日 21時17分54秒 | Weblog
        おちこちおちこちとうつ砧かな     蕪 村

 この句は、音色で砧をうっている家の遠近が知れる、というだけの事実の報告ではない。また、一つの砧の音が風の具合によって、ある時は遠くある時は近く聞こえるというのでもない。
 遠くの砧近くの砧の音を、共にただ一つと限定する必要はなく、また、厳密に一音ごとに交互に聞こえるのだとする必要もない。ただ、遠くの音はほのかに、近くの音は定かに、しかもそれが共にいつまでも打ち続けられ、聞こえ続けるというその感興をうたっているのである。

 上五を「おちこち」と一音を欠く語調にして、すぐ中七の「おちこち」に連結したのは、砧の音の連続感を出すためであろう。
 「おちこち」は遠近の意で、「をちこち」と書くのが正しい。
 この句においては、「遠近」という意味を表現する語が、同時に直接「音」そのものの表現になっている。確かに「おち」の音はやわらかくほのかであり、「こち」の音は固く定かである。
 技巧の極点と感覚の極点を示した一句である。

 季語は「砧」で秋。砧(きぬた)は、木や石の台の上で、洗った衣を槌(つち)で打って、やわらかく練り艶を出すもの。衣(きぬ)打つ。

    「夜、静かに坐していると、遠くの家、近くの家など、あちこちで砧を
     打つ音が聞こえてくる。遠い音と近い音とが呼応するように入り交
     じって聞こえてくる。気のせいか、遠い音は〈おち〉とほのかに、
     近い音は〈こち〉と定かに、いつまででも聞こえてくる」


      蓑虫の心ゆくまで身を揺する     季 己