鋼鉄の武器を失へる時
精神の武器おのずから強からんとす
真と美と到らざるなき我等未来の文化こそ
必ずこの号泣を母胎として其の形相を孕まん (一億の号泣より)
戦争中、軍国青年だった吉本隆明は、終戦で拠り所にした全ての思想を失って一からの出直し、新しい思想の拠り所を模索し始めた。その為、尊敬し影響を受けた高村光太郎が敗戦に出会っても旧来のイデオロギーで詩を発表したことに違和感を感じた。
以下は吉本隆明「高村光太郎」(1957年7月1日)より引用
戦争に負けたら、アジアの植民地は解放されないという天皇制ファシズムのスローガンを、わたしなりに信じていた。
敗戦は突然であった。
翌日から、じぶんが生き残ってしまったという負い目にさいなまれた。
わたしは、影響をうけてきた文学者たちは、いま、どこでなにをかんがえ、どんな思いでいるのか、しきりにしりたいとおもった。
そんな日、高村光太郎の「一億の号泣」は発表されたのである。
わづかではあるが、わたしは、はじめて高村光太郎に異和感をおぼえた。
精神の武器おのずから強からんとす
真と美と到らざるなき我等未来の文化こそ
必ずこの号泣を母胎として其の形相を孕まん (一億の号泣より)
戦争中、軍国青年だった吉本隆明は、終戦で拠り所にした全ての思想を失って一からの出直し、新しい思想の拠り所を模索し始めた。その為、尊敬し影響を受けた高村光太郎が敗戦に出会っても旧来のイデオロギーで詩を発表したことに違和感を感じた。
以下は吉本隆明「高村光太郎」(1957年7月1日)より引用
戦争に負けたら、アジアの植民地は解放されないという天皇制ファシズムのスローガンを、わたしなりに信じていた。
敗戦は突然であった。
翌日から、じぶんが生き残ってしまったという負い目にさいなまれた。
わたしは、影響をうけてきた文学者たちは、いま、どこでなにをかんがえ、どんな思いでいるのか、しきりにしりたいとおもった。
そんな日、高村光太郎の「一億の号泣」は発表されたのである。
わづかではあるが、わたしは、はじめて高村光太郎に異和感をおぼえた。