日々の戯れ

鈴柩の頼りない脳細胞に代わる記憶

飴と鞭

2007-08-06 | 覚え書き(メイン)

人間というものは低きに流れる

それは自然なことであるから

飴と鞭が必要となるのだろう

飴は労働報酬であったり賛辞であったり

鞭は罰則であったり叱咤であったりする

 

そのようなものが

教育に必要であると認めたくはないのだが

ついついその効きめの強さに

使ってしまいがちだ

Dsc03241

甥っ子の夏休みのカードを作った

左側のチェック項目に丸が付けば

ゲームをしてよいという「飴」が与えられる

母親からは二時間までという言質を取っていた

 

「飴」の効き目は強くて

がんばってノルマを終わらせて

ゲームに興じる姉弟だった

 

二人で仲良く二時間ゲーム

「二時間で~す。終わりだよ~」

「えー?ボクが二時間お姉ちゃんが二時間で四時間できるんだよ」

「でもキミもお姉ちゃんも二時間ゲームをしていたよね」

 

甥っ子は地方裁判所の判決に不服を申し立て

最高裁判所たる母親に電話をかけて上告した

最高裁の判断は

「仲良くやっていたら二人で三時間でよろしい」

ということ

被告も満足したようだった

 

ゲームの力は斯様に強い

だが効きすぎる薬は乱用に注意だ

効かなくなったり

副作用が出たり

上手に利用していかなくてはならぬ

コメント (2)
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