江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

そうは入谷の鬼子母神

2013年10月27日 22時31分59秒 | タウンウォッチング
日本シリーズ第2戦。
田中マー君の力投で、2-1で楽天が勝った。巨人は一気にとおもったが、

「そうは入谷の鬼子母神」だ。

寅さんのセリフに、こんなのないかな?





言問通りを歩くと、「弥生式土器」とか、団子とかいろいろ発見するね。



あと、御徒町まで行って、からつきの牡蠣とホタテを買ってきた。

これを野球見ながら、オーブンで焼いたら、これまた美味。おいしいーネ。 おすすめ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

間違い!!

 恐れ入谷の鬼子母神 だよなー。

   そうは烏賊の黒作り

   その手は桑名の焼き蛤
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風一過 秋深まる

2013年10月26日 20時49分13秒 | 歳時記

半蔵門濠の秋色


桜田門のビルを映す








日比谷公園でガーデン展をやっていた。


夜の日比谷から有楽町方向

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旗本御家人 お仕事いろいろ 4 おしまい

2013年10月25日 14時49分13秒 | Weblog
皆さんは多分 「公人朝夕人」(くにんちょうせきにん)という江戸時代のお役目を聞いたことがありますまい。

これは上田氏の世襲で定員1名。

で、なにをする役目かといえば、将軍が将軍拝命を受けるため京に上洛し参内しますが、その時、将軍は束帯を付けてかしこまっているため、催してきても容易に小用が果たせない。そりゃ困りますわナ。

そこで公人朝夕人という職種のお付きが、将軍が尿意を催した時に、銅製の尿筒(これを小用筒、装束筒ともいう)をささげて排尿させる役目なのである。まあいわば簡易洩瓶ですな。参内してどこで、別の意味での「つつもたせ」をやったのかは不明ですが。



しかし「公人朝夕人」が実際に活動したのは、家康、秀忠、家光の時代までで、その後は幕府の記録に存在せず、江戸中期以降は名前だけの役目となっていたようで、完全に忘れられていたような。

 そりゃそうだろうが、国立公文書館の学芸員もよほど興味があったんだろうな。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旗本御家人 お仕事いろいろ 3

2013年10月22日 20時23分06秒 | Weblog


切腹の検視は目付職の役目。「田沼実秘碌」によると

1784年天明4年、天明の大飢饉のあと、江戸城中で旗本佐野善佐エ門政言(まさこと)(28歳)が、若年寄りの田沼意知(おきとも)(36歳)を切りつける事件が発生。

佐野政言は大目付の松平対馬の守に組とどめられたが、田沼意知は重傷を負いその後絶命。

 江戸城では、1701年の忠臣蔵ばかりでない刃傷沙汰があったのだ。

その後、佐野政言は切腹を申しわたされ、小伝馬町の揚座敷(これは500石以上の旗下の未決囚の独房とか)の前で、切腹執行されることとなった。

      (注 1858年吉田松陰は小伝馬町の雑房に収容されここで、斬首。)

 だが、このような場合、切腹する者が三方の上の木刀を取ろうと前かがみになった時、介錯人が斬首するのが、江戸時代の軟弱な定法となっていた。にかかわらず、

佐野政言は、旧来の定法通り、真剣で自ら腹を切りたいと懇願したため、現場では困惑。

どうするか。

この時、当該切腹に責任者として対応した目付、山下下総守貞幹(さだもと)ははどうしたか。

佐野切腹人には、その言い分の「真剣での切腹」を聞いてやると言って佐野の心を和らげ、その前に形だけの三方から木刀をとるように、と申し渡した。

 佐野が木刀をとるため、体を伸ばした瞬間に、介錯人が首の皮1枚を残して無事斬首。

ここで、山下目付はシステムを定法通り、齟齬なく切腹を運んだ有能な目付であると、評価されたとか。

これは、現在も通じる日本人的行動パターンだよな。  めでたしめでたし。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲刈り が変わっている

2013年10月20日 19時18分50秒 | 文化



稲刈の 季語を変えゆく 月日かな
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根駅伝予選会

2013年10月19日 19時44分16秒 | Weblog
1月恒例の箱根駅伝は来年90回大会となる。ここでは23校が参加するが、今年の1月での成績で上位10校がシード校となるが、残り13校は予選会で選ばれる。

その予選会が、10月19日土曜日、立川の自衛隊立川基地と昭和記念公園、立川市街の20kmで行われた。

予選会参加校は箱根常連校も含めて44校が参加。そして各校12名の選手が20kmを一斉に走り、うち上位10人のタイムを計算して順位を決める。だから420数名の選手諸君が一斉に走るという形。

観客も朝9時過ぎから、小雨模様のお天気だのに多くが参加し、20kmを1時間40分ぐらいで走り抜ける学生の姿をを立川基地や公園内あちこちで観戦するも楽しみである。




 参加校には、箱根駅伝にあまりご縁のない国立大学なども参加している。たとえば、一橋大、横浜国大、埼玉大、千葉大、東大&東大大学院の2校など。




各校の応援団の幟は、戦国時代のホロみたいで、どうも野馬追いみたいな感じだし、いまの時代は男の応援団より。女のチヤ―ガールの応援の方がいいね。




 

予選会の結果は、公園の出口・西立川駅の入り口に掲載されていた。



 


 秋桜  箱根予選が 跨ぎ過ぐ 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旗本御家人 お仕事いろいろ 2

2013年10月18日 17時12分11秒 | Weblog
国立公文書館の展示の案内冊子を見ていると、面白いことが多い。



まだ当館に行ってない人のために、今回は、これをお知らせしたい。(他にもあるが、様子を見ながら)

1、4000石の大身の旗本 藤枝外記(名前は教行・のりゆき)と新吉原の遊女と相対死(心中)事件。

2、天明5年、1785年の事件で、「寛政重修諸家譜」とか事件取り調べた大目付久松筑前守の「久松日記」や太田南畝の「一話一言」などから公文書館で引用した文書で綴り、一般受けに面白く書いている。

3、藤枝外記は寄合(非役)で28歳。相手は新吉原京町の大菱屋の抱え遊女「綾絹」19歳。
心中したのは8月13日、場所は千束村の百姓平右エ門の家。

4、心中したのは千束村の「餌指」某の家。餌指とは,鷹狩りの鷹を飼育調教する鷹匠頭(1000石以上の旗本)の配下で鷹のえさとなる小鳥を捕ってくる役目とか。

5、心中を発見した餌指某が、藤枝家の屋敷に駆けつけ、「示談金を惜しまず出すなら、遊女の抱え主大菱屋に話をつけ、心中の事実を隠ぺいしてあげよう」と持ちかけた。

6、ところが藤枝家の家老は「当家の主人はそんな悪所(吉原)など行ったことはないはず」と突っぱねた。 そこで、某は上司の鷹匠頭にありのまま届け出た。

7、一方、藤枝家では、外記が病死したと届け出た。

8、取り調べの結果、藤枝家側の虚偽が露見。この結果、藤枝の御家は断絶。外記の妻「みつ」19歳と、母「本光院」49歳とも親類方に「押込」となった。ほかに藤枝家の用人2人も「押込」となった。

9、その他森山日記などには、餌指の某が事件を金で揉み消すよう持ちかけたのに、藤枝家の家老が、
「不案内」でこの種の事件が起きた時の対応をわきまえていなかったため、御家断然の憂き目を
みることになったと。

10、まったく、現在版の「危機管理」マニュアルと同じではないか。

11、その後、太田南畝の随筆には、その後江戸ではやった唄があると。

「君と寝やるか5千石とるか、何の5千石君と寝よう」

いつの時代も、3面記事の題材はあるもののようだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後の月・・十三夜

2013年10月14日 23時21分28秒 | Weblog
台風26の接近をひかえて、あす15日と16日にかけて東海関東は激しい風雨が想定され、交通機関等に大きな影響が見込まれる。

本日14日は、まだ天気清朗で写真のような月が出ている。23時ごろ。





 旧暦9月13日は、「後の月」あるいは「十三夜」あるいは「栗名月」といわれるもので、「中秋の名月」に対して 「後の月」というもの。

本年の旧暦9月13日は、新暦の10月17日に当たるとか。

きっと台風一過の 名月が見られるといいね。

   日光の 揚げ湯葉並べ 十三夜
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旗本御家人  お仕事いろいろ

2013年10月12日 19時24分34秒 | Weblog
 北の丸公園の国立公文書館で、25年秋特別展を「旗本御家人・お仕事いろいろ」の題名で公開している。(5日から10,24まで。無料)

公文書館は総理府の所管と思っていたが現在はどこか、そんなことはどうでもよい。
江戸時代の公文書記録の多くが江戸城の紅葉山文庫に残されており、これを明治政府がほぼ無傷のままで引きづいた。
 この中にわれ「江戸の退屈御家人」の御先祖様の生態が残っているというものかなのだ。

今回の展示会は公文書館保管の文書類を、学芸員等知的職員がこれを読み解き、現代人風に面白おかしく抜き出し、その解説をするとともに、公文書館の組織・仕事の形態を期したものといえよう。

今回の目次
1、多くの女性たち・・その仕事(御乳付、薩摩姥、御乳持、御伽坊主)
2、大奥の小児医療・・奥医師
3、監察の仕事・・大目付、目付
4、公金の運用・・先手鉄砲頭の試み
5、記録保存のための仕事・・書物奉行、書物同心、小普請
6、天文方の仕事
7、幕臣の手紙
というように、江戸の公務員=旗本・御家人の多様な仕事のうち、公文書館の学芸員か職員の関心を引いたもの提示解説した展示会といえよう。

