江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

銀座 金春湯に入る

2017年12月29日 20時39分22秒 | Weblog
先日の北陸・飛騨地方の旅行では温泉に入る機会がなかった。

そこで、今日は御用納めも終わったところで、、銀座の金春湯に入ってきましたよ。

中央区銀座8丁目に、1863年から営業している銭湯である。名前&場所がすごいから、どれほど大変な風呂屋と思われるかもしれないが、実態は東京23区内の普通の銭湯の一つで、都内統一価格の460円也である。ちなみに有名な寿司屋久兵衛の すぐ隣だぞ。

場所柄、地価は極めて高いだろうから、銭湯業でやっていけるのかと、余計な心配をしてあげるが、その地で金春ビルを持っているようで、その1階を風呂屋にしていて、その他は貸しビル業をやっているのではないかと、我輩には見えた。

金春座は、江戸時代の4大能楽座で、幕府の保護のもと、新橋の沿って拝領屋敷きを有していたとか。

 それが今は、案内板になっている。


 金春屋敷の前は、江戸時代の地図では、江戸城の外堀内で「新橋」に接している。現在の外堀通りは、ちょうどこの外堀を埋め立てた上に道路を作っていて、「新橋」も由緒のある名前なのだ。こんなことを知っている人は多くないが。

 金春湯は小さな銭湯で、5人ぐらいが入れる湯桶が2つあるだけの簡単なもの。男性湯には、赤富士の絵が描いてあるのがいいね。ちなみに女湯は、青い普通の富士夏景色。

2時オープン。我輩は2時30分ごろに行くと、ちょうど一番風呂の連中がそろそろ風呂を出るころ出会ってよかった。

場所がら、客は銀座の旦那衆や、近所のいろんな店で働く若い衆が風呂を楽しんでいたね。いい風景だ。





風呂で温まってから、、地下鉄で今有名な門前仲町の「富岡八幡宮」を拝んできました。

殺人事件の当該場所でどうなるかと心配したが、こころなし、元気なくとも正月の準備を宮司さんや露天商がやっていました。







深川八幡宮のとなりの、成田山東京別院・深川不動堂は、殺人事件の八幡宮と違って、元気に正月準備をしているように思えました。








この後、バスで東京駅まで。ここで今最先端の東京駅北口広場で写真を写して、いる多くの人がいたので、我輩も一枚パチリ。




これが退屈おじさんの 暮れの 探検でありました.


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世界遺産 白河郷・五箇山 & 高山旅行

2017年12月28日 19時28分30秒 | Weblog
年末の忙しいときに、暇な退屈御家人はクラブツーリズムの年末旅行に乗って、雪見に行ってきましたよ。

 一番の理由は、参加費用が安いこと。一泊二日で、17900円プラス保険料1500円で、19400円。これで、「ズワイガニ、ブリ、甘えびなど30種食べ放題+翌日の昼は
飛騨牛のすき焼き・お肉食べ放題と。これは随分、お得な旅行だ。

 驚いたのは、外国人の参加者が半分以上を占めていたこと。彼ら彼女らは日本に在住の外国人らしく、日本の旅行に慣れているのかも。いずれにせよ、大変な時代になったものだ。

 吾輩の目的は、年寄りになった今、年末は暇で特にやることもない事だし、病み上がりでもボチボチ旅行でも行くかとか、まあ安く上がれば時間つぶしにもいいよねと。

さらに、「夢は雪の安房峠から高山へ行くドライブをやりたい。途中の新穂高のロープウエィに冬山を見たい」と、ただこれらは若くて体力・気力がないとできない。老人はもうだめだ!プロの運転手に連れて行ってもらうのが一番。

 この道をドライブしたのは、2-30年も前か。安房トンネルがない時代だったような気がする。冬ではなかったが。一度は上高地へも行った。一度は高山まで行った。 往時茫々だ。


 26日、新宿出発、朝8時。中央道から松本インターで、野麦道路を上高地経由、安房トンネル(快適だね、4km以上のトンネル)を抜けると、平湯インター。ここまでくると、雪がちらほら。ここから高山を経由して、まずは富山県の五箇山世界遺産の菅沼合掌集落へ。







