しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

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2007年09月05日 15時58分50秒 | こっち
 正確には、診るに近いかも。

 仕事柄、人を診るのは毎日の事で在るが、単純に言う所の「人との関わり」と言う意味では、不特定多数との接触として、通勤とかが挙げられる。

 自分は、現在、バイクであるので、かえって観察がし易いようである。

 一般的には、車が(4輪)多いので、それを観察すると、色々な情報を発信しているのが診得る。

 例えば、車種を選ぶ場合には、その人の好みなり、趣味なりが反映されるであろうし、色の選択には性格的なものも出てくるであろう。

 走り方に至っては、その人格や人となりが如実に表れてくる。
 是は、パッシブな観察だけでなく、アクティブな観察も可能である。
 バイクが前を走っている時の反応、逆に裏にバイクが憑いた時の反応など。
 (自分の場合、通常は、すり抜けもしないし、車間距離も同じ様にとるが、場合によっては、それこそピッタリへばり憑くように・・・・。)

 特に感じる事は、ろくでもない運転をしている車には、パターンが診られる事である。
 まあ、自分が診る限りの事であるから、一般的とは言えないであろうし、地域的な特性(なにせ茨城ですから)も大いに拘るとは思うので在るが、がである。
 特定メーカー、特定車種、特定車。が、目立つのである。
 HのFとか、TのBとか言うように。特定出来てしまうのである。

 そんなのが、前にいた場合は、信号待ちで、其の車の前に出る。
 そういう車に限って、車間距離を大きく開けたまま停車しているので、問題なく入り込めるのである。
 さもないと、60km制限の道を40kmで走られ、あっちにふらふら、こっちにはみ出し、挙句の果ては、信号無視で走っていってしまう。

 精神衛生上、宜しくないだけでなく、危険性さえ感じるのである。

     今日の箴言
<其の物の属するレベルと、力(パワー)は別である。レベルが低くてもパワーがあれば、パワーの無い上位のものを倒す事も出来るが、本来の本物には通用しない。>