すぎなみ民営化反対通信

東京・杉並発。「一人が万人のために、万人がひとりのために」をモットーに本当のことを伝え、共に歩んでいきたいと思います

『子どもたちのチェルノブイリ』抜粋・連載 【第24回】 ぼくの町へ帰りたい

2012年02月29日 | 『子どもたちのチェルノブイリ』連載

  

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた<o:p></o:p>

 -子どもたちのチェルノブイリ- 

(梓書院:19956月初版一刷発行。菊川憲司訳。チェルノブイリ支援運動・九州監修) 

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 抜粋による連載(第24回)<o:p></o:p>

 第三章    これもだめ、あれもだめ 

 ぼくの町へ帰りたい 

マクシム・パシコフ(男・十四歳) 

第二中等学校七年生  オシポビッチ町<o:p></o:p>

 


    

ヤッター! 僕の弟が生まれた。一九八六年四月二十六日、よく晴れた日だった。暑かった。そのとき僕は後妻だった。僕はこの日の来ることをどんなに待ち望んでいたことか。父と母と僕と三人で、指折り数えた日々、赤ちゃんの名前を考えたほどだった。なぜか知らないが、みんな男の子が産まれることを知っていた。<o:p></o:p>

 

この日、僕は初めての体験に興奮しきっていた。喜びのあまり、病院の窓のところでぴょんぴょんはねていた。みんなは弟がすり替えられないかと心配していた。生まれたての赤ちゃんはみんなそっくりだから。僕は弟の名前をブドゥライエムにしたかった。というのは、そのころ、テレビ劇で「ジプシー」というのをやっていて、僕はこの名前をとても気に入っていたのだ。なのに、どうして父や母はブドゥライエムにしなかったのだろうか。<o:p></o:p>

 

まる一週間、母は病院に入院していた。その間、僕は毎日病院に走って通ったものだった。弟の顔を見たくてたまらなかったのだ。だから母がやっとアルトゥーシャ(こう名付けられた)を家に連れて帰って来た日、僕はとてもうれしかった。だが、突然に悲劇は始まった。<o:p></o:p>

 

 

 その頃の僕はどうしても大人を理解することができなかった。大人たち顔つきが悪くなり、みんないつも同じことばかり話していた。僕は、たびたび、美しい、歌うような言葉を耳にするようになった。僕にはそう聞こえた。「ラジアーツィア(放射能)」である。みなそれを恐れた。しかし誰もそれを僕に見せることはできなかった。のちにもうひとつ記憶に刻み込まれた言葉がある。それは「エバクアーツィア(避難)」である。この言葉は気に入らなかった。第一にそれはかえるの鳴き声にそっくりだったし、第二に、どこかに行ってしまうことだと聞かされたからだ。僕は何処にも行ってしまいたくなかった。しかし、この放射能からの避難は現実になった。友だちは全くいなくなってしまった。外には誰もいなくなり、町はすっかり寂しくなってしまった。母は砂遊びを禁止した。ラジアーツィアだ。一日に何回も手を洗った。ラジアーツィアだ。花にも草にも触ってはいけない。ここにもラジアーツィア。壁と床からじゅうたんがはぎとられた。ここにもラジアーツィア。床は洗浄の水が乾ききることはなかった。知らないおじさんが何か器具を持ってよく家に来た。おじさんは何かを測っているようだったが、僕にはまだその意味が理解できなかった。僕はおじさんの後をついてまわるのが楽しみだった。でも、おじさんが帰った後、母の顔はさらに悲しげになった。ある日、アルチョムが病気になってしまった。医者は診察した後、小さい声で、多分恐怖からだろうが、「ラジアーツィア」と言い、母は母乳をやるのを禁止された。そのかわり、レニングラードから粉ミルクが送られてきた。町では牛乳を搾ることが禁止されていた。牛も人も同じく、呪いのここにもラジアーツィアに苦しんでいたのだ。 

太陽は熱く輝いている。木々の葉は風に音を立て、花は咲き乱れている。だがチェリコフの町の通りには人もなく、静かだった。けれども僕たちはまだそこに住んでいた。

 

母の具合も悪くなった。ちょうどその頃、父はゴールキの農業アカデミーの講座に参加することになった。父は行くのを渋ったが、母は送り出してしまった。僕に着いて言えば僕の嫌いな「避難」という言葉に直面しそうな予感がしていた。町に残っている子ども全員が郊外のレチェツァ村の幼稚園に集められた。採血するためである。僕は非常に怖かった。子どもたちはみんな泣いた。痛さからより怖さから泣いたのだ。母親たちも泣き叫んだ。僕は、生まれてからたった一週間しかてっていないアルトゥーシャに大きい注射器を刺さないように頼んだ。今でもこのときの光景が目に焼き付いている。<o:p></o:p>