昔の民家のいろりだ。




 こうして、もう1っカ所の世界遺産 相倉地区はパス。まあ同じといえば同じだが。差があるね。ここから1泊2日の宿泊地、富山市のアパホテルへ。ここでは前述のズワイガニ等食べ放題であった。吾輩は食餌療法中で、恐る恐る、それでもカニも、ブリも、エビも、ホタルイカの沖漬けも食べましたよ。食べ過ぎは体に良くない。
 本当に、旅行会社もホテルも、値段は持つのかね?と俺が心配してやったが。

翌日は、富山から、岐阜の白川郷世界遺産へ。

 途中、富山から金沢に行く北陸自動車道の、12月27日午前8時半ごろの雪風景。


これから、岐阜県に入り、白川郷の、合掌集落を見学。


 雪が降っているから、太陽がかすんで見える。





地区の道祖神に大雪が積もっている。



 庄屋さん・村長さんの家が重文になっており、そこから村を見渡すとこんな感じ。



 村長さんのお宅は養蚕が家業で、こういう内部構造。因みに、茅葺屋根は30年に1回で葺き替えをやるんだって。結の制度があるのだろうが、ここ白川では庄川の河岸段丘の小さな土地で、昔のままの合掌造り民家を放棄し、近代的生活に展化する人があり、それらの放棄の昔家屋を、町当局が集めて「合掌造り・民家園」という施設を作っている。

 1泊2日の旅行だから、強行軍だ。白川郷をでて、高山まで。高山もだいぶ昔に、飛騨の国分寺を見に行った覚えがあるが、今回は全くのお上りさん。

まずは高山陣屋。江戸幕府の天領は、多くの場所で、おおむね良い政治を行っていると言えよう。ここ高山も。

 ただ、江戸から派遣される役人と、現地採用の役人の身分格差は極めて厳しく、この伝統が、今の日本で厳然と存在している。例えば外務省の大使館で、同じ日本人でも現地採用者は「ローカル」といって、大使館員扱いしてもらえない。各企業もこれは全く同様。この原点は、江戸時代の天領制度なのだ。








 天領の役人の執務室から眺める雪景色。確かに寒い。手あぶりの火鉢しかない時代の人は寒かったろうな。




 代官所は当然警察権と司法断罪権を有していたから、お白洲 がありましたね。




 上三の町の、昔の繁華街。そのまま残っている。



 現代の町役場。江戸時代の陣屋とあまり変わらないのが、行政の継続性、法的安定性だ。


こうして、飛騨牛のすき焼き食べ放題の後、高山から平湯に帰る。平湯で足湯を楽しんだ。

 途中の、昨日27日の東北の暴吹雪ほどではないが、飛騨山脈の南端の地域でも、かなりの積雪があったよ。







 こうして、安房峠のトンネルを通って、松本インターまで。

あとは運転手に任せて、新宿まで楽チンだったね。2万円弱で一泊二日を楽しませてもらった、旅行でした。


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2017年 報道写真展  at 三越

2017年12月25日 14時23分46秒 | Weblog
昨24日のTVニュースで、報道写真展を安部総理大臣が見に行ったとか。そういえば、総理は毎年年末の報道写真展を見に行っているよネと思い出した。

