江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

お彼岸に国立博物館を見る

2021年09月23日 16時28分00秒 | Weblog
今日23日お彼岸の中日。
 博物館をのぞいて見る。いろいろがあって ほんと感心する。
 そのうち 中国 ガンダーラ エジプトの ほんの一部。











平成舘で日本の古代からのいろいろ博物を見たが 多くて 見るだけで疲れてしまった。

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大相撲6日目 照の富士を見る

2021年09月17日 20時07分00秒 | Weblog
 今日9月17日ご縁があって両国国技館で大相撲を観戦した。
 
 コロナ対策で桝席が従来の4人一桝から2人で一桝に変わっていた。おかげで相撲を見る方から見れば楽ちんでありがたい。
 ただ飲み食いができないのは大変寂しい。
 いずれにせよ久しぶりの相撲見物。大学の仲間20人と一緒に みんなコロナの閉塞状況に苦労していた。たまにはこういう息抜きも必要だ。








照の富士の 不知火型土俵入り。




照の富士は今日 辛うじて若隆景に勝って 全勝をキープ。


今日も1日 これ好日であった。


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多摩湖自転車&歩道 を歩く

2021年09月16日 20時51分00秒 | Weblog
 青梅街道 を都バスが結んでいる。
花小金井駅から青梅駅まで 都バスの最長区間である。
 青梅街道はご承知の通り 徳川家康の江戸入府以来 江戸城を始め公共の建物の漆喰等を得るため青梅の成木地域の石灰を採取しこれを江戸に送るため作った街道である。
 青梅から四谷大木戸まで約43キロ。途中 箱根ケ崎 田無 の2つの宿場を経て馬の背中に荷をのせて四谷まで運んだ。その後今の小平市の西武線青梅街道駅あたりに新しい宿場を作ったようだ。

 当時は人も住まない武蔵野の荒地を江戸まで一直線に街道を作ったのであろう。
 
 たまたま小平市の青梅街道駅で 近くにある小平市役所へいって 青梅街道の歴史を読むつもりでいたが 小平の歴史を書いた資料本を読んだ。 

 おかげで多摩地方の歴史の一端を垣間見る機会に恵まれた。

 小平市は玉川上水の完成とそのご褒美による松平氏への野火止用水の分岐の中で 小川1族が開拓した歴史であるようです。その小川の1文字と四方 平 の地域を願って 小平と言う地名を作ったようだ。田無と保谷を合併して西東京市とか
何かと比べればなんと格調の高いことであろう。

いずれにせよ小川1族の開拓は 徳川吉宗将軍の享保の改革の時代の 新田開発の波に乗り成果を上げたようである。これを嚆矢として 野火止の用水を利用した武蔵野の開拓が進んできたようである。

 江戸260年間いろいろ開拓が進んだが明治以降はもっと東京の人口集中による開発があったようだ。江戸の 小金井の桜など。

現在の西武鉄道は東京郊外の人口集中に対処するため 過去いろんな鉄道会社の多摩開発の思惑などを集大成した現在の路線となっている。

そういう中で花小金井駅を作ったわけ。 
 
 その前を 自転車道路&歩行者道路が走っているのを発見。これは昔 大正12年から14年にかけて作られた 武蔵野市 の境浄水場までの水道施設の跡地を 自転車歩行者専用道路として作ったものである。

 それで退屈御家人は歩きました。

花小金井駅をスタートし 八坂駅まで直進。ここで 九道の辻(鎌倉から 前橋までそれぞれ18里 中間地)を左折し 野火止用水に沿って東大和駅まで行きました。ここは元は青梅橋と言う駅を改名したようである。









頭からつくつくぼうしが聞こえる。地べたから秋の虫が鳴いている。彼岸花とコスモスと 季節のミックス。今日は暑くもなく非常に良いお天気。散歩日和。
 この辺は吾輩のような老人がたくさん歩いている。日本は老人多量生産国であるようだ。

野火止用水

朝顔がまだ咲いている


今日はこうして14,000歩ほど歩いたわけだが大変疲れた。体力が劣化している。だがしかし 多摩地域は懐が深い。もっともっとみる価値がある。


 




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オリパラの 宴の後

2021年09月12日 16時51分00秒 | Weblog
オリパラの熱狂が終わって1週間。まさに宴の後だ。1種の喪失感。


まだまだおりパラを懐かしむ人々がいるネ。

パラのマラソンや車いすマラソンのメインフィールド出入り口。今頃やっと一般にオープンしている。

正面の千駄ヶ谷門。宴の後に開くとは。

いずれにせよ時の流れは早い。
ちなみに今日テレビを見ていたらモントリオールでトライアスロンの大会をやっていた。これじゃぁもう無茶苦茶だ。

重陽の節句が終わり天候の変動が激しい。暑かったり寒かったり。
昨9月11日土曜日に下落合に散歩に行った。ここで
 中村彝 アトリエ記念館を見ました。
文化の香りと歴史の厚みを感じました。

昔のアトリエはなんか住み良い感じだ。



短命だった芸術家のアトリエ は大正5年豊玉郡落合村下落合464番地に作ったよし。
 今は新宿区下落合3-5-7です。
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オリパラも終わり 処暑から白露へ

2021年09月06日 20時07分00秒 | Weblog
大きな感動を残してパラリンピックが終わった。
 マイナーなスポーツも含めてパラリンピックの選手たちの活動に涙を流した人も多かろう。
 いろんな意義付けは今後いろいろなされるであろうがいずれにせよ 1つの時代を画した。国や社会や個人においても。

 その終了日がちょうど表題の季節の変わり目。
5日の最終日は朝6時半からテレビにかじりついて12時過ぎまで見ていた。外堀通りの市ヶ谷見附に応援に行こうかと思っていたが雨が降って降ったのでテレビの方がいいと判断。ベストポジションはこの先の神保町の交差点で 行きも帰りも全てがここを通るベストポイントらしい。
 空気感染の可能性が強いコロナデルタ株に対応するにはひたすら家にこもるのが良い。












テレビの画面だが感動感動。

いずれにせよ 大変なイベントであった。いろいろ批判の中 針の筵の中で オリンピック開会を決定した菅総理大臣の評価は後世に残るであろう。今は最悪だが。
 ボッカチオやマキュアベリの言葉のように  やらないで後悔するより やって後悔する方がいい。
 日本の政治文化の中で 前例踏襲主義 リスクを取らない ガラパゴス的孤立主義の心情が 世界情勢と時代とともに変わらざるを得ないと考える。
 小泉元総理大臣の言うように 「人生いろいろ」賛成半分反対半分これが世の中の実態であろう。みんな自分の都合の良いように文句を言う。どっちもどっち。それで飯を食ってる人も多い。それに金を払う人は大馬鹿者か?

 それにしても寒暖の温度差は激しかったね。地球温暖化とみんな騒いでいるが 一方で太陽活動の弱化つまり太陽黒点の減少が2030年ごろから始まる 地球寒冷化へと言う懸念も一方ではある。言う人はあまりないが。
 素人にはわかるはずがないが 一寸先は闇。

 こういう中9月4日の土曜日は皇居東御苑を散歩。

江戸時代最初の60年間ぐらいは天守閣があったのだが 明暦の大火で焼けて以来 その後200年間は、天守閣なしでやった。徳川幕府の政権を担った 中堅の譜代大名と言うのは 実に賢明な判断をする偉い人たちだったのだ。












吾輩は 最近は 歩行禅 と言う言葉を味わっている。




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