1、大奥の女性たち の仕事は出産育児が一番。そのため、将軍の子供の育児養育システムとして、「御乳付」という出生時の授乳かかり、「薩摩姥」という産婆、「御乳持」という授乳係等があり、さらには、「御伽坊主」といって、シークレットな役職もあったと。

2、「御伽坊主」とは、小生の知識をこえていた。
大奥には様々な女性が勤務していたが、その中に数名、髪を剃り坊主姿の年配女性がいたそうな。その主な仕事は将軍の伽の連絡役とともに、大奥の寝所で将軍が御中とセックスするときに、次の間に伏して女性の言動に聞き耳をたて御年寄りに報告したといわれている。

「御伽坊主」は男女の性差をこえて将軍の日常的な居所である「奥」にも立ち入り得る特殊な職種。この仕事を行った「営林」という人など4名の公式記録文書がのっこっている。
御奉公50年という長期勤務のあと、退職後は固く口を閉ざしていたと。

 こういう公文書ならではの面白いが四角四面の報告書で、幾分間の抜けた文書はいいね。

そのほか上記目次のようにいろいろある。今後徐々にわがブログで報告するか?

是非、皆さま御自分の目で、江戸の社会システムの実態を御覧じあれ。面白いのは請け合い。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画  謝罪の王様 を見る。

2013年10月10日 21時05分02秒 | Weblog
渋谷で いまはやりの「謝罪の王様」という映画を見た。1800円をシニアだと1000円也。おれもいよいよ老人の仲間入りか。

この映画は、脚本が あの アマちゃんの宮藤官九郎。彼の爆笑エンターテインメントだって。

官九郎の名前は知っている。何しろこの半年間、面白いものだから、毎日八時から 「アマちゃん」 を見ていたから。おかげで生活のペースが狂ったよ。

 監督 水田伸生、主演 安部サダオ というが吾輩は知らないが他に「舞妓Haaan」とか「なくもんか」チーム等実に多数の人間が映画作りには関係するのだと、今回やっと分かった。映画なんて数人の裏方と俳優数人の中小企業と思っていたので、大企業的人材の配置とバックを見て、目からうろこの感じ。

現在、土下座で謝るという文化というか社会的弊害とかが言われており、先日NHKのクローズアップ現代でも放映していた。

NHKがここでとらえる視点と、爆笑エンターテインメントとして商業映画とは、若干スタンスが違う。

この映画は人間の善意の面を強調しているが、そのためのコンサル「東京謝罪センター」をたちあげて、その所長=安部サダオと、ちょっと訳ありの美人女子大卒生=浅田真央ちゃんが助手で2人して、一生懸命「お詫び」問題を解決するうちに、面白おかしく脚本家自身の過去の芸能界の色々の経験をちりばめて、どたばた喜劇を描いている。

 七つほどのケーススタデイをオムニバス風に、面白おかしく、弁護士を立てた本格的訴訟に行く前に、土下座による誠意誠実を表現することにより、紛争解決し、涙に笑いありのハッピイエンドを書いている。「誠意とは言い分を聞くこと」という決め台詞は まあそうだろうが。

 架空のアマン国?を作り、そこの王族と日本の文化摩擦事件を大きく扱っている。
ブータンに似せた国の皇太子がお忍びで浅草を歩いているとき、偶然日本の映画撮影隊に通行人として手伝わされ、その絵が本国で放映。これが皇族の肖像権侵害、酒類飲酒禁止、肉類摂取禁止等などで懲役90年となるところから、架空国に謝りに行く。その際、日本的な最強の謝りを表現すべく「土下座」をする。
 しかし土下座が現地では最大の侮辱表現であるとか。

 そこから、異文化摩擦と文科大臣の日本的行跡をおかしく描き、、文科大臣、外務大臣、総理大臣まで謝罪に行くが、常に、土下座の持つ意味が正反対で、誤解が増昂して修復不能となる。

 最後は世界の子供共通ののおふざけ言葉、「腋毛ふさふさ自由の女神」というキャッチフレーズと踊りが先方国への最高の謝罪の表現と理解され解決した。
 
 しかしこのようなおふざけ言葉と踊りは、日本では噴飯もの。日本側では、こんなのやっていいのかという、土下座謝罪文化のアンチテーゼ性を示している映画のエンターテインメントの世界のようだ。

だが、日本の現実の土下座問題は、もう少し、陰湿ないじめ的品性劣等的嫌がらせの面が多いような気がしたがね。

 エンタメ爆笑映画だからまあそういう程度だろうが、宮藤官九郎くんには、もうちょっとパンチがほしかったね。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神さびる神宮

2013年10月06日 11時19分24秒 | Weblog
6日日曜、昨日来の台風23号の雨雲が少し弱まったので、朝の散歩に出かけた。

神宮北参道  神さぶの厳粛な雰囲気に包まれている。








しかし、俗界は今日人形供養の日であるみたい。お寺さんのみならず、神社の親分まで俗界の商業行事に加担しているのか。


人形を供養に朝早くから行列している。

みなさん自分の人形を持参して並んで待っている。


でも出口原宿道は神さびている。




しかし、神宮の隣の東京体育館では、なんと若い男がアイドルの女の子の写真を交換・売買している。
売る方も売る方だが、買う方も買う方だ。
 そういう時代なんだ。いやーだから吾輩などは時代に追いつかないね。




乃木坂46  なんて初めて聞くぜ。


さらに代々木公園では第25回「北海道食道」と銘打って、道内50市町村115ブース出展の食の祭典。
10時からオープンというのに、9時過ぎから並んでいる。オイオイオイ、この飽食の時代に、いったいどうなっているんじゃ。




吾輩も、カニグラタン・大エビ揚げ2本・ホタテ揚げ4ヶで1000円也を買いましたよ。10時にですよ。
さすがにビールは自制したが。恥ずかしいね。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花鳥諷詠 は高浜虚子の世界

2013年10月05日 19時17分57秒 | Weblog
花鳥諷詠 は高浜虚子の世界
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩原温泉探訪・・・

2013年10月04日 11時29分23秒 | 旅行
10月3日、台風が東北沖に去ったのでお天気かと期待して懸案の那須塩原温泉探訪を試みた。
最近は、寄る年波かやけに温泉が好きだと、節操がなくなっている。
塩原は比較的近いから日帰りで温泉巡り、3か所ぐらいは行きたいね。何しろ初めてだ。

朝7時21分北千住駅発の東武スカイツリーラインの快速に乗って東武日光まで。128km1320円。
日光駅でレンタカーを借りて、鬼怒川温泉を越え「日塩もみじライン」で塩原温泉に行く。

塩原温泉は806年大同元年発見されたとか。現在の国道400号線塩原街道が明治17年開通。それから夏目漱石、谷崎潤一郎、斎藤茂吉など文人が多く訪れ有名になったとか。
塩原は街道沿いに11の異なった温泉がある。それぞれに有名な旅館やホテルがあるので、どの温泉やどの湯を選択するのが難しい。昔みたいに長期の湯治客ならそれぞれ温泉の違いを味わえるだろうが、現代人は忙しい。吾輩のように日帰り温泉客など、あまりいい客でないだろうナ。
 それでも厚顔にも今回は「濁り湯」に行きたいと考えました。

最初は元湯温泉郷のそれも「元泉館」を選びました。ここは秘湯の湯とのキャッチフレーズと「緑色・乳白色」で硫黄分が強い温泉。街道から随分奥に入った沢沿いの秘湯の雰囲気があり。金600円で白濁硫黄湯を楽しみました。しかしクラブツーリズムのバスで団体さんが来ていたように、経営上手で秘湯が秘湯でなくなるかもね。




次にもう2-3か所は是非温泉に入りたいと、塩原街道を往復しました。平日で行楽シーズンでないこの時期あまり客がいないのはさびしい限りだ。でもどこへ行くかが、もみじ谷大吊橋もちらっと眺めただけ。で、観光協会教えてもらった岩の湯と不動の湯に行きました。これは11湯の一つ福渡温泉地区の在の人たちが管理している混浴露天風呂で、私は行きますがな。
ここは塩原渓谷歩道の真ん中あたりの対岸にあり、地下からわきあがってくるのと上からお湯が流れてくるまさに源泉かけ流しの薄緑色の川原の湯。


川原のくぼ地で温泉につかっているオジサン。極楽、極楽。

ここ岩の湯は去年山から岩が落ちてきて観光協会は危険で閉鎖中といっていたが、地元の人はそれでも楽しんでいたよ。そのなかで2人の御婦人の混浴客があったのはhappy。ただ眼のやり場に困ったが。それはそれ。
次いで不動の湯に行きました。


この湯の方がもう少しぬるくて透明で優しいかな。温泉客には、で勤務時間中に温泉に浸かり英気を養っている人がいたが、これにはたまげたね。温泉地の特権だ。ちなみに入浴料でなく管理協力費200円。

温泉を楽しみもみじラインを楽しんで日光へ。結構遠いから日帰りで3湯巡る目的はちょっと無理だった。が混浴露天は大成功。

ここで帰りの、17時39分の浅草行き快速まで、駅前で湯葉饅頭を食べながらビールを飲んだ。

ここで1句
         日光の 湯葉饅頭や 暮れの秋



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする