江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

冬近づく 蔵王

2016年10月31日 21時56分45秒 | Weblog

今日31日月曜日、朝5時起き日帰りの山形新幹線で 蔵王温泉に行ってきた。今週は吾輩の日程が空いているから急遽、just try したわけ。小さな冒険だ。日常からのワープ。

東京駅6:12で山形8:57.山形駅からバスで1時間半。で刈田山頂に蔵王のお釜がある。ここは正式には宮城県領になる。お釜の手前の白い木は樹氷の卵の氷。

刈田峯神社の前は氷に包まれつつある。お釜に至る蔵王エコーラインは、今週の11月3日をもって冬季閉鎖。来年4月まで冬の眠りにつく。だからこの前の最後のチャンスに無理して出かけたわけだ。

もう、樹氷の子供が育ちつつある。ここではもう強風の下で猛烈に寒い。4度Cから0度Cだ。もう冬に入っている感じ。富士山頂と同じだ。

活火山である蔵王連山には避難小屋がある。入り口を頂上の反対側に向けてある。

1700mもの山から見える景色は雄大。これを山登りして楽しむ人が多いが、ずぼらの吾輩はバスで1とっ跳びの方が楽ちんだ。

スキー場近くは錦繍が進んでいる。

お釜からバスで1時間降りて、蔵王温泉街につく。ここで、もっとも有名な大露天風呂に入りました。写真禁止だ。そりょそうだ。スッポンポンの人の写真は許されないよな。この露天風呂は吾輩の経験上、最高のお湯といえる。熊本の地獄温泉・・これは熊本地震で旅館部分は崩壊したようだが・・に対抗できよう。

ここが上の湯といって、地元民の共同浴場。で200円なり。一番古いお湯、源泉だな。  連れの男がお湯から出てくるのを待ってる女がいた。

その前に霊泉という表示があり、これは山形県出身の斎藤茂吉の字。ここが温泉の中心地らしい。

そのすぐ近くに下湯という共同浴場があり、その前には地下水から湯気が噴出している。この周辺に旅館が多くあり、内湯を引いて客に料理と湯と宿泊を提供する現在のビジネスモデルができたのだろう。

下湯の前には、足湯があった。白い湯の花、硫黄がある。大露天風呂と上湯に連続入湯した後、バスが来るまで、足湯でビール飲みながら楽しみました。

これから40分かけて山形駅まで帰り、山形新幹線で東京へ。

新幹線は「かもしか」と接触したとかで、下り列車が遅れたから、上りも少し遅れるとか。熊でなくてよかった。何とか帰ったよ。

 

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旧古河庭園散策

2016年10月25日 14時29分58秒 | タウンウォッチング

今日曇り空の中、旧古河庭園へ行ってきました。ちょうど バラの季節できれい。

何でこんな時に?一昨日日曜の大学ホームカミングデーで、先月同期の私主催の「下落合界隈散策&B級グルメ会」に参加できなかった友人が、今度はいつやるの、早くやってよ!と泣きつかれ仕方なく12月早々にも実行するヨと約束してしまった。そこで今度は、旧古河庭園&六義園散策&B級グルメ会をすることに考え、きょう時間が空いたからその予備調査に行った訳。

地下鉄南北線の西が原駅から古河庭園に歩く。65歳以上70円。ここは過去2度来ているがいい庭園だ。石造りの洋館と、西洋庭園&和風庭園をうまくまとめた大正時代の代表的な庭園だ。

 その後、本郷通を15分歩いて 六義園に至る。周辺で飲み食いできそうなB級グルメの店を探す。と ありました。しゅうまいの店。これで行こう。一応の結論を出して、今回は六義園をパスして帰りましたよ。

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菊供養 ひとひ遅れて ねんごろに

2016年10月21日 08時31分26秒 | フォット俳句

菊供養 ひとひおくれて ねんごろに

    10月18日は浅草寺の菊供養の日である。境内で買った菊を本堂に供え、すでに供養された菊と替えて持ち帰り病気火災除けにする行事である。本来重陽の日にするものだが今は10月18日に行われている。

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一昨日の19日、たまたま俳句の吟行会が浅草寺で行われた。参加者は11名。みなさん私より年上だが元気元気。浅草駅に集合し、浅草寺境内周辺を散策し、俳句3句を作るという趣向。

 いま浅草は外国人に占拠されたような感じで日本人が少数派だ。そういう中での作品には  着物をきてしゃなりと歩く若い子が、中国語を話しているのに驚いたとか、中国人の着物姿の女の子を別の外国人が日本人と思って喜んで写真を撮っているのがおかしいとか、おみくじの箱を大きな音を立てて外国人が引いているとか、場所柄人力車の車夫があくびしている姿を描く俳句とか、題材がありそうで思いつかず、苦慮したようだ。

私はたまたま菊の花を見ていて、浅草寺の菊供養が前日であったと発見。そこで社務所のおばさんに前日の菊供養はどういう風にしたのですかと聞きましたよ。浅草寺のお坊さんがたくさん本堂の本尊様に菊をささげるとか、イヤー一つ知識が増えました。ちなみに俳句をやっている人は本当によくものを・言葉を知っておられる。知らないと作れないからかも。本当に感心する。

そこで吾輩も、急きょ、前日の菊供養を題材にしたわけ。結果的には同じく菊供養を詠んだ句が一人ありました。吾輩のあとの2句は

「吉原の 見返り柳 秋深し」 と

「浅草や 寄席に煮込みに 温め酒」   を提出した。

この後は.浅草今半に席を移し、相互に句評する句会。みんなわいわい、作句の心境を評論する。吾輩の句はあまりいい点が入らなかったネ。残念、悲しいね。

その後、今半のすき焼きをたらふく食べて、舟和の芋羊羹を土産に帰りました。

 

 

 

 

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10月15日は箱根駅伝予選会、16日は日比谷公園テニス

2016年10月16日 16時28分52秒 | Weblog

みなさんニュースでご承知のことと思いますが、昨10月1 5日立川の昭和記念公園〈旧立川飛行場跡〉で来年正月の、東京箱根間の大学駅伝の予選会。吾輩も見に行きました。

悲喜こもごもの予選会。駅伝常連の中央大学は予選会11位で、本番の正月駅伝出場資格を失った。一栄一落これ春秋という。その後は、盛者必衰の理だ。時代の変化が激しくかつ迅速の中で、ダーウインの言うように、ちからの強いのが生き延びるわけでない。頭の良いのが生き延びるわけでない。変化に適応できた奴が生き延びると。

体育学部を作ったり、外国選手を導入したりする中で、愚直な旧来のスタイルの中央大学が来年以降、生き残れるか、大いに疑問のあるところだ。

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16日は日比谷でテニス。9月半ばから雨で中止が多かったが、今日は久しぶりによく晴れて、夏の暑さが嘘のよう。いいね条件がいいのは。

テニスの前に、日比谷公園を散歩。今日16日の日比谷公園は「土と平和の祭典」といって、加藤登紀子氏の鴨川での農村発展事業を前提に、全国の新旧の農村振興事業といったところか。それを東京のど真ん中で、お祭り祭典にしているのは立派。

ライブもやっている。

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国分寺散歩

2016年10月07日 21時26分22秒 | Weblog

今日7日は久しぶりにいいお天気。

国分寺の殿が谷戸庭園の散歩に出かけました。

私は東京都の公園協会市民カレッジなる団体に入れてもらったが、活動はなし。でも、たまには、東京文化財団9庭園を大事にしたいと思っている。それらは、   浜離宮恩賜庭園   旧芝離宮恩賜庭園   小石川後楽園   六義園   旧岩崎邸庭園   向島百花園   清澄庭園   旧古河庭園   殿が谷戸庭園  である。これら庭園は東京の名園というに恥じない実績がある立派な庭園である。

今日はいいお天気であったから、久方ぶりに国分寺の殿が谷戸庭園に散歩に出かけたわけ。

殿が谷戸庭園は、大正初期、もと満鉄副総裁 江口定條氏が別荘として、当時田園風景豊かな国分寺駅の近くに、別荘として作ったもの。その後昭和4年に岩崎家が取得、回遊式林泉庭園として整備された。

