江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

顔色も 遠慮しがちに 立葵

2016年05月31日 23時39分12秒 | フォット俳句

 

 顔色も 遠慮しがちに 立葵 

 葵の花は背も高く気品もあるが、なぜか新来の輸入物的花々に一歩置かれている感じがする。現代という時代の人気にマッチしえないのからか。しかし道端に咲いてる葵にも葵の美しさがあり、これを発見するのが喜びというものだ。

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29日の日曜日は代々木公園に散歩に行った。各種バラが咲き誇っている。

 

このバラを追って、写真撮影をしているモデルがいた。

東京オリンピックの選手村の一室が保存されている。

これは貴重品だね。

野外音楽堂では、今日はラオスのフェステイバルをやっていた。

ラオス美人

 

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四葩より 薄紫の 百の風

2016年05月31日 09時15分11秒 | フォット俳句

四葩より 薄紫の 百の風

   四葩(よひら)とはあじさいのこと。花弁が四つあることから 四つの花・四葩という。

梅雨時のつかの間の晴れ間などに、紫陽花の乱舞のなかからたくさんの風が吹いてくるような感じがする。薄紫の匂いが漂ってくるような。

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5月末、世の中いろいろあるね。

2016年05月28日 21時27分19秒 | タウンウォッチング

5月28日土曜日。

サミットは終わって各国首脳はそさくさと帰国した。オバマ大統領だけは広島で献花する事業をこなした後、岩国基地から直帰した。サミットやオバマ広島にいろいろ評価はあろう。だが70年という時間の流れは着実に人間の意識に変化を及ぼす。殺し殺され、いきり立った時代と、世代交代ののち、冷静に時代変化を読む時代に来たのかなと。

有明テニスの森では、サミット7カ国+アルファ―の選手もが出場して、「世界車いすテニス」がおこなわれていた。錦織の全仏オープンと同じ日に、サミット首脳会議と同じ日に、東京で開催している。

表彰式

 

この後、吾輩は有明からレインボウbridege を渡って、対岸のJR田町駅まで行きました。

レインボウブリッジの足下駄と、第3お台場の緑。

お台場とフジTVのビル

レインボウブリッジの歩道と車線。その右に「ゆりかもめ」が走っている。車でしか通ったことのない自動車専用橋と思ったが、多目的橋だった。」

下に、あの宇宙船的遊覧船が走っていった。

JR田町の手前に、北芝運河が港区の遊歩道に指定されており、そこから東京モノレールの雄姿を見た。前回のオリンピックの英雄だ。

 

 

 

 

 

 

 

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サミットや 江戸の昔も 伊勢参り

2016年05月28日 09時22分27秒 | フォット俳句

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岡本民家園

2016年05月24日 22時26分21秒 | Weblog

今日は世田谷区の砧公園でテニス。

そこで、先の土曜日に行った  次大夫堀公園  では次大夫堀のみならず、世田谷周辺の旧来の民家を数多く展示し、過去を学ぼうとする民家園がありました。

その民家園展示の最初の嚆矢・パターン、岡本民家園に行きました。

砧公園から南に歩いて約20分強。歩いてみると仙川の河岸段丘に立つ砧公園や、東名高速を越えた岡本地域がよく分かる。砧公園から、西の方に約30分も歩けば次大夫堀公園に行く。

かって多摩川から引いた次大夫堀の水の恵みで江戸時代の初めから、この辺りの水田が開発されたのであろうが、経済歴史の変化動きは極めて大きい。江戸から400年ののちの現代に、昔と全然違う世界になったのが、ここ世田谷だ。

今は、過去をまったく考えることのない、セレブの街並みになっている。

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伊勢志摩サミットの前に 紫陽花のはしり

2016年05月23日 18時35分02秒 | Weblog

近所に紫陽花が咲き始めました。 季節の移りが早い。サミットは志摩のホテルで行われるが、志摩の湾からみるのも美しいのだが。木曜日は雨模様かな。

今は72節季の「小満」つまり、命が次第に満ち満ちて行く頃という意味。梅雨前のいいお天気のはずだが。

今日5月23日は 「恋 に 文」という語呂合わせで、ラブレターの日とか。

あじさいが懐かしい

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世田谷区 次大夫堀公園・民家園

2016年05月21日 20時42分58秒 | Weblog

今日21日は成城学園前で俳句の句会。今日は吟行を兼ねて句会という、若干熱心でない句会であった。吟行も当初は横浜の港の見える公園とか案があったが、多分天気が悪かろうということで、本拠地の成城学園駅近くの飲み屋の近くを歩こうとなった。で、どこへ行くのかと聞いたら、「次大夫堀公園」という。私も知らないから、何ですか、それは?ですがな。でもいいお天気だ、散歩も良し。行きましたよ。

