日々の戯れ

鈴柩の頼りない脳細胞に代わる記憶

3月12日

2014-03-12 | 震災

次の朝が来ても
町の中心部の火事はおさまらず黒い煙が上がっていた

学校職員で集まり話し合いを持つ

水は山からの湧き水で何とか凌げそうだ
ろうそく、トイレットペーパーはしばらく大丈夫
灯油は40Lしかない
米は近所の人たちが持ってきてくれた

土曜日だが児童はまだ家庭に帰さず
先生たちがビッタリとついていることを確認
大人たちが救助やかたずけに集中できるようにだ

遺体は地区の体育館に安置され
本校に運ばれてくることはなかったが
怪我をした人が運ばれてきた
救急車が来ているらしいのだが
国道も瓦礫でふさがっているということで
学校から300mほどの山道を担架を運んだ

Dsc00910

学校の坂を下りたところまで瓦礫が押し寄せて
道は無くなっていた
国道の真ん中に誰かの家が斜めに留まっている
時折余震のあるたびに緊張が奔る

この日は夕飯だけだったが
おにぎりに味噌汁が付いた
暖かい物がありがたかった

父母の安否は気になったが
津波に流されていたら生きてはいないだろうし
逃げていたらどこかで生きているだろう
探しに行ったとてできることはないといいきかせて
子供達と肩寄せあって夜を迎える
他の職員も妻子のことは口にせず
できることを黙々と行うだけだった

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3月11日 | トップ | 3月13日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

震災」カテゴリの最新記事