SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

2012年

2010年08月07日 | Weblog


>ポストモダニストたちが「すべてが行われてしまった」と思えたのは、実は「すべてが記録され利用可能になってしまった」からでしょう。それこそ、大破局でも来て過去の遺産がすべて消えてしまえば、何をやってもオリジナルだと思えただろう。だからポストモダン文化の核心は、実は僕の考えでは「アーカイヴ化」にこそある。(東浩紀著『不過視なものの世界』208ページ)

 映画『2012年』では最新のCG技術が、世界の大破局をよりリアルに描き出すためだけに使われている。アーカイヴ化が完了した時点で、それでもなおオリジナリティのリニューアルを図るためには、一度すべての記憶を消去しなければならない。フロイトは『マジック・メモについてのノート』で、「片手でマジック・メモの表面にメモを書きながら、別の手で定期的にカバー・シートを臘盤から剥がしていると想像すると、人間の心の知覚装置の機能について私が思い描いているイメージに近くなろう」と語っていた。おそらくメモの余白はもう無いのだ。そろそろ私たちは、カバー・シートを臘盤から剥がさねばならない時期に来ているのである。コンピューターは、そのためにこそ使われる。