 分析の結果が分かると、母はクリモビッチのおばさんの家に行くように僕を説得した。放射能はそこまで飛んで来てはいないという。僕は絶対ン行きたくなかった。母や弟と離れたくなかった。でも母が泣いて僕に頼むので、僕はとうとう言うことをきいた。何日かして、おばさんが僕を迎えに来た。僕はおばさんのところから幼稚園に通った。叔母さんはい人だし、大好きだ。でも僕は、家が恋しくてしかたがなかった。しばらくして、クリモビッチも放射能に汚染されていることが分かった。瞬く間に時は流れて。母がどこかに出かけて行った。後から知ったことだが、母は移住先を探しに行っていたのだ。だが、なかなか決まらなかった。僕たち家族は、三年後に、ようやくオシポビッチに引っ越すことができた。アパートの部屋も家具も、そして最も大切な僕の友だちもチェリコフの町に残して。<o:p></o:p>

 現在、僕の家族は、アパートに住んでいる。弟は二年生になった。新しい友だちもできた。しかし、僕は幼い頃過ごした僕の大好きな町が恋しくてならない。夢にも友だちがよく出てくる。ィリューシャ、隣のユーラ、リューダ、ワ―リャ。放射能が早く去ってしまい、僕の町、僕が住んでいたロコソフスキー通りに帰りたい。

 

 

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『子どもたちのチェルノブイリ』抜粋・連載【第23回】 私のかわいいチュウリップ

2012年02月24日 | 『子どもたちのチェルノブイリ』連載

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた

-子どもたちのチェルノブイリ-<o:p></o:p>

(梓書院:19956月初版一刷発行。菊川憲司訳。チェルノブイリ支援運動・九州監修)<o:p></o:p>

 抜粋による連載(第23回)<o:p></o:p>

 第三章  これもだめ、あれもだめ <o:p></o:p>

 私のかわいいチュウリップ<o:p></o:p>

  キ―ラ・クツォーバ(女・十五歳)ホイノ中等学校十年生  ピンスク地区

 

 

 私は今、十五歳だ。作文を書きながら、「運命」のことを考えている。<o:p></o:p>

  一九八六年のあの忌まわしい事故は、多くの人たちの運命をはるかに苦いものに変えた。しかし、一部の狡猾な人たちは自分の運命を機敏に転換させることができた。彼らは人の不幸を利用し、それで自分の腹を太らせたのである。<o:p></o:p>

  子どもたちはどうだったのだろう。一九八六年十二月に生まれた、私のいとこのマーシャは、一歳になっても立つことができなかった。股関節に骨がなかったからだ。このことをピンスクの医者は認めようとはしなかった。親の思い過ごしとされた。おばさんだけがマーシャの不幸をわかっていて、医者の指示を完全に実行し、辛抱強く回復を待った。神様ありがとう。マーシャは普通になった。マーシャはこのことを覚えていないけれどもチェルノブイリが始まった年、彼女が生まれた年に、彼女の運命がこのようにして始まったことを彼女は知っている。 

  一九八六年の夏、カザフスタンの学校で働いている母は、夏休みに私を連れておばあちゃんが住むベラルーシのビチェプスク州に遊びに行った。そのときはまだチェルノブイリの被害は明らかにされておらず、ビチェプスクの町の人たちは、放射能はここまで来なかったようだと話していた。町は静かで穏やかだった。私たちはイチゴやリンゴや野菜を疑うこともなく食べ、当時は病気になる人もいなかった。

 

事故についても「ベラルーシ人」の不幸として、話すことを嫌がっていたようだ。チェルノブイリはここから遠いし、ウクライナのどこかにあるという程度だった。でもその不幸はすぐそばまで忍び寄ってきていたのだ。母も親戚もみんなが心の底では不安で恐怖を抱いていたものの、何も知らされないままでいたのだ。

 

私の住んでいたカザフスタンのプリオゼルスク市は、九十年代まで閉鎖軍事都市で、町の周りにさまざまな地下・地上発射ミサイルが配備してあった。このプリオゼルスクの大人たちは放射能の人体への影響を、その当時でもよく知っていたのだ。ここに勤務する軍関係者は早めに年金をもらい始めるなどさまざまな特権を持っている。チェルノブイリのリクビダ-トルとは全く違っている。母は当時、母の弟のことを心配していた。彼はウクライナのスラブチチ町の建設に派遣されたが、原発事故直後その町はウクライナ避難民のための町だったのである。

 

こうして、私たちのチェルノブイリの日々が始まった。遠く離れたカザフスタンでベラルーシからのニュースに耳をそばだてた。母はベラルーシからの報道、被災者への助言を期待した。だが、ミンスクは沈黙し、モスクワも沈黙し、何の助言も得ることはなかった。<o:p></o:p>

 八六年以降、母と私は、二回ベラルーシに行った。おばあちゃんは急速に老け、おじさんはスラブチチの建設から戻ると咳をするようになっていた。 

マーシャは今でもいろんな病を「花束」のように抱えて成長している。<o:p></o:p>

 ささいなことかもしれない。でも私には多くのことが変わって来ているように思えてならない。人々は寂しげになったり、目つきが厳しくなったり、粗野になって来ているようだし、子どもも同じだ。療養と名付けた外国旅行で手に入れた中古の品物を自慢しあったりしている。私にはこんな機会は決して巡って来ないだろう。でも私の「運命」は私にさまざまな運命を運んでくるのである。

 

  母は教師を続けたが、よく病気をするようになった。人々は大量に町から出て行くようになり、学校の生徒の数も減った。カザフスタン政府は事実上モスクワの直轄都市であったプリオゼルスク市はいらないと言った。ロシア政府も私たちの生活の援助はあまりせず、状況はどっちつまずのものになっていった。町の大きな近代的建物からは、板の一枚まで持ち去られ、町並みは窓を板で十字に釘づけした家が増えていった。<o:p></o:p>

  チェルノブイリのゾーンから脱出する人たちが、私たちと同じように自分たちの家の窓を釘づけにしている写真が、地元の新聞で報道されていた。いろんなことで疲れきった両親は町を出ることにした。でも、どこへ行くか引越しの結論が出ないままに学年が終わり、母は休暇をもらった。母と私はベラルーシのビチェプスク週に出かけることにした。私はそのとき、ベラルーシにこのまま長く留まるのではないかという予感がしていたが、やはりそうなってしまった。失業中の父が遅れて私たちに合流し、新しい場所での生活の責任がすべて母の肩にかかってきたのである。 

 でもここベラルーシでもうまくいかなかった。母は新しい職場を見つけ、なんとか住居も手に入った。しかし父の仕事の問題は未解決だった。ここで職を得るのがおおよそ不可能であろうことは分かっていた

 父はピンスクのおばさんのところに行った。今、私はピンスク地区のそう大きくない村ホノイに住んでいる、予測もつかない放射能汚染の不安にかられながら、ここにたどり着いてしまったような気がする。両親は悲しみながらも、ホノイでの居住権をとり、「棺桶代」をもらうようになった。それは私にも支払われる。補償金は定期的に支給されるが、お金をもらい忘れると、商店のそばの塀に長いリストが貼り出される。このリストでまだ補償金を受け取っていない人たちを知るのだが、戦死者の名前を並べた「記念銘板」を思い起こすので、私は足早にそこを通りぬけることにしている。

 他にも村民への補償として、私たち生徒に朝と昼ニ回の食事が与えられる。内容は良かったり悪かったりであるが、これは多くの人にとって大きな恩恵だと思っている。

 半年に二回健康診断を受けたが、結果が悪く、両親にとっては驚きであった。私はこの数値がどれほどひどい値であるのかを本当は理解できていない。しかし私が正常ではないということがはっきりしたのである。去年の十一月の検査は異常がなかったものの、三月の検査結果は悲しいものであった。ホノイに住んで一カ月たつごとに検査結果が一ポイントずつ悪くなる。父は恐ろしい早さだと言った。そのうち、ここに生まれ育った人に追いつき、追い越すことになってしまいそうだ。私のことを心配して、母の方が病気になるのではないかと心配している。

 初めてホノイの村に着いたとき、私は驚いた。家のそばにはただ雑草が生え、花壇にも雑草は伸び放題、道はゴミの山だった。庭には赤茶けた彼気が立っていた。隣のテクリヤおばさんが話してくれたけど、この家は避難民が次継ぐに入れ替わりに住み、長く居続けることは泣く、三年以上住んだ人はないそうである。

 春、私たちは花壇の手入れを始めた。私の好きなチュウリップ、スイセン、グラジオラス、アスターの花が咲くのを楽しみに・・・・。

父はスタプロポーリエからトマト、キュウリの種を買ってきて植えた。じゃがいもをコルフォーズに売るのだと張り切った。私たちは生きられるのだ。庭は一新した。

 

  しかし、本当のところ、状態は悪くなる一方で、学校でチェルノブイリの子どもたちを見ても希望など感じられない。現在既に警告されているように、将来どうなるかはまったくわからない。信じたくないが・・・・。

 チェルノブイリ事故の後の暮らしは、格言にある「昔のことは、昔のまた昔。そんなことは忘れてしまった」とはいかないだろう。黒い放射能は、単純には過去のことになってしまわないのだ。

