SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

カリン・ハンセン

2005年12月25日 | Weblog
 永瀬恭一というブロガーが、横浜トリエンナーレに唯一「画家」としてエントリーしていたカリン・ハンセンの作品を観ておおいに腹を立てている。永瀬氏によればハンセンの絵画では、今もなお「絵画の死」を主題にしたアイロニカルなメタゲームが節操無く続けられているという。なるほど、確かに一見そう観える。というかそう観るほか無い気もする。しかし、そこに本当に「絵画」という形式に対する確信犯的なアイロニーなどあるのだろうか。もしハンセンの絵画が、そうしたメタゲームの外(リアル)を指示するものであるとしたら、今回の横浜ビエンナーレに招待された理由も分かるというものだろう。というのも、永瀬氏が何気にこぼした、その「飽きた」とか「お腹いっぱい」という発言こそが「外(リアル)」を如実に指示しているからだ。今回の横浜ビエンナーレのテーマが「日常からの跳躍」 であったことを思い出してみよう。私たちは日常的に何かに「飽きたり」「お腹いっぱい」になったり、そして「忘れたり」する。そう、また興味がわいたから、お腹がすいたから、思い出したから、絵を描くのだ。