江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

久しぶりに日比谷公園テニス

2015年10月29日 09時11分55秒 | Weblog
28日(水)は夏日のようなお天気。日比谷公園を堪能しました。

この1か月ほど、腕が上げられない老化のせいで休んでいたが久しぶりにテニスに参加しましたよ。



1時から5時までの4時間のテニスで、最後はやっぱり腕が痛い。帰りにはサロンパスを買って腕に張りました。もちろんアリナミンEXも。

テニスの前に散策。

日比谷公園はいいお天気で 花壇にはきれいなバラがありました。



なお日比谷図書館では江戸の著名な文人 馬琴と月芩 展をやっていました。



南総里見八犬伝の原本を展示。

月芩は 当時の大ベストセラー 江戸名所図会 の作者 で。その本のデータとなった地図などを展示





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山中湖へ俳句の吟行

2015年10月21日 19時48分38秒 | Weblog
10月20日21日と山中湖の「文学の森」で吟行会を行いました。

山中湖は20年以上前に、カヤックで1周しながら遊んだ覚えがあるが、往時茫々。現在は車がないため、新宿から富士急のバスで行きました。山中湖に行くバスは、河口湖と富士急ハイランドを結ぶドル箱だから、満員だ。それも外国人が多い。隣に座ったおじさんは家族と台湾から来たが30年ぶりとか。その時は富士山が悪天候で見えず残念だったとか。今回はばっちりで喜んでいた。

山中湖畔は、俳人富安風生が毎年現地に行って俳句を教えたり句作を楽しんだりしたところから、現地で富安風生を中心に、山中湖に言及している三島由紀夫、徳富蘇峰、その他多くの句碑などを集めた情報創造館を作っている。ここは山中湖尋常高等小学校の建物を現代的に改造して、地方創生の文学基地にしている。



これが参加した俳句のメンバー。吾輩が最年少という、ロートル集団。新しいメンバーは辞めることはあっても参加する人はない。





三島由紀夫館

徳富蘇峰館

芭蕉の句碑

句会は成功の裡に終了。最高点は 「うす寒に 富士はどんと いてござる」 これは立派な句だ。

吾輩は「風生の 心の際(気わ)を知る木の実」を出したが、だいぶおとったね。


幸せの鐘   なんかフランスの愛の鍵みたいね。どこも同じような発想だ。

終了後、「山中湖エクスエイ―ファイブ」という会員制のリゾートホテルに泊まる。平日だというのに、90%もの稼働率で、テニスやゴルフを楽しんでいる人が多く、我々もそうだが暇な人が多いのだなーと思う。どうも贅沢が売り物のようだ。夕食も立派。

山中湖は寒いとここに別荘を持っている仲間が言うから、冬物を準備していたが、大きなホテル軽視のリゾートはそんな心配は不要。

翌日は赤富士に近いような、少しだけ赤みを帯びた富士が見えたのがよかったね。

朝食後、忍野八海に出かける。
ここも20年ぶりかなー。センチメンタルジャーニーの感じ。
また記念撮影

中国の御嬢さん?



外国人が多いね。


午前中に解散。また富士急のバスで新宿まで帰ってきました。富士を見ると、大いに気分転換になったね。

来週も、別の会の句会が後楽園の庭園で行われる。

右手が痛いが徐々に回復しているので、テニスも再開だ。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦すぐの時代の珍しい写真

2015年10月18日 16時13分49秒 | Weblog


九段の昭和館で「戦後70年写真展」をやっている。





















コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の秋

2015年10月18日 15時51分53秒 | Weblog
 黙々と 夫婦二人で 稲を掛く
   鎌倉街道 小さき田畑

多摩丘陵の国道18号線 鎌倉街道を歩いていると、町田市に入るあたりでまだ昔ながらの稲架をつかって干している人がいました。

美しい日本の秋です。

府中熊野神社の古墳です。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏も終わりの パリ その8 セーヌ川散策 これで おしまい