次大夫堀とは、稲毛・川崎の代官であった小泉次大夫(じだゆう)の指揮により慶長2年(1597)から15年の歳月をかけて開発された農業用水で、正式には六郷用水といい、玉川の水を取り入れ、世田谷領14ヶ村の水田利用灌漑用水として、23.2km、世田谷領と六郷領(現大田区)との間で、350年間利用されてきた。

小泉次大夫は、徳川家康に従って、武田勝頼と合戦。武功により、750石を与えられた直参であり、普請奉行として多摩川改修事業に従事していた、能吏でもあったようだ。職責上立場から多摩川沿いの新田開発を建議、それが認められ、、多摩川東岸の六郷用水、多摩川西岸の二ヶ領用水の普請を命じられたとか。

さて、次大夫堀公園だが、江戸の昔から四〇〇年を越えた現在の変貌は極めて大きい。特に、高度成長経済以降の変貌は大変なもので、いわゆる「三丁目の夕日」以前の記憶を持っている世代が、世田谷区や、区役所その他公的機関に多くいるから、昔の実態を残すべきだと考え、実践している要素が多いと、吾輩は思っている。

次大夫堀は、六郷用水で多摩川東側、多摩川西側は、二ヶ領用水として、ともに新田灌漑用水として、同一責任者のもとで、同時に開発がすすめられ、同じように多摩川沿線の水田開発に効果を上げた。が、六郷用水=次大夫用水は人口に膾炙しながら、時代とともに、徐々に消滅していって、いつの間にやら、「野川」の一部となって消えていったようだが、世田谷区がその豊富な財政事情から、次大夫堀公園をとともに、世田谷区の旧家を民家園として、再開発した地域が、今日21日の吟行会の目的地であったのだ。

以前「二ヶ領用水」分水器を見に行ったことがあるが、あれは多摩川左岸の現在神奈川県側の、二ヶ領用水の一部に、太平洋戦争直前の頃の、優秀な土木工学者の傑作であり、あのサイフォンを利用した完璧な構造物は素晴らしい遺跡だ。「二ヶ領用水」に比べ、当時の社会に与えた影響力はもっと大きかったと推測される「六郷用水=次大夫用水」があっても、多摩川右岸の世田谷側には、これといった「玉」がなかったから、あまり名前を知られず、消えていったのだろう。

 岡本民家園

ちなみに、江戸時代から、次大夫堀=六郷用水を利用していた14ヶ村は 上流から

和泉  猪方  岩戸  喜多見  鎌田  大蔵  岡本

瀬田  上野毛  下野毛  等々力  尾山  上沼部  下沼部 の各村である。

現在の狛江市や世田谷区、大田区まで至る。 これらの地名が現在も残って使われているのが多い。

 追記  以前の   二ケ領用水久地円筒分水  2015,12,17掲載   を参考にして下さい。

 

 

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今日18日は 五月晴れ。いいお天気だと心が弾むね。

2016年05月18日 20時11分18秒 | Weblog

今日は気分がいいので、そこで昨日今日の写真を探し出してここにご披露ね。

今日の相撲をTVから宝富士と逸の城の相撲。宝富士が勝った。両国駅を通って錦糸町に行ったよ。

  富岡八幡宮の境内にある記念碑。一昨日かな散歩に行ったのは。隣が深川不動尊。マントラの真言を唱えているが分からない。

でもいいお天気だから今日は錦糸町の(猿江恩賜公園)でまたテニス。その前に公園を

 

 

 

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仲見世は 三社祭の 渦の中

2016年05月14日 16時09分35秒 | フォット俳句

5月13・14・15日と浅草で三社祭がおこなわれている。本来は5月の第3の金・土・日であるようだが、本年は伊勢志摩サミットのため、1週間早めたとのこと。

浅草は浅草寺だが、その東に接して浅草神社があり、ここの祭礼で江戸の3大祭りなのである。町内の神輿は浅草神社でお祓いを受けた後、右隣の浅草寺に敬意を表して、浅草寺の仲見世通りをせり出してゆく。

この後、言問橋をとおってスカイツリーまで歩いてきました。ここから水戸街道、国道6号線が始まる。スカイツリーは昇るには90分待ちというので止めました。

 

