江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

夏も終わりの パリ その8 セーヌ川散策 これで おしまい

2015年10月03日 04時09分20秒 | Weblog

セーヌ川の岸辺を夏の陽を惜しむかのように、楽しんでいる人々







後ろはポン・ヌフ

ポン・ヌフの上に何か光るものがある。異様な感じで見に行きました。


なんと愛の鍵を金網に結び付ける…いわばおみくじを木の枝に括り付けるようなものか。

これには、2012年8月13日に
ここで鍵で結んだ、LAUR と Vali の愛の表現であろう。いずこの国民かわからないが。

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フランス的 美しいパッサジュ


プランタンのマネキン人形


ラファイエット デパートの天窓



夏も終わりの パリ その7 リヨン駅

2015年10月03日 04時04分12秒 | Weblog
かって飛行機旅行がない時代、日本人はマルセイユに上陸したのち、鉄道でフランスを北上し、ここ リヨン駅でパリに入ったのだ。漱石も鴎外も、
画家佐伯祐三も荻須高徳も。その多くの政府高官も学者も、一般の旅行者も。その時の感慨はいかばかりか。





リヨン駅の貴賓室か



ブザンソンに行くTGV



マルセイユに行くTGV


 ついでに吾輩がとまったホテルは サン・ラザール駅の近く。ここにも近郊列車の動きがありましたよ。






夏も終わりの パリ その6 ヴィラージュ・デ・サンポール

2015年10月03日 02時59分55秒 | Weblog
ローマ支配の後、ゲルマン民族がガリア全体に侵攻。ゲルマンの諸族が相互に領土争奪戦を繰り返したのち、カール大帝の相続者たちのうち1180年カペー朝の創業者フィリップ・オーギュストがパリ防衛のため、城壁をめぐらしたといわれている。

その城壁の一部が、「オーギュストの壁」としてここヴィラージュ・サンポールのシャルルマーニュ高校の一部として残っているとか。ちなみにもう一部が現在のルーブの中にあるとか。




ここサンポール教会の周辺はパリで最も古い地域である。ここにあ骨董街でもあり朝市も開かれるとか、結構おしゃれな街。






現在のサン・ポール寺院の内部



ここの路上で、ブルターニュの北あたりから来た漁民のおじさんが、露店を出していたので、生ガキを3個買って剥いてもらって食べた。
おいしかった。パリ滞在中に、オイスターバーで、生ガキと白ワインをと願っていたのが、思わぬところで実現できた。Happy.


なお、オーギュトの壁を見学しているときに、現地のシャルルマーニュ高校の生徒集団と会ったが、その中で一人日本語で話しかけてくる生徒がいた。完璧な日本語だから、君は留学しているのかと聞くと、父親がフランス人で母親が日本人だから、この夏日本に帰ってアルバイトしてきたとか。
そういえば、学校の開始時期だ。いやーいろいろな人がいるものだ、と感心しきり。
 

夏も終わりの パリ その5 サンジェルマン・デ・プレ

2015年10月03日 02時09分09秒 | Weblog
セーヌの中州の シテ島 を真ん中で串刺しするのが サン・ミッシェル大通り。この大通りの西側がサルトルやボーボアールなど実存主義者たちが議論に明け暮れた文化的な街 サンジェルマン・デ・プレである。おしゃれな街で、東京の青山とか神宮前といった感じ。
ここにパリだという感じがする。

サンジェルマンでプレ教会

教会で洗礼している模様

ローラースケート大会でしているのか

大道芸人でなく素人の楽団が路上演奏



すぐ隣にパリ第5大学がある。ソルボンヌが随分分かれているのでここにも学生たちも多い。、

大学を覗いて授業表を見る

学生が多く歩いている

路上のカッフェ

吾輩たちもビールを


なおこの地で有名な ブラッセリア の LIPPという店で夕食を楽しんだ。ちなみにかって文豪ヘミングウェイがこよなく愛した店とか。


パリ第3大学などのあるサン・ミッシェル大通りの東側の先に アレーナ・ルテス というローマ時代の円形競技場が残っている。
ローマの植民地だった時代、ルテス とか ルテーシアと呼ばれていた小さな町だったのだ。