2015年10月03日 04時09分20秒 | Weblog

セーヌ川の岸辺を夏の陽を惜しむかのように、楽しんでいる人々







後ろはポン・ヌフ

ポン・ヌフの上に何か光るものがある。異様な感じで見に行きました。


なんと愛の鍵を金網に結び付ける…いわばおみくじを木の枝に括り付けるようなものか。

これには、2012年8月13日に
ここで鍵で結んだ、LAUR と Vali の愛の表現であろう。いずこの国民かわからないが。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

フランス的 美しいパッサジュ


プランタンのマネキン人形


ラファイエット デパートの天窓


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏も終わりの パリ その7 リヨン駅

2015年10月03日 04時04分12秒 | Weblog
かって飛行機旅行がない時代、日本人はマルセイユに上陸したのち、鉄道でフランスを北上し、ここ リヨン駅でパリに入ったのだ。漱石も鴎外も、
画家佐伯祐三も荻須高徳も。その多くの政府高官も学者も、一般の旅行者も。その時の感慨はいかばかりか。





リヨン駅の貴賓室か



ブザンソンに行くTGV



マルセイユに行くTGV


 ついでに吾輩がとまったホテルは サン・ラザール駅の近く。ここにも近郊列車の動きがありましたよ。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏も終わりの パリ その6 ヴィラージュ・デ・サンポール

2015年10月03日 02時59分55秒 | Weblog
ローマ支配の後、ゲルマン民族がガリア全体に侵攻。ゲルマンの諸族が相互に領土争奪戦を繰り返したのち、カール大帝の相続者たちのうち1180年カペー朝の創業者フィリップ・オーギュストがパリ防衛のため、城壁をめぐらしたといわれている。

その城壁の一部が、「オーギュストの壁」としてここヴィラージュ・サンポールのシャルルマーニュ高校の一部として残っているとか。ちなみにもう一部が現在のルーブの中にあるとか。




ここサンポール教会の周辺はパリで最も古い地域である。ここにあ骨董街でもあり朝市も開かれるとか、結構おしゃれな街。






現在のサン・ポール寺院の内部



ここの路上で、ブルターニュの北あたりから来た漁民のおじさんが、露店を出していたので、生ガキを3個買って剥いてもらって食べた。
おいしかった。パリ滞在中に、オイスターバーで、生ガキと白ワインをと願っていたのが、思わぬところで実現できた。Happy.


なお、オーギュトの壁を見学しているときに、現地のシャルルマーニュ高校の生徒集団と会ったが、その中で一人日本語で話しかけてくる生徒がいた。完璧な日本語だから、君は留学しているのかと聞くと、父親がフランス人で母親が日本人だから、この夏日本に帰ってアルバイトしてきたとか。
そういえば、学校の開始時期だ。いやーいろいろな人がいるものだ、と感心しきり。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏も終わりの パリ その5 サンジェルマン・デ・プレ

2015年10月03日 02時09分09秒 | Weblog
セーヌの中州の シテ島 を真ん中で串刺しするのが サン・ミッシェル大通り。この大通りの西側がサルトルやボーボアールなど実存主義者たちが議論に明け暮れた文化的な街 サンジェルマン・デ・プレである。おしゃれな街で、東京の青山とか神宮前といった感じ。
ここにパリだという感じがする。

サンジェルマンでプレ教会

教会で洗礼している模様

ローラースケート大会でしているのか

大道芸人でなく素人の楽団が路上演奏



すぐ隣にパリ第5大学がある。ソルボンヌが随分分かれているのでここにも学生たちも多い。、

大学を覗いて授業表を見る

学生が多く歩いている

路上のカッフェ

吾輩たちもビールを


なおこの地で有名な ブラッセリア の LIPPという店で夕食を楽しんだ。ちなみにかって文豪ヘミングウェイがこよなく愛した店とか。


パリ第3大学などのあるサン・ミッシェル大通りの東側の先に アレーナ・ルテス というローマ時代の円形競技場が残っている。
ローマの植民地だった時代、ルテス とか ルテーシアと呼ばれていた小さな町だったのだ。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏も終わりの パリ その4 クリニャンクールの蚤の市