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バラの季節

2016年05月13日 15時53分22秒 | Weblog

ついこの間まで、桜がいつ咲くか、咲いたらいつまでもつか、大騒ぎしていた。

そうしているうちに、つつじの鮮やかさに目を奪われ、そして藤の美しさや、菖蒲に杜若と。

今はバラが美しい。今日の日比谷公園のバラをご紹介する。

 

 

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連休はどう過ごすかーその5 佐伯祐三アトリエ記念館

2016年05月08日 18時43分36秒 | Weblog

連休最後の日曜日。椎名町駅から中落合の 佐伯祐三 アトリエ記念館を訪問。

30歳で結核のためパリで夭折した天才画家のアトリエ跡が中落合の住宅街に残っている。

自画像

アトリエ

庭園

新宿区はこういう芸術家や文化人跡を大事にしているので大いに助かるね。この後、   林芙美子記念館へ行こうとしたが、時間が4時半終了とのことで、次の機会へ。

その代わり、「知らない町探訪」をと、歩いて妙法寺川と神田川沿いにお滝橋通り、をとおって大久保駅近くまで。ここで、あの姫路の酒「八重垣」を飲ませる滝元という飲み屋に行ったが、ここは日曜で休み。残念。仕方なしに北新宿百人町で「鷹丸」という牡蠣を中心の飲み屋に寄ってみたら、これがとてもうまい。B級グルメのお勧め。また行こうっと。

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連休の谷間

2016年05月07日 12時58分44秒 | Weblog
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連休はどう過ごすか その4 やはり日比谷公園か 能がないね

2016年05月04日 17時52分12秒 | Weblog

今日は日比谷公園でテニス。だが昨夜来の雨で、テニスの予定が危ぶまれたが結局お天気に恵まれた。

ですから連休の過ごし方には、当然普段の運動が入るネ。皆さんも、近場の普段慣れた運動等がいいのですよ。連休だからといって遠くへ出かけるのもいいが、近場には近場の味がある。

ところが、今回は普段の日比谷でなく、程度の低いイベントだ。それも4月30日と同じで、「ミュージック・パーク」と題して多くの露店を集めて、あとは全国のアイドルとご当地グルメが集合とさ。趣旨の分からないイべントばかりで、見る方が恥ずかしくなる。

でもただでアイドル?らしい女の子を見て、ご当地グルメで、旅行した気になるなら、それはHappyとしよう。

かわゆい

写真禁止。遠くからでよく分からない

今日出演は 赤マルダッシュ/アース・スタードリーム/大阪・春夏秋冬/オトメブレイブ/963/Calleme/さんみゅー/などなど、これはどうもアイドルの名前らしいのだが、これらが噴水の前の野外音楽堂で入れ替わり立ち替わり、大音量の音楽をバックに踊っているのだ。 凄い迫力。前の席には女子と一緒に踊っている人もいるね。

その横で、ロートルのおじさがテニス。吾輩は2時間で止めた。他の人たちは4時間もやる。

 

 

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連休はどう過ごすか その3  代々木公園野外公会堂でラテン・デイを見た

2016年05月03日 17時32分58秒 | Weblog

連休はどう過ごすか その3  代々木公園野外公会堂でラテン・デイを見た

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連休はどう過ごすか その2 八王子「絹の道」

2016年05月01日 18時03分06秒 | Weblog

連休は近場に限る。

あ吾輩は、今日5月1日の日曜は、八王子の「絹の道」散策。

ぺルリ来航以来の日本の対外政策は混乱の極みだが、経済面では生糸の貿易が大きな比重を占めていたようだ。江戸末期から高崎や桐生の生糸生産地域をまとめて、八王子の鑓水地域の商人が、外国貿易に手を出し、幕末から明治初年に日本の優秀な生糸輸出するビジネスをやったようだ。

最初は、「江戸鑓水」ブランドで商圏を広げ、大いにもうけたようだ。その財政成効が、『石垣長者』と言われる豪華住宅の建設であったようだ。名残が八王子の黒塀町だ。今も何人かの芸者さんがいる。

しかし、そうゆう横浜貿易での親分が、現在の 三渓園 と言われる 横浜経済界の大物、原三渓である。このオジサンが厳しくとりしきったから、八王子の鑓水生糸商人は、いいように扱われ、儲けがなかったとか。横浜貿易会の第一人者は「三渓園」を残している。

それで、八王子の鑓水生糸ブランドもすたれ、いつか八王子鑓水から横浜へ生糸を送る「道」もすたれていったとか。 京都と若狭の「鯖街道」みたいな関係か。

そういう過去の時間を感じたくて連休に行きました。

絹の道 記念碑

これが現存の絹の道の一部。

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