永瀬氏がついに横浜トリエンナーレの「総括」を開始しました。その果敢な相互批判・理解への意欲に対して敬意を表したいと思います。たとえそれが川俣正からのメッセージを、もはや誤解を超えて誤爆させていたとしてもです。
そもそも「総括」はもとより、その「評価」してみようとする態度自体が本当は間違っています(これは「批評を止めろ」ということではありません)。何事かを「評価」するためには、その「基準」が必要となります。実際、永瀬氏は何か「信頼に足りるひとつの基準」に基づき、今回の横浜トリエンナーレを「評価」「総括」しようとしているように思えます。しかしその信頼への欲望は、何によって維持されているのでしょうか。そしてどのように「管理」されているのでしょうか。
私たちは川俣正からのメッセージを「ネタ」として受け止めてはいません。マジに受け止めているからこそ、そこで「遊ぶ」ことになります。「似顔絵」とか「卓球大会」とか、横浜トリエンナーレに参加したアーティスト達は、どうしてあんなに「ふざけている」のでしょうか? どうしてあんなに「だらしなく」、そして「ハリボテ」ばかりで作品の完成度が低いのでしょうか? あんなものは正直、どうやっても「評価」のしようなどありません。まさしく「評価の対象外」です。
しかしアーティスト達は本気です。本気であるからこそ「ふざける」ことになる。アートに真剣であればあるほど「対象外」にならざるをえない。そこには奇妙なパラドックスがあります。
そもそも「総括」はもとより、その「評価」してみようとする態度自体が本当は間違っています(これは「批評を止めろ」ということではありません)。何事かを「評価」するためには、その「基準」が必要となります。実際、永瀬氏は何か「信頼に足りるひとつの基準」に基づき、今回の横浜トリエンナーレを「評価」「総括」しようとしているように思えます。しかしその信頼への欲望は、何によって維持されているのでしょうか。そしてどのように「管理」されているのでしょうか。
私たちは川俣正からのメッセージを「ネタ」として受け止めてはいません。マジに受け止めているからこそ、そこで「遊ぶ」ことになります。「似顔絵」とか「卓球大会」とか、横浜トリエンナーレに参加したアーティスト達は、どうしてあんなに「ふざけている」のでしょうか? どうしてあんなに「だらしなく」、そして「ハリボテ」ばかりで作品の完成度が低いのでしょうか? あんなものは正直、どうやっても「評価」のしようなどありません。まさしく「評価の対象外」です。
しかしアーティスト達は本気です。本気であるからこそ「ふざける」ことになる。アートに真剣であればあるほど「対象外」にならざるをえない。そこには奇妙なパラドックスがあります。