2015年10月02日 18時24分33秒 | Weblog
パリの街20区は10km四方ぐらいの大きさ。山手線内の大きさをもう少し大きくした程度。案外小さいのだ。

その中に14本の地下鉄が通っている。そのうち4号線の終点がポルト・デ・クリニャンクール駅で、ここはパリの外周高速道路の外、つまりパリの外なのである。駅を出ると多くの人が歩く方向へついていくと5分もすれば蚤の市に着いた。昔、骨董・古物業者がパリ市外に追いやられたのだ。

 


本当に蚤がいるような街を想像していたが、常設の骨董店専門街のような感じだった。織出し物を期待するようなものでないね。骨董の専門家集団みたいね。

そこで次ぎは地下鉄でシテ島のシテ駅へ。メトロのマークの地上に出ると、有名な小鳥市があった。日曜だけ。





小鳥のほかに金魚や亀も売っていた。
パリって面白い。

朝市はあちこちで曜日を決めて開かれている。

パリについた翌日に、初めて マウベル駅 隣接の朝市に体験した。いろいろな食糧から衣類や酒類まであった。高級住宅街の常設スーパーみたいな店の有る前に各種移動式露天店が集まって、住民も地元業者も楽しんでいるようであった。結構楽しいね。生活の文化なのであろうと感じたね。

ここで突然日本人学生に、空港まで行きたいのだがユーロがないので日本円と交換してくれと。朝が早いと銀行等交換所が空いていないと泣いてきた。
交換してやったが、フランス人はものすごく不親切だと痛感。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏も終わりの パリ その3 モンマルトル から モンパルナス

2015年10月02日 16時34分02秒 | Weblog
モンマルトルで30数年前、似顔絵を描いてもらった記憶がある。センチメンタル・ジャニーだ。しかし今ではなぜか絵描きさんがいない。


絵描きの代わりにパントマイム

モンマルトルの丘を降り、右へ歩くと、ピガール広場だ。ここはパリ最大の風俗街。




この先を進むと、ムーランルージュがある。その間に、かって18・19世紀にドガやユトリロやモジリアニなどなどモンマルトル芸術家たちが住んだであろう小路が残っている。


現地のTVで、オランド大統領がムーランルージュの踊り子たちと談笑している絵が写されていた。大統領も嫌いではないのだろう。


                                       現地のおばさんに鞄をするれるよと注意された
団体バスで大勢の見物客がムーランルージュを訪れる。皆さん結構物見高いね。

地下鉄を乗り継いで東のモンマルトルからセーヌ川を越えて西のモンパルナスへ行く。

パリの地下鉄は本当に便利だ。乗り換えになれれば、これほど便利なものはない。どこへ行っても1.8ユーロの定額。四方八方へ行っているから、すぐに行ける。
こんなカラフルな地下鉄駅もある(どこか忘れた)
シャトレと思うが乗換駅の構内で楽器演奏をしていた。電車の中でアコーデオンを弾いてる人もいたよ。

モンパルナス駅


かって世界中から貧しい詩人や作家、画家たちの溜まり場となっていたモンパルナス界隈だが、今のモンパルナスは再開発され、
今はモンパルナスタワーがそびえている。210m、56階。ここの眺望はエッフェル塔に勝るとも劣らない。
モンマルトルのサクレクール寺院

