日々の戯れ

鈴柩の頼りない脳細胞に代わる記憶

3月15日~17日

2014-03-17 | 震災

15日16日は学校は臨時休業ということにしてあった
17日は登校日とし、
それまでに今後の方向性を決めることにしていた

3
職員は24時間休む間もなく先生で居続けることに
疲れ果てていた
限界が近づいていた
避難所には支援物資が届き始めていたが
悲しみとあきらめの空気が蔓延している

校長は決断する
「学校を再開しよう」

17日の登校日
登校したのは120人中の70人だけだった
50人は遠くの親戚を頼って町を離れていたのだ
「今日から授業を始めるよ」

それとともに
避難所に自治組織を立ち上げた
総務
食事
美化
保健
管理
学校
朝7時と夜7時に責任者の会議を持つ
夜にろうそくの灯で行う会議は
一日の疲れで眠くてしょうがなかった

授業が始まったこと、卒業式を23日に行うことは
全児童の家庭に伝えたかったのだが
電話がない
電気がないから印刷もできない
放送もできない
模造紙に書いて張り出し
あとは口コミに頼るしかなかった

登校と下校があるだけで
子供達に生活リズムが生まれ
前向きな気持ちが出てきた
教職員もやりがいが出てきた
学校の再開は早かったが英断であったと思う
辛いことからは意識を逸らせる時間が必要なのだ

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