正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

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ただ者ではない!

2008年03月19日 | 日記

裏庭に咲いた椿です。


学生の頃、「花器運び」と言うアルバイトを
したことがあります。

「華道」の試験会場に「花器」を
運び入れる仕事でした。

会場には百人ほどの生徒さんが
免許皆伝を取得するための審査を受けに
来ていました。

会場は女性ばかりで品格のない男子学生には
目の保養になり、その上1万円のアルバイト料を
頂ける「うまみのある」アルバイトでした。

1時間の制限時間内に受験生達は用意された花々で
思うように生けていきます。

生け終わると全員が会場の外に出され、
静まりかえった会場の中で
上品な白髪のおばあさんが審査します。

優秀な作品は別室に運ばれ、受験生の前で品評されます。

百を超える作品の前を白髪のおばあさんは
10分足らずで歩き終えます。
その後ろには数人の「お付きの師範」が連なっています。

白髪のおばあさんが歩みを止め、指さした「優秀な生け花」を
私たちアルバイトが別室に運びます。

ある「生け花」の前でお付きの師範先生が
『これはいいですね!』と白髪のおばあさんに
告げました。

その「生け花」は一輪の椿が花器の水に浮かび
「落花」の風情を表した作品でした。

素人の私は、さすが「お付きの先生も一流!見るところが違う」
と思っていました。

しかし、白髪のおばあさんは『これはだめですね!』と
一言。

お付きの師範もすかさず
『一輪を切り取って浮かせる表現はすばらしいのではないでしょうか』
と食い下がった。

確かに椿は「首ごと落ちる」などの迷信があるように
花弁は一枚一枚散らずゴソッと落ちるので、
椿を知っているからこそ出来た作品のように思えました。

すると白髪のおばあさんが
『この浮かんだ花には萼(がく)が付いていますよ。』
と静かに答え、何もなかったかのように歩を進めた。

その時の意味が分からないままであったが、
今日、椿を撮って気づいた。
落ちている椿には「萼」は付いていない。

あの時の「白髪のおばあさん」は
ただ者ではなかったのだ。
花を知り尽くしたプロだった。

熟練した水泳のコーチや監督も、
選手の「一泳ぎ」でその子の「才能のあるなし」を
判断できると聞いたことがある。
世の中には、その道に優れた方が必ずいるものだ。

私も彼の「別府の酒豪Oさん」にスナックで初対面をしたとき、
一目で『やばい!』と思った。
的中していた。

その後、「別府の酒豪Oさん」が「ただのただ者ではない」
ことをイヤと言うほど味わう事になる。