凱旋門

リュクサンブール公園

サンジェルマン・デプレとルーブル

ノートルダム大聖堂

モンパルナス駅が西にむかっている

エッフェル塔

アンバリッドと凱旋門






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏も終わりの パリ その2 サンマルタン運河クルーズ

2015年10月01日 14時11分41秒 | Weblog
パリにはセーヌ川クルーズなどいろいろな種類の船の旅がある。

今回は、サン・マルタン運河を散歩しようと考えていたが、この運河クルーズがあるのを発見。その出発点はバスチーユ広場にラルスナル港から乗船し、3時間弱で19区のヴィレット貯水場まで約5kmぐらいのクルーズするというもの。乗客は100ぐらいかな、フランス人やその他ヨーロッパ人、アメリカ人が多く、日本人や中国人あ見当たらない。

バスチーユ広場

広場の真下の地下運河から入る。







運河と一般道路がクロスしている





運河は高低差25mがあり、その間4-5個のロックがあるので、結構時間がかかる。ロックは船を挟む2つの水止め堰壁が、まず下側が開き、船を入れ扉を閉めて、前の扉を開き水を入れる。20分ぐらいで、前方の川の高さと等しくなると、船を進める、という形。こうして高度差のある川を上る。パナマ運河も同じ。




ここ ヴィレッテ はパリの新興住宅街・公園住宅街見たい。地図で見ていたらだだっ広いところでそこにクルーズの発着駅があるとか。いったいどんなところかと思っていたら、パリには思わぬ近代的な公園だ。しかも各種芸術のアトリエを提供しているようで、若者のあつまる町のようだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏も終わりの パリ その1

2015年10月01日 10時25分35秒 | Weblog
夏も終わりの、そして秋にまだ早い、季節の移り目があまり感じられないパリへ、9月の連休明けから30日まで行ってきました。
もちろん野次馬御家人には30年ぶりのセンチメンタル・ジャーニーのパリ物見遊山であります。でも旅行は日常からのワープ。人生に変化の綾どりを与えてくれるのはいい。いいお天気に恵まれ、これだけでもHappy.

1、パリへの一番の動機は、パリマラソンが毎年3月に行われるとか。インターネットで調べて、パリの地図にマラソンコースをなぞると実にパリの名所を押さえている。さすが観光No1の街だ。パリマラソンは外国人も多く含む3万人ぐらいの選手が出場。

 まず 凱旋門まえをスタート。シャンゼリゼ通りをコンコルド広場へ。
 わずかに左折しパリの歴史に最も関係する リボリ通り に入りチュルリー公園やルーブル博物館を越えて、サンジャックの塔やパリ市庁舎を右手に バスチーユ広場まで1直線。(おそらくマラソン参加者は景色を楽しむ余裕はないと思うが)

 次いで、バスチーユ から ナシオン広場 を通り、バンセンヌの森 に入りここで折り返し。この公園でどんなコースを通るかは42.195kmを設定するためコース取りがされるのだろうからコース不明。これは最後のブローニュの森でも同じ。

 次に同じ道を折り返し バスチーユ広場まで。ここからパリのもう一つの歴史ポイント、 サンルイ島とシテ島 を縦断。次いで ポン・ヌフ からセーヌ右岸を走り、 チュルリー公園・ルーブル を右手に見ながら、セーヌ右岸 をひた走り。廃兵院やエッフェル塔を左手に見て、多分、自由の女神像のあるポント・グレネールあたりで右折して、ブローニュの森 にはいる。ここのコース取りもわからないが、多分、 ローランギャロスやロンシャン競馬場 を見ながら ブローニュを走り、ついに、凱旋門に向かってゴールするという。 これだけで最も美しい都市マラソンと言われるゆえんだ。

2、吾輩もパリマラソンのコースを、歩いてみたいと思ったが何せ42kmは長い。、軟弱な老人は歩くのもせいぜい10kmぐらいが限度だから、ポイントを地下鉄使って歩くことにしました。


3、まずは定番。凱旋門とエッフェル塔。日本人もいるがやはり経済力の中国人が多い。韓国人は見当たらなかったね。


 内部階段

シャンゼリゼの交通を遮断して3万人が足るのは壮観だろう。



自由の女神が立つ

美しいといわれるアレキサンドル3世橋

ロンシャン競馬場














 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする