SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

フルヤン@2ちゃんねる

2005年12月08日 | Weblog
 実はフルヤン(古谷利裕)って、2ちゃんねるで凄い人気あるんだよね(笑)。フルヤンにしてみれば「くだらないのだった」と無視してみせるんだろうけど、正直、2ちゃねらーの意見は全部当たっていると思う。結局フルヤンは「批評空間オタク」でしかないし、またそれを「人間として当然である」と考えている(なにしろ「ベタ」に形式的な人なのだから)。でもワイルドライフなアーティストだったら、一度はそこから脱出してみるべきだ。そして自分がいま見ている世界そのものを、それこそ「形式的」に疑ってみたほうがいい。というか、だいたい中上健次を真似た作文とか、普通はそんなの恥ずかしくて発表できないぜ。―ところでそんなフルヤンなのだけれど、05/11/16(水)の偽日記で、何を思ったか宮台真司について「東氏の言う『偶然』の意味が理解されていないようにみえる」と述べている。おいおい、宮台真司をナメちゃいかんぜ。ここで宮台真司はプロの論客として、この対談における自分の役割に自覚的なだけだ。たんなる「批評空間オタク」の素人フルヤンとはレベルが違うぜ。そういうことを平気で言うから、フルヤンはインテリ2ちゃねらーに祭られるのだった。

コンセプトブック『オタクデリック』について

2005年12月06日 | Weblog
 アートショー『オタクデリック』の開催に併せて刊行される「スーパーフラット2」衝撃のコンセプトブックの内容について、以下その目次だけ予告しておきます(変更される場合もあります)。

タイトル 『オタクデリック』(NT-X著)
第一章 人文科学の最後の戦いはもう終わった
第二章 加速する社会環境と減速する人間文化
第三章 村上隆のスーパーフラット
第四章 幼稚力の果て
第五章 もうひとつの扁平的深度
第六章 オタクデリック

村上隆が次回横トリ総合ディレクターに就任!

2005年12月04日 | Weblog
 来る12月10日、横浜トリエンナーレの会場にて、川俣正と村上隆の公開対談が行われるようです。意外な取り合わせのように思えますが、しかし共に親方的指導力を備えた国際派のアーティストとして、その共通点は多そうです。そう、「ガテン系」の川俣正と「祭り系」の村上隆と、二人とも日本の美術界では稀な「現場でリーダーシップを発揮できる能力」がある。
 はっきり言いましょう。この対談は実はディレクター継承式です。次の第3回横浜トリエンナーレは、村上隆が総合ディレクターに就任します。私たちがスクープしました。
 この継承式の模様は収録され「エフエム芸術道場」からオンエアーされます。なお今後「エフエム芸術道場」は、エフエム東京のサイトからポッドキャスト配信される予定のことです。以上。

本部事務局からのお知らせ

2005年12月04日 | Weblog
 日本とNYで来年開催予定の「オタクデリック展」の詳細ですが、現在、日本での開催を秋葉原電気街にて、NYでの開催はジャパン・ソサエティーを候補に検討が進んでいます。そして出品作家についてですが、まず玉野大介氏に対し参加要請を行うことが本日の役員会で決議され、承認されました。玉野氏は最新作「妄想寄贈シリーズ」において、自身の哲学「デコレーショニズム」の神通力を、もはや説得不可能な造型言語のレベルにまで突き上げています。その完成度の高さが評価されました。是非、「オタクデリック展」への参加を前向きに検討して、その妄想を世界中の美術館に寄贈していただきたい。

ターミノロジーの支配に気をつけろ!

2005年12月03日 | Weblog
 虚無から回帰したゼロ年時代の批評家、東浩紀が紀伊國屋書店で「マルクス主義は終わった。ゼロ年代の批評家達は、面白いものを自分で探せ!」とまくしたてている。なるほど実際、日本の多くの「批評家」達はプロ・アマ問わず、まさに面白いものを「自分で探す」ことが苦手である。たとえばこのブログでも批判した「形式無き形式趣味」の古谷利裕や、「マルチチュード馬鹿」のあたしかも、面白いものを自分で探すことができない。彼らはいずれも「論壇的」なターミノロジーに頭が支配されてしまっているのである。というより、本当は支配されていないと不安で仕方ないのだ。もう怖くて「あらゆることに対して好奇心をもつこと」など到底無理そうである。そういうトレーニングをこれまで積んでこなかったのだ。そしてこういう人たちは実は呆けるのが意外に早い。というのも、思考や記憶のパターンがいつも同じだからだ。一見、頭を使っているように見えるが、古谷利裕もあたしかも共に興味関心の領域が異常に狭く、ずっと同じような話ばかりしている。好奇心を無くした老人のように、もはや脳の限られた領域しか使っていないのである。ターミノロジーの支配は人を傲慢にするだけではない。支配の長期化は痴呆の原因ともなるのである。つねに「あらゆることに対して好奇心をもつこと」だ。だが一番危ないのが原理論者の東浩紀本人であることは言うまでも無い。