すぎなみ民営化反対通信

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3・11福島原発事故2年を前に WHO「福島原発事故の健康リスク報告」について

2013年03月07日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

  ☆ 2月28日世界保健機関WHOが発表した福島原発事故が放出した放射性物質の健康への影響、福島小児甲状腺がん発症と今後の発がん確率等に関する報告書については、2月28日時点では原文と正訳を見ているわけではなく、また同日のメデイア配信によって大別二通りの報道がなされていることから当サイトも結論的批判的とらえかたはともかくも正確な把握に苦しんだように、多くの人々がWHO報告の胡散臭さへの率直な批判・警戒・不信・危機感をもたれながらも、内容の認識・把握には悩まれたことと思います。

  ☆ このWHO報告書からも明らかなことですが、3・11原発事故から2年、《いま福島で起きていること》、そこでいやましにも明らかになっている対決構造に対して、《ふくしま》に我が身を置ききって、私たちが正面から《原子力・原発・核・放射能の問題》をみすえ、人類・人間社会の未来のために逃げずに立ち向かい、《3・11》に誓い、取り組まなければならない戦いとは何かという問題について、先日2月27日の記事(カテゴリー「日記・・・」)に続いて、結論的にまとめておきたいと思います。短期シリーズで「怒りがすべて」と縷々繰り返し確認してきましたが、2011・3・11フクシマ、1986・4・26チェルノブイリ、1954・3・1ビキニ、1945・8・6ヒロシマー8・9ナガサキを通して、この問題を明確にしておきたいと思います。

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WHOが2月28日発表した福島原発事故が放出した放射性物質の健康への影響、今後の発がん確率等に関する報告について

【1】 これはあらゆる意味で重要です。3名の子どもでの甲状腺がん発症の検査結果による確定と7名の子どもにおける甲状腺がんの疑いという検査結果が、ごまかせない、動かしがたい事実として、既に表面化しています。この3+7の10名の健康被害・被曝症状は、現状並びに今後長期にわたって将来出現する事態の氷山の一角だとしても、この打ち消しが効かない既に判明した事実こそ、福島原発事故による被曝症状、放射能汚染物質による健康への影響を「IAEAの承認なしにはいかなる報告もできない」というIAEAの支配的影響に従属しているWHOが「発がんリスク」を警告せざるを得なかった(認めざるを得なかった)背景・理由でしょう。

 【2】 しかし、みなさんもメデイアの報道で正しく危機感と警戒心、批判を持たれたように、このWHO報告は、「発がんリスク」を警告しながら、他方でまったく反対に「発がんの増加の可能性は低い」「今回のリスク評価は、リスクを見逃さないためにあえて、ありえない過大な条件の設定で行ったもので、将来そうなる可能性はない」と矛盾した評価見解を明記しています。これは、まぎれもなく、WHOが、この報告をもって、福島原発事故による放射能の健康への影響は今後さして大きなものにはならない(ズバリ言えば、『有意な影響はほとんどない』)と何らの客観的データや科学的論拠にもよらず言い切り、3・11フクシマをなかったことにして打ち切り、切り捨て、また今回の福島原発事故とその引き起こしている事態から原発推進政策・原子力政策を停滞させない、という目的のために出されたと断じるべき《原子力推進勢力サイド》の一方的報告だということです。

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【3】 そして、このWHO報告でも言い足りないとばかり、それに加えてメディアのほとんどは、IAEAサイド、ICRP(国際放射線防護委員会)サイド、エートスサイド、福島県立医大サイド、山下俊一・鈴木真一サイドのコメントを押し出し、 「被曝の影響が実体からかけ離れて過大評価されている」「結果だけを見て不安になる住民が出てくるかもしれない」「過大なリスク評価で風評被害を招いては本末転倒だ」とWHO報告の内容すら批判し否定しようとしています。TVニュースももっぱらこのトーンで徹底していました。

