>わたしがパフォーマンスを行うとき、わたしはつねに芸術=人間という結びつきを強調してきた。脂肪とマーガリンを使ったパフォーマンスでも、この考え方を打ち出そうとした。パフォーマンスの初めでは、脂肪は単なる混沌であり、純粋なエネルギーとしてしか現れない。このエネルギーは方向性をもたない。混沌として見えるのはそのためだ。パフォーマンスが進行するにつれ、この塊は動き、幾何学的なかたちをとり、ある構造をもった全体、あるいは空間の一部となり、直角を成す。これがフォルムだ。その中心に、運動を起こすことができる。これらが人間の本性を形づくる要素だ。それを完成させることもできる。それには、意思と感覚、そして思考を加えればよい。これがわたしのすべてのパフォーマンスの底流をなす総譜だ。(ヨーゼフ・ボイス談、『アートワーズ 現代美術の巨匠たち』(スカイドア1992年)100ページ)
混沌から秩序を取り出すということについて、東浩紀が面白い話をしていた。丸山純子の制作に、意外にも情報理論的な魔術性が発見される瞬間だ。
>『クリプトノミコン』にも、ローレンスが潜水艦に乗っていて、潜水艦の下に流れている波とか渦のなかにも遠くはなれた日本軍の船の存在や移動速度についてのデータが入っているはずで、この波を解読すれば大量の情報が入手できるはずだと述懐する場面がありますね。混沌から秩序を取り出すわけです。こういう点で、かつて近代が切り捨てた可能性が、情報理論という装いでもういちど復活してきたところがある。(東浩紀著『批評の精神分析D』134ページ)