昭和30年代から過疎化が進み、徐々に檀信徒が村を離れて
都会で暮らすようになりました。
その数は全檀信徒の3分の1ほどに
なっています。
中には2世・3世の方も大勢います。
最初にこの村を離れた檀信徒は文化9年の
「百姓一揆」で処替えになった3名の方ですが、
既にその末裔は20戸を越えています。
今日も朝8:00に岡山から旧大庄屋の末裔の方が
お参りに来ました。
四国に渡りフェリーで大分~川原木村へ
その後は親族のお墓参りをすませて
川原木村をあとにしました。
写真は、横浜から家族全員で11:00からの
50回忌法要にお参りした皆さんと親族・縁者の方々です。
遠くに住んでも「菩提寺」をふるさとと思い
次の世代にも「我が家のルーツ」を引き継がせる
心持ちは菩提寺の住職として何よりもありがたい
ものです。
この家族のご先祖様もお寺とは大変かかわりの
ある家柄なのですが、そのことよりも「次の世代に」
仏心を伝えようとする「家族の絆」が素晴らしいと思いました。
都会で暮らすようになりました。
その数は全檀信徒の3分の1ほどに
なっています。
中には2世・3世の方も大勢います。
最初にこの村を離れた檀信徒は文化9年の
「百姓一揆」で処替えになった3名の方ですが、
既にその末裔は20戸を越えています。
今日も朝8:00に岡山から旧大庄屋の末裔の方が
お参りに来ました。
四国に渡りフェリーで大分~川原木村へ
その後は親族のお墓参りをすませて
川原木村をあとにしました。
写真は、横浜から家族全員で11:00からの
50回忌法要にお参りした皆さんと親族・縁者の方々です。
遠くに住んでも「菩提寺」をふるさとと思い
次の世代にも「我が家のルーツ」を引き継がせる
心持ちは菩提寺の住職として何よりもありがたい
ものです。
この家族のご先祖様もお寺とは大変かかわりの
ある家柄なのですが、そのことよりも「次の世代に」
仏心を伝えようとする「家族の絆」が素晴らしいと思いました。
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