境内のあちこちに石像の仏さまが
おられます。
このお地蔵さまは「目開き地蔵」と言います。
山門をくぐった右手に立っています。
この立像のお地蔵さんは佐伯町の赤岩又三さんが彫ったと
書いています。
一般的にはお地蔵さんは目を閉じています。
しかし、このお地蔵さんは違います。
目が開いているので、闇夜も見えて
夜な夜な境内をピョコピョコ飛び跳ねていると
昔の方は思っていたようです。
この話は、柚の原で育った「林嘉二郎さん」のご子息から
お聞きした話しです。
仁田原の80才以上の方は、「目開き地蔵」の
噂を知っているかも知れません。
昭和初期の子供達は
「正定寺の夜は、目が光るお地蔵さまが飛びはねている」と
噂して、暗くなってからは正定寺には、
絶対行きたくないと思っていたそうです。
父親の使いで暗くなった石段を登って正定寺へ行くときは
山門をくぐると一目散に玄関のベルを鳴らしたと「林嘉二郎さん」のご子息が
言っていました。
そのことを本人が寺報にも投稿しています。
その「夜な夜な歩くお地蔵さん」の横に
「善光寺如来」があります。
中央の後光(光背)があるのが阿弥陀さま、両脇に観音菩薩と勢至菩薩を一枚岩に
彫り込んだものです。
江戸の後期に作られたもので、石工の名も彫られています。
天保6年4月15日に横川村の石工 弥平さんが彫ったと書いています。
その他にも座像のお地蔵さん
この座像のお地蔵さんは肥後熊本の瑞祥寺というお寺のお弟子さんで
玄禮さんと言う方が建立したと書いています。
等身大よりも大きな立像のお地蔵さん
40才代以下の檀家さんで、
正定寺に石段の参道があることを
知らない方もたくさんいます。
石段を登り山門をくぐるとすぐにお地蔵さんに会えますが、
案外知っていて知らないのが菩提寺なのかも知れません。
おられます。
このお地蔵さまは「目開き地蔵」と言います。
山門をくぐった右手に立っています。
この立像のお地蔵さんは佐伯町の赤岩又三さんが彫ったと
書いています。
一般的にはお地蔵さんは目を閉じています。
しかし、このお地蔵さんは違います。
目が開いているので、闇夜も見えて
夜な夜な境内をピョコピョコ飛び跳ねていると
昔の方は思っていたようです。
この話は、柚の原で育った「林嘉二郎さん」のご子息から
お聞きした話しです。
仁田原の80才以上の方は、「目開き地蔵」の
噂を知っているかも知れません。
昭和初期の子供達は
「正定寺の夜は、目が光るお地蔵さまが飛びはねている」と
噂して、暗くなってからは正定寺には、
絶対行きたくないと思っていたそうです。
父親の使いで暗くなった石段を登って正定寺へ行くときは
山門をくぐると一目散に玄関のベルを鳴らしたと「林嘉二郎さん」のご子息が
言っていました。
そのことを本人が寺報にも投稿しています。
その「夜な夜な歩くお地蔵さん」の横に
「善光寺如来」があります。
中央の後光(光背)があるのが阿弥陀さま、両脇に観音菩薩と勢至菩薩を一枚岩に
彫り込んだものです。
江戸の後期に作られたもので、石工の名も彫られています。
天保6年4月15日に横川村の石工 弥平さんが彫ったと書いています。
その他にも座像のお地蔵さん
この座像のお地蔵さんは肥後熊本の瑞祥寺というお寺のお弟子さんで
玄禮さんと言う方が建立したと書いています。
等身大よりも大きな立像のお地蔵さん
40才代以下の檀家さんで、
正定寺に石段の参道があることを
知らない方もたくさんいます。
石段を登り山門をくぐるとすぐにお地蔵さんに会えますが、
案外知っていて知らないのが菩提寺なのかも知れません。
四季折々の風景や行事、そして仏様方のこと。とても素敵なブログと和尚さんの優しい綴りにいつも心が洗われる思いで拝見しています。
私も大分市の臨済宗妙心寺派のお寺の檀家のひとりです。
母方が派手な真宗だったので父が亡くなっていきなり地味な(!?)禅宗に戸惑いましたが、削ぎ落とされたような美しい禅宗に今ではすっかり心が落ち着いて対峙しています。
また伺います。お体を大切になさって下さい。
コメントが欲しくて期待しながらいつも
待っていました。
ブログ愛好者の檀家さんを見つけると
「コメントして」と頼みますがなかなか・・・。
まろゆーろさん,、
いつでもお立ち寄りください。