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昨年12月15~17日のIAEA福島会議で協定を結んでいるIAEAと福島県は、この「WHO報告」までもなかった話にし、それを打ち消すために今後の「福島県民健康調査結果」情報の一元的独占的管理・隠蔽・隠匿のシフトをとってくるでしょう。発がんはじめ被曝症状・健康被害の多発・激増を認めてしまったら、「復興」という名の「放射能と福島県民の共存」政策も、原子力推進国家・国際原子力マフィア勢力総がかりの原子力政策、原発政策など吹っ飛んでしまうからです。「福島のリスクは将来も高い、安全ではない」となってしまえば、再稼働や原発推進が危機に立たされてしまうからです。

◆みなさんは、以下のWHO報告リリース原文をお読みになれば、いま申し上げた数点について、報告内容の認識でも直観的レベルでも皮膚感覚でも、当サイト同様の見解に立たれるはずです。

・・・・・・以下、リリースされた「WHO報告」の意図に忠実なサイトの記事です。⇒下記のワンクリックでごらんになれます。

転載ソース:Global Energy Policy Reserch<o:p></o:p>

記事タイトル: WHO、福島原発事故の健康被害を予想せず ? リスク向上は警告

サイト:二ュースリリース「Global report on Fukushima nuclear accident details health risks」(福島原発事故の健康リスクの国際報告)<o:p></o:p> 

http://www.gepr.org/ja/contents/20130304-01/<o:p></o:p>

 核心は、フクシマで原発事故と放射能によって、人々と子どもたちの命がむしばまれ、汚され、傷つけられ、奪われるというおそるべき危険が日々現実のものとして拡大しているということです。放射能は目には見えない、匂いもしない、味もないが、紛れもなく福島と私たちはこの命の危機に逃れようもなく直面し続けているということです。福島と私たちの放射能による健康被害、被曝症状をめぐるこの攻防は、私たちが生きるための戦争そのものです。

 私たちが手をこまねいていたら、チェルノブイリを上回るテンポ・スピードで、人類の未来である子どもたちの命と明日が奪われ、人類にとっての大変な困難・破局・破滅に行き着きかねない・・・・。WHO報告の今回の内容での発表は、この福島原発事故と放射能汚染の拡大という命の危機が眼前にあって、それを押し隠すために出てきたということではないでしょうか。

 だから、ふくしま集団疎開裁判をめぐって、「命を救う判決を」「子どもを救う判決を」「原告は福島・郡山の子ども 仙台高裁 愛ある判決 お願いします」「子どもを逃せ」を掲げ、「福島の子どもたちを被曝から守ろう」のデモが行われているし、子どもの疎開と保養、避難できない子どもと人々の命と健康を懸命にまもる診療所の闘いが福島で始まっているのです。福島は、そして放射能汚染拡大によって、あらゆるところが、「放射能」という砲弾が降り注ぎ、「放射能」という猛毒ガスがまきちらされ、私たち・子どもたちの命と健康を傷つけ、むしばみ、奪おうとして襲いかかっている戦場となっているということです。このことを訴えずにはいられません。

 

                    
                      
  

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3月11日を前に私たちが誓うこと

 

 

 2月27日の小論(カテゴリー「日記・・・)の続きにあたる記事です。

 安倍政権は「原発再稼働」を繰り返し表明し、1950年代に「原子力の平和利用」を大々的にキャンペーンし原発導入の先兵となったかの正力松太郎の読売新聞も2月28日社説で「原発再稼働」「不可欠の原子力と再生エネルギーによる今後のエネルギー政策」をあおっている。

 何のためか?核兵器保有のポテンシャルをもっていないと国として成り立たなくなるという政府文書で明らかにしている日本政府の核武装政策(安全保障政策=戦争政策)のためだ。この核兵器保有と戦争をめざすこの国と、私たちは3・11福島原発事故とその後の原発政策をめぐって、福島の子どもたちの被曝、放射能汚染をめぐって対峙している。

