江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

隅田川花火大会

2017年07月29日 19時58分10秒 | Weblog

7月29日(土)は隅田川の花火大会だ。

江戸の野次馬としては、見に行かねば夏にならないとは思いつつも、寄る年波に勝てず、出かけるのは億劫だ。暑い 夏に出かけるのは若い男女の世界だと、家でイジイジしていたら、TVで実況するという。

 これはTV桟敷が一番と。むかし、オリンピックのメダリストたちが銀座通りをパレードするというときに、吾輩も見に行きましたよ。銀座中央通は多量の人がでて身動きが取れない。動けない。いつもの散歩コースが人・人・人だ。結局人の背中だけ見て途中で一杯やって家に帰ったら、TVで銀座パレードをやっていた。唖然!俺は何をしていたのかと。

 また以前、隅田川花火大会を野次馬として見に行きましたよ。今もそうだと思うが、厩橋を通って隅田川の東土手まで歩きながら花火見物の計画だったが、これまた見物人が多すぎで渋滞渋滞。厩橋を渡れない。花火が見えない。そのとき、こんな見物あるかいなと思ったね。

結論、老人にはTV見物が一番。若い人のようにデートするとか別の目的があれば別だがが。

 

 

 

以上は全部、TVを写真で写したものです。

 

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花園神社の野外公演

2017年07月23日 19時06分51秒 | Weblog

 7月23日の日曜は、新宿は 曇り空、でも27度c。実際はもっと蒸し暑い、夏ですな。暑い暑いといっても始まらない。ただ耐えるだけ。

今日は所用で、新宿の歌舞伎町から花園神社に散歩しました。ロボットレストランの前は相変わらず、外国人の多い人気スポット。日本人で地方からのおばさんらしい人が懸命に写真を撮っていました。きっと新宿でロボットレストラン 見た見たと自慢したいのだろうと 忖度しましたよ。

歌舞伎町の新宿区役所の傍から、ゴールデン街を通りましたら、「椿組」クラクラの店がありました。しかしここは、いま花園神社の境内で公演をやっているしまだ開いていない。

クラクラの 外波山文明 氏が新宿ゴールデン街の取り締まりと「椿組」劇団のオーナー・総指揮者をやっておられる由。 今年も 花園神社の境内で、7月12日から23日の今日まで、野外公演「ドドンコ ドドンコ 鬼が来た」をやっておられる。 吾輩は何年か前に木戸賃を払ってみたことがあるが劇団公演は大変な仕事だ。

この公演の出演者のなかに、むかし美人だなーとあこがれた 井上かおり君 カオリンが今もやっていましたよ。継続は力。美人長命と。またそのうち、「クラクラ」に会いに行こうっと。

花園神社は雷電神社ともうひとつなんとかの神様を祭っており、俗世では 強力なパワースポットとか。まあ何らかの御利益があるのだろう。ちなみに歌舞伎町の先の、新宿百人町に「皆中神社」という「当たる」神社がある。ここは当たる。勝負・ばくち・学業等々。なぜなら江戸時代、鉄砲組百人組の兵士が、百発百中を念じた神様なのだから。

花園神社には、今は異教徒の外国人が物珍しそうに写真を撮っているが、彼らは何も知らないから、吾輩が、「2礼2拍1礼」の作法を見せてやったよ。

 

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センチメンタル・ジャーニー

2017年07月14日 10時42分42秒 | Weblog

7月13日、炎天下、池袋駅の北 豊島区要町を 古希を迎えたオジサン3人組で歩いた。

 

ここは、50年前、これらオジサンたちが学生下宿で生活を共にしたところだ。

東京に住んでいる吾輩でも、東京近郊や地方に住んでいる人も、特に目的がない限り、50年の昔の住居跡まで、訪問することはまずあるまい。

今回、小生へのお祝いのためと、50年昔の友人が集まってくれた。そこで、半世紀昔の学生時代の思い出を と無理して訪問した訳。それだけ各人の思い入れが大きいということか、当時の印象が強烈であったことか、衆議一決。

 池袋もご多聞にもれず都市計画や地下鉄副都心線の延伸で大きく変わっている。

丸ノ内線東京駅で集合し、池袋まで。ここで新しい副都心線に乗り換え要町駅まで。駅を降りてもさてどこだ?要町交番や要町小学校はと思いだしながら遠い昔の記憶を思い出しながら、狭い路地を迷いながら、昔のソバ屋とかラーメン屋とか、人に聞いたり番地を思い出しながら、闇夜の手探りで、やっとたどり着きました。

50年もたって周辺の家屋も建て替えがあったり持ち主が変更したりかなりの変化が見られるが、我らが下宿は昔のままで残っていました。住所表示は変化があったが後で聞くと昔の表示をそのまま保存的に使っていると。周辺のコミュ二テイが残っている。

遠慮なくベルを押して、50年前の下宿人ですと名乗った。家の中から出てきたおばさんは、昔の下宿のおばさんと雰囲気がそっくりの人。色々話していると当時下宿屋のお嬢さんで、母親は5年前他界した由。現在は下宿屋を、やっていないみたいなので当時の同年代の息子さんの消息を聞いたり旧聞を交わし、懐かしさが募る中、分かれた。50年前がよみがえったよ。

下宿周辺の八百屋では80歳のおばさんと話を交わした。彼女は当時30歳で嫁に来て50年住み商売していると。そうすると当時、この若奥さんとどこかで買い物したかもしれない。麻雀屋、ソバ屋等50年もの時間の流れの中で、消滅していた。往時茫々。

周辺の、食べ物屋や、細い路地を見ながらバス通りへ出たら道路が拡張されていて、雰囲気がちょっと変わっていたが、我らが、青春一時期を共に生活した、50年前のセンチメンタル・ジャーニーを楽しんだ。

後は新宿まで出て、宴会。  きょうは、思い出深い良い一日であった。

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浅草寺 ほうずき市

2017年07月09日 10時48分00秒 | Weblog

7月9日・10日は浅草寺のほうずき市。この日に観音様を拝んだら4万6千日分の功徳があるという。こういう功徳の日は江戸時代から定着し、その他の神社でも行われている由。ちなみにほうずき市は愛宕神社で流行っていたのを浅草寺にも持ってきたとか。今は浅草の名物だ。

 

赤いほうずきの実だけを買って、昔は薬用に食べたとか。いまはどうするのでしょうかね?

  境内には100軒もの露店が出て ほうずきを売っている。一鉢2500円が相場価格。

4万6千日分の功徳のほかに、雷除けもこの日の目的であり、ほうずき以外に、「雷除けのお札」を買って家に持って帰るのが本来だが、皆さん ほうずき にしか関心がないみたい。知らないのだろう。避雷針の発達のせいか。

今日9日は午前10時で30度を超えていたのでないか。猛烈に熱い。が縁起物の世界は人気があり、そこへさらに外国人が集まるから、 あ・つ・い

 

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河骨の金突き抜けし 水の面

2017年07月02日 21時26分43秒 | Weblog

河骨(かわほね)池沼・小川に生える水草で、黄色の小さな花をつける。スイレン科であるが白くて太い根が、骨のように見えるので、河骨と言われる。

 そこで、 河骨の 金突き抜けし 水の面     が今日の句である。

あやめも 6月中旬までで、今ではわずか2本の生き残りだけ。

紫陽花も そろそろ終わりに近づいている。  皇居東御苑の二の丸庭園も、いよいよ 花ひでり  の感を強くする。

 

秋の七草の 桔梗が 綺麗に咲いていた。

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