当地は、武蔵野台地の傾斜地に位置し、国分寺崖線と言われる ハケ を利用し、地下水を巧みに利用し武蔵野の面影をよく残している。昭和49年に周辺開発に反対する住民運動に関し、東京都が買収、整備し、平成23年に、国の名勝に指定された。

紅葉亭から次郎弁天池を望む、この庭園の一番の見どころ。

竹の小道

この後、国分寺市が誇る 真姿の池湧水群 を見に行きました。

そして、お鷹の道を通って、武蔵の国国分寺跡の石壇を見て、奈良時代の律令国家の姿を想像した1日でした。

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山代の 古総湯かよふ 秋の風

2016年10月03日 17時40分46秒 | フォット俳句

山代の 古総湯かよふ 秋の風

     北陸の名湯に山代温泉がある。無色透明の硫酸塩の成分ともいわれるが、アルカリ温泉のようでもある。山代温泉は1300年前、行基が、ヤタガラスが湯の中で傷をいやしているのを見て発見したという。ヤタガラスは、神武天皇東征の時、熊野から大和に入る道案内をしたという3本足の黒いカラスで、 J リーグ・サムライ・ジャパンのマークでもある。ここに大正時代に北大路魯山人が修行滞在して九谷焼を学んだとか。

 

これが古総湯と言って、温泉源の公共浴場。2009年に明治時代の建物風に再築されて、金500円で入湯できる公共浴場。もちろん源泉かけ流しで、体を洗ったりすることはできない。お湯につかるだけ。隣に総湯があって、体を洗えるのかなー?地元の人は銭湯ですよってバカにしていたが。上記写真のように、洗面施設は一切ない。

総湯の2階は休憩場になっており、ステンドグラスに囲まれた優雅な休憩所。

総湯の隣にヤタガラスを見ながらの源泉かけ流しの 足湯を楽しんでいる

ベンガラ格子の美しい建物が魯山人らしい。

この2枚が魯山人の滞在していたところで、当時のまま今は「いろは草庵」となっている。

総湯の隣に、国の登録有形文化財であったベンガラ格子の旅館白銀屋が、いまは、星野リゾートの施設になって稼働している。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。10月2日〈日〉3日〈月〉と1泊2日の温泉旅をしたのは、温泉が目的ではなく、大学の弁論クラブの同期のメンバーの古希の顔見世が目的。       吾輩は宴会の前に、一人抜け出し古総湯に入湯しました。〈センチメンタルジャーニー〉

忙しい連中だから、日曜に出発、温泉で宴会し1泊、帰京というスタイル。

18・9歳の時に上京し、大学のクラブで一緒してから50年を過ぎた。金沢新幹線もできた。久しぶりに顔を見たいという単純な理由。吾輩もこの連中の宴会には、過去数度やっているが今回初めて参加。

なぜか。吾輩はかって、加賀の温泉郷には、2-3年前に山代温泉・片山津温泉・粟津温泉・湯涌温泉・和倉温泉などを巡ったし、もっと前には芭蕉の奥の細道探訪ドライブで山中温泉も、那谷寺 〈石山の 石より白し 秋の風〉という芭蕉の名句を追ったところだ。

それでも今回参加する気になったのはやっぱり、70は古来稀なりの節目であり、現代8掛けぐらいの実年数としても、やはり人生の区切りと思えたからだ。 先月は田舎で高校の同窓会にも出席した。

いずれにせよ、わが友人たちがすごい。.

東京の某女子大の学長1名、某県の県会議長1名。別の県の県会議員1名〈これも議長経験者〉、それに弁護士が2名、裁判官卒業者が1名、某建設会社社長経験者1名、元市会議員経験者で社団法人の理事長1名、針鍼灸師兼コンサル1名、大会社の部長経験して退職し今は農業している人1名、メキシコにいる娘婿と対日本関係のなんか事業をしている男1名、それに吾輩の計12名の団体だ。錚々たるメンバーだ。

これが、学生時代そのままで、俺が俺がとやるのだから、大変な宴会であった。まだ老いてはいないな。

しかし、

2名が癌の手術したとか、1名が人工透析やインシュリンを毎日うっているとか、着実に  生老病死 が近づいている意識をもって又の日を期して、別れた。

 

 

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