去年は、たしか伊勢志摩サミットの写真で、世界の安倍を謳歌したのだったし、我輩はあの時の写真は大変良かったと思っている。

さて本年 2017年は どうか。多くの分野の中から、何が重大な報道ニュースかの選択・判断は難しい。

1、桐生君の100m 初の 9.98秒 これは最大のニュースだ。



2、九州北部の水害。朝倉市の現場



3、横綱 日馬富士が宇良の技で、頭からひっくり返った。これがケチのつき始めか、引退までなってしまった。



4、キタサンブラックが天皇賞で勝った。そして昨日は有馬記念でも勝って、G17勝で引退だ。



5、ロンドン世界選手選手権でケンブリッジ飛鳥の力走を、うらみがましく眺めているのが、ウサイン・ボルト。これでボルトも引退。



6、高梨沙羅ちゃんの53勝目



7、芝桜の満開 北海道大空町



8、トランプ・安倍握手 ちなみにきのう安部さんはこの写真にサインをかいたそうだ。



9、お騒がせ女 2名。 女で 売ったね



10、上野公園のパンダ メイメイ





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暮れの江戸・東京散歩

2017年12月23日 19時53分48秒 | Weblog
天皇誕生日の頃に、江戸の雰囲気&東京を見物に、野次馬退屈御家人は行ってきましたよ。

1、愛宕山神社
   ここが有名なのは、3代将軍家光のころ、間垣平九郎の 馬で急階段を登ったこと。


確かに急峻だ。

   次に有名なのは、愛宕神社のとなりに、日本初のラジオ放送を行ったNHK旧庁舎。昔はNHKでなく特殊な法人に放送をやらせたみたいで,当時も放送は今日と同じで大きな利権問題、逓信省も、収拾が大変だだったようだ。

その後いろいろあって、NHKとなったみたいだ。 いずれにせよ、ここが出世階段と。



2、日比谷公園で、クリスマス・マーッケトとか。なんじゃこれは?
ドイツのどこかのクリスマスイベントをそのまま持ってきたみたいだが、いまいちだな。

ビールや酒を飲ませるのか?
私は隣のテニスコートで歳納めのテニスをと思っていたが、なにぶん病人だから、見学のみであったのが残念。











3、新大久保の 皆中神社。ここは言わずと知れたもと徳川の百人鉄砲隊の守護神。一発必中の祈念神社であり、それが
今では、博打や勝負事、年末ジャンボ宝くじの祈念、それに有名ライブの切符確保、それに彼氏彼女のハートゲットの祈念と、時代により節操をなくしているが、とにかく勝負事の祈念の神社だ。これを知らないのは、勝負を知らないトウシロサンだネ。飲み屋のおやじで、この神社を知らない人はいないネ。試しに、聞いてみな!





4、次は新宿歌舞伎町。ここでは20年以上昔、我輩の現役時代に「ノーパン・しゃぶしゃぶ」で一世を風靡した世界があった。 我輩も、行こう行こうと思っているうちに、時代の流れがは早すぎてあっという間に消滅してしまった。

 この時、「命短し、恋せよ乙女!」と自分に&皆さんに言い聞かせたがね。

 ここが今は、「ロボット・レストラン」で外国人にきわめて有名な店。パリのムーランルージュはいまだに猥雑な風俗街を経営しているがね。 しかし、日本では、もうそろそろ、終焉のような気がするが、それは、老婆心か?






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浅草寺の羽子板市 「いまどきの羽子板市は浴衣着て」

2017年12月17日 15時11分33秒 | Weblog
今日12月17日は浅草寺で羽子板市が開かれる。

羽子板を売る小屋が出て、売れるたびに、337拍子のご祝儀を討つ。冬の風物詩で歳時記のテーマでもある。多くの見物人が歳末の雰囲気を味わいたくて散歩がてらに見物に行くみたい。

だが、浅草は天気がいいこともあって、外国人が多いね。

 「 いまどきの 羽子板市は 浴衣着て」  季がさなりとなるほど無茶苦茶な外国人が居る。浴衣を着てしゃなりしゃなり歩いている外国人は、何か大きな違和感を感じるが、これは日本文化の破壊者か、それともガラパゴス日本への風穴か?

 でも歳時記は春夏秋冬の季節の変化を、形で明示してくれる。


















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日曜穏やかな午後の散歩 旧芝離宮庭園&竹芝桟橋

2017年12月10日 20時21分05秒 | Weblog
12月10日はいいお天気だった。午前中はベッドでウトウトしていたが、これが人生最高。

昨日は句会があったり、忘年会があったり、なんか忙しかったが。

いわく、「世の中に寝るより楽はなかりけり、浮世のバカは起きて働く!」と。その通り。

日曜の午前はうたたね,でも、午後からは、社会に出ないと、と思い散歩へ。

まず新宿から、都営大江戸線で 大門 まで行きました。ここはJR浜松町とモノレールの接点で、大きなビジネス街。そこを降りると、江戸時代の 大名庭園「浜離宮」と「芝離宮」がありました。

散歩ですから、小さいほうの「芝離宮庭園」に行きましたよ。江戸の初期に大久保氏が上屋敷にしていたようで,小田原北条氏の文化的要素が残っているとか。江戸の260年は長いぞ。文化や様式の変遷は現代の昭和平成の激変の世の中に負けないぐらいだぞ。 いずれにせよ、大名庭園だ。周辺は高層ビルが林立している中によくよく入浜式庭園を残したものだ。





 蓬莱山とか。今の時代には、何ですか?だな。

 西湖の堰堤 だって。中国の西湖と無錫に行ったことがあるが、こんな堰堤があったかな?