★かみしめたいことは、原子力(原発・核)との闘いとは、行き着くところ、戦争をめぐる闘い、99%の国民が望まず、ただ支配的政府財界だけが核武装と戦争を必要とするような社会をどうするかという戦いということにほかなりません。

 ① 原爆は、1930年代から、米英独、そして日本で戦争で勝つための国家の武器、世界支配のための兵器・軍事能力の開発として研究され、アメリカのマンハッタン計画に基づくリトルボーイ、ファットマンとして、1945年8・5広島、8・9長崎で実際に投下された。ひとにぎりの政府財界の利害のために行われる戦争のために、人間の力では統御できない原子力を核兵器として武器化した。ここを徹頭徹尾はっきりさせよう。すべてはここから始まっています。

 ② 前回(第六回)の記事で「怒りこそすべて」と述べたが、砲弾を頭上から落とされる人間が発せざるを得ない怒りが、主義主張、政治信条をこえて、絶対に戦争はゆるすまじの最大の根源的叫びです。そこで砲弾の下にいるのは常に国の政府、為政者、財界ではなく、労働者であり民衆です。この根源的怒りを原点としてすえたとき、戦争には絶対反対しかないし、原水爆・核兵器には絶対反対しかないし、それを必要とする政府は私たちの手で倒し、国も社会も変えねばならない。逆に、砲弾の犠牲に常にさらされる身でありながら根源的な怒りの叫びを上げられないとしたら、二次大戦でそうだったように、アジア侵略戦争・総動員でそうだったように、私たちは暗黒政治のもとに息もできずに隷従し、殺されるのを待ち、さらにそれにとどまらず、他国の民、同じ人間を殺すというところにまで行き着くもう二度と繰り返さない、絶対に。

 ③ そこをはっきりさせたとき、二次大戦を「ファシズムと民主主義の戦争」と位置付けたり、総括することが、どれほど、非人間的でゆるしがたいことかもはっきりするのです。逆に、ここをはっきりさせないと、アメリカによる広島・長崎原爆投下も「暗黒の日本軍国主義の圧制と戦争からの日本の民衆の解放」「日本の民主化のための決定打」というとんでもない歴史認識、原子力評価に行き着く。戦後の日本共産党や社会党の指導者たちの核兵器と原子力政策に対するーどんなに反戦平和や反核・非核を訴えていようがーこの屈服は、原爆・砲弾を頭上に落とされ殺される労働者民衆の苦しみと怒りに敵対する根本的犯罪的裏切りとして厳しく今なお批判されねばならないと思う。日本共産党や社会党のもとにある人々がみな、既成の労働運動や平和運動を地を這うような職場・地域の闘いで担ってきた人々がみな、怒りにたっていなかったとは到底思えません。これはほとんど政党や運動の指導者、それも数十人とかいった規模ではなく数人、せいぜい十数人の指導者とその「選んだ路線」(屈服)の問題である。一瞬のうちに都市まるごと住民皆殺しで殺戮した原爆、生きおおせた人々も「死の灰」に苦しめられ続ける核戦争に対して、それをやったアメリカに対して、どうして「日本の民主化」「日本軍国主義の終焉」などという評価、総括ができるのか。この問題です。

 ④ この帝国主義(日本もアメリカも・・・も)とその戦争と国家に対する根底的絶対的な批判がないから、米ソ大国間の核開発競争と大軍拡に対して、「アメリカの世界支配に対する『社会主義の祖国』ソ連の対抗的核武装は正義」「ソ連の核実験なら放射能も喜んで浴びる」などというとんでもない「路線」「認識」が労働運動や平和運動を分裂・分断してまで強行され、「原子力の平和利用」という核兵器の平時の偽装的準備的形態にもいとも簡単に道を開け、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニがありながら、原子力は積極的な科学技術によるエネルギ―開発という容認による「路線」(原子力への屈服)の自己正当化が平然と行われ、原発導入をズルズルと認めていくことになったのです。

 ヒロシマ・ナガサキの犠牲者、被爆者、その二世三世、ビキニ水爆実験・第五福竜丸の被曝者の命と健康をめぐって、その怒りと悲しみと病苦の中に、“核戦争=原爆”、“戦争“は当時も今も血と涙を流して続いている。当然にも、これは屈服してしまった既成政党や労働運動・平和運動の指導者たちだけに鋭く突きつけられている問題ではない。私たち自身に歴史的今日的に問われ、突きつけられている問題である。

 ⑤ 労働運動や平和運動の指導者や政党のこの戦争・原子力への屈服は今日的には、3・11福島原発事故以降の反原発・脱原発・脱被曝の巨大な怒りの爆発の渦中にあって、すべての政党・組織に、人々の怒りと生きるための命を賭けた闘いに依拠して、怒りの先頭に立って反原発反核の闘いをすすめるのかどうかを厳しく問うものです。ここに例外はありません。政党、組織、運動の指導者が、核・原発を巡る国家との激突の厳しさ・激しさの前に、どんな理由であれ、どんな位置づけであれ、わが身の保身をはかり、あれこれの「理由」や「判断」をあげつらって国家・政府との激突とその責任から逃げた時、身をずらしたとき、闘いはかぎりなく厳しいものとなります。それでも、3・11福島原発事故以来の闘いは、巨大な闘いに必ず発展する。ここでは掛け値なしに、命と未来がかかっているからだ。闘い以外に未来は開けないからです。3・11フクシマの闘いとは、反原発・脱原発・脱被曝の闘いとは、私たち自身が未来を取り戻し、歴史をひらく闘いだからです。ただ前に進むことのみが未来を開くのである。

 30年代、二次大戦、ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、チェルノブイリ、フクシマ、戦前の歴史も戦後の歴史も私たちの怒りの決起で根底から塗り替えることが求められている。戦争と私たちが生きることとはまったく相いれない。核・原発・放射能と人類は絶対に共存し得ない。この相いれないものを曖昧にし、共存し得ないものを「共存」としたとき、ヒロシマ・ナガサキが起こり、ビキニが引き起こされ、チェルノブィリ事故が起き、フクシマ事故が襲いかかったのである。もう屈服の歴史を繰り返すことはできない。屈服は地獄であり破滅であり、死であること、怒りを持って声を上げたちあがることだけが生き抜き未来を拓く道であることを3・11福島原発事故は示している。怒りもて立ち上がり、闘って、絶ちきらねばならない。これまでの屈服の歴史を許してきた私たちが変わるとき、歴史は変わり、社会も変えることができる

⑥ 3・9-3・10-3・11の大爆発をかちとろう。被曝から子どもたちを守る闘いを仙台高裁・ふくしま集団疎開裁判で突破口をひらこう。疎開裁判の判決は予断を許さない。だが、疎開裁判の井戸謙一弁護士が断言し呼びかけているように、はっきりしているのは、判決で勝っても、ますます私たちは怒りと声を大きくして闘わねばならないということであり、判決で負けても、私たちが怒りと声を大きくして、私たちの団結を拡大して、未来のために、生き抜くためにどこまでも闘うならば、展望も希望も開かれるということです.  これはふくしま集団疎開裁判にとどまらない。怒りをもやし、一歩もひかないで、あくまで戦い続けるということです。

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3月9日(土)つながろうフクシマ!さようなら原発大行動(明治公園)

3月10日(日)0310原発ゼロ☆大行動(13時集会:日比谷野外音楽堂、14時デモ出発、17~19時国会前集会)、

3月11日(月) 3・11反原発福島行動 ’13(13時30分~集会:福島県教育会館、15時15分デモ出発:⇒福島県庁⇒福島駅前)

 

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