脱原発を宣言した全日本仏教会の河野太通会長は言う。「日中・太平洋戦争で仏教の教団は何をしたか。戦争反対の声は上げず、信徒から集めた寄付金で、軍に戦闘機を贈ったこともあった。それでも戦後しばらくは、懺悔もしていない。そういうことでいいのかと思い続けてきた」「あの戦争の時、宗教者が国家に順応して戦争に協力してきたことと、原発問題に口を閉ざす雰囲気が重なる。原発事故で故郷を離れざるを得ない人々のことを思えば、命の尊厳を唱える仏教者として原発は持ってはいけないものだ。生活のあり方を見直し、原発を必要としない社会をめざすべきだ」(朝日新聞3月11日より)
遅きに失したとはいえ、宗教家による戦争への反省が述べられている。戦後すぐに7年の隠遁生活に入った高村光太郎とは違って、多くの芸術家や文学者、思想家が何の反省も無くイデオロギーを横滑りさせていったことは醜悪この上ない。この人たちに比べればこの宗教家の反省は尊い。
ただ、原発事故以後の廃止への流れは、一年経っただけなのにもう続行の方向に傾きつつある。「喉元過ぎれば・・・」ではあまりにも原発問題への洞察が軽すぎる。
大事なことは「電力」なのか「人間」なのか、考えなくても答えは出ている。
「3月16日、吉本隆明氏(87)死去 合掌」
遅きに失したとはいえ、宗教家による戦争への反省が述べられている。戦後すぐに7年の隠遁生活に入った高村光太郎とは違って、多くの芸術家や文学者、思想家が何の反省も無くイデオロギーを横滑りさせていったことは醜悪この上ない。この人たちに比べればこの宗教家の反省は尊い。
ただ、原発事故以後の廃止への流れは、一年経っただけなのにもう続行の方向に傾きつつある。「喉元過ぎれば・・・」ではあまりにも原発問題への洞察が軽すぎる。
大事なことは「電力」なのか「人間」なのか、考えなくても答えは出ている。
「3月16日、吉本隆明氏(87)死去 合掌」