 入浜式という、海の海水を引き入れ干満を利用し、日本式庭園にした先人の技術はすごい。

 少し先に竹芝桟橋まで散歩。レインボーブリッジがみえる。



 竹芝桟橋の対岸が、晴海ふ頭だ。ここは月島でなく築島だったのだ。石川島の後裔だった.

 竹芝桟橋のインターコンチネンタルホテルで、結婚式をしたカップルが参列者と一緒に記念撮影。人生の一番いいときだ。

 こうして、日曜午後の散歩も冬の日没が早くなっているのを痛感した。

 おしまい。


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大人の遠足 東京ビッグサイト エコプロ展

2017年12月07日 20時37分46秒 | Weblog
12月7日、お台場の東京ビッグサイトで、エコプロ2017年展なるものを見に行きました。 まあ、大人の遠足だね。お台場はいいね。






 エコプロとは何ぞや?「持続可能な社会の実現に向けて」というサステイナビイリテイ社会の実現に向けての一種の啓発運動だな。

SUSTAINABUBLE DEVEROPCMENT という国連の SDGsという運動の 17項目すなわち、
①貧困をなくそう、②飢饉をゼロに、③すべての人に健康と福祉を、④質の高い教育をみんなに、⑤)安全な水とトイレを世界中に、等等17項目の国連的目標である。日本とはマッチしないがね。

 この国連的動きに、経産省的知恵者や業界団体、マスコミや学校が、これに乗り、日本的新しいビジネスモデル・収益を得られる産業に道幅を広げようとする魂胆が窺える。

 こんなものが日本の次の産業構造になりうるか、大いに疑問だが、各社や団体がまじめに取り組んでいる分野はそれなりに面白かったね。

例えば、JCOL という昔の石炭協会の末裔があり、これがかっての経営の悪かった石炭各社を吸収し、「一般財団法人 石炭エネルギーセンター」 という名で、「昔の名前で出ています」だった。吾輩もかって現役時代、石炭特別委のキャップとして北炭夕張の163名の死亡事故を視察に行った覚えがある。

 石炭業界は、エネルギーの変遷にもろに巻き込まれ、大変な時代の変遷を味わった業界である。例えば、日露戦争の日本海海戦で、戦艦三笠は当時甲板にまで満載していた石炭を海上に投棄し、身軽になって戦艦の戦闘速度一杯でバルチック艦隊に襲いかかった筈だ。

 その後、あっという間に全世界的に原油というエネルギー革命がおこり、あっという間に石炭燃料が駆逐された。

今では、万能の石油と、原子力が、水素エネルギーやバッテリーエネルギーにドラステイックに変換していて、トヨタを含め自動車業界が明日に生き残れるか、大変なサーバイバルの途上であることは、皆様ご承知の通りだ。

 いずれにせよ、大小各社や業界団体、学校の学部等が、時代の大きな方針がわからないままに、試行錯誤しながら、飯の種を探しているようで、面白く、個人としては、時代を読むのに、ためになったね。






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白洲次郎・白洲正子氏の武相荘をみる

2017年12月01日 16時41分43秒 | Weblog
今日12月1日、小田急鶴川駅の先に体験乗馬会に行った。

その途中の鶴川1丁目に、白洲次郎氏・正子氏の「武相荘」があるのを偶然発見した。そこで、是非訪問したいと思い行ってまいりました。

実は何年か前に、ここを一度訪ねたことがあるが、今回はやはり一種のセンチメータルジャーニーだ。75年前の雰囲気はここだけだ。周辺もみんな近代化へ変化している。




昭和18年、当時売りに出されていた農家を購入したようだ。茅葺のがっしりした農家風だ。







白洲次郎氏がイギリス時代使っていた車


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