 私と母は最近、家のそばの草を引き抜いた。引き抜き、掘り返し、放り投げ、そして一か所に集めた。疲れは感じなかった。むしろチェルノブイリを清算した気分だった。

 母とけんかしたとき、母は「おまえの運命は泣いている猫と同じようなものだ」と言った。ママ、あなたが正しいかもしれない。だが私は生き延びてきた、これからも・・・・・・・。私の過去はチェルノブイリの事故そのものの体験だ。

 窓の外に目をやれば、明るい太陽が青空に輝いている。私の花壇には赤いチュウリップが咲いている。太陽の光に暖められ、とうとう開いたチュウリップの季節、黒い翼がおおうホノイの村で咲いた初めての花チュウリップ。お前に誠意があるなら、いつまでも咲き続けておくれ、自由に、楽しく、美しい空の下で。幼い日、カザフの草原に咲き乱れていた輝く花を、私は忘れはしない。「神様、私たちの美しいチュウリップよ。いつまでも生きておくれ、そして人々に喜びを与えておくれ・・・・・と。

 

 P・S   この作文は先生に見せていません。地区にも送りませんでした。私が自分一人で決めました。というのは、この作文は私が個人的に体験したことを書いた私的なものだからです。 

 

尊敬する選考委員のみなさま、直接ミンスクに送ります。今、私にはどんな希望もなぐさめもありません。私と同世代の数千の子どもたちの運命をチェルノブイリが暗くしているからです。彼らの中の何百人かが、このコンクールで考えを整理して述べることでしょう。彼らの成功と健康を祈ります<o:p></o:p>

 

//////////////////////////資料/////////////////////////////////

東日本大震災救援対策本部ニュース243号(2012、2,23)からの転載2431223img_291382_7850131_0
                         
                          2432223img_291382_7850131_1_2

  前掲ニュースの記事詳細は下記のワンクリック、「フアイルを開く」でごらんになれます。

http://www.geocities.jp/shinsaikyuenhonbu/honbu243.pdf

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蚕糸の森公園広場埋め尽くし、2・19脱原発杉並デモに4千!

2012年02月19日 | 原発再稼働反対・全原発廃炉

 今日は、東京では、2・19ビキニデー58周年東京集会が千駄ヶ谷区民会館で第五福竜丸元乗組員・大石又七さんの講演を中心に行われています。ここ杉並では東高円寺蚕糸の森公園に、4千をこえる人々が結集し脱原発・杉並デモが行われました。原水爆禁止の2300万の署名運動の発端をひらいた高円寺の魚屋さんの娘さんが訴え。原発再稼働を絶対許さない誓いと再稼働めざす政府・電力会社への怒りをこめて、子どもたちと若い母親父親のキッズ隊を先頭に、サウンド・アーチストグループ、ネットで各地から駆けつけた人々、杉並の区職の労働者、杉並の地域はじめ各地から参加の老若男女さまざまに創意あふれる長蛇のデモが行われました。以下、脱原発杉並デモの写真サイトからの転載含め写真報告です。

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【3・11原発いらない!福島県民大集会
 

 3月11日12時半開場、13時開会:郡山市開成山野球場

に行こう

▲福島を知ってください!フクシマに立ってください!

プレ企画 原発いらない!地球(いのち)の集い

3月10日10~20時半

3月11日9~12時

ビッグアイ郡山駅前

労働福祉会館中ホール2F

★福島原発事故障害者の命と尊厳を守る法律の制定を求めて

★世界市民法定・原発をさばく

★子どもは訴える 子どもの声を聞いて!

★障害者にとっての東日本大震災

★保育情報相談会

★鎌田慧講演会

☆文化交流会・ワークショップ <会津磐梯山古式踊り><古式フラダンス・イマジン>

☆避難者の声を聞いてください

☆被曝と労働 / 震災とジェンダー / 福島診療所づくり /DVD上映会

/展示

☆野菜カフェ「はもる」模擬店などなど

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「社会保障と税の一体改革」大綱閣議決定と「公務員給与7・8%削減」民自公3党合意

2012年02月19日 | 公務員制度改革・公務員攻撃について

極限的大増税=「社会保障と税の一体改革」大綱の閣議決定弾劾!

 2月17日、野田政権が「社会保障と税の一体改革」大綱を閣議決定した。満身の怒りで弾劾する。3・11原発いらない!福島県民大集会(郡山開成山野球場)の大結集、反原発・反失業ー非正規職撤廃・公務員大攻撃絶対反対・大増税絶対阻止の怒りの大爆発で野田政権実をひきずりたおそう。

 第一に、消費税率の2014年4月8%への引き上げ、2015年10月10%への引き上げの増税大綱だ。大綱には、公表された政府試算でもさらにそれ以降さらに7%消費税率を引き上げても60年後の制度となるという「最低保障年金」まで1月6日の素案通りに盛り込まれている。現在の全世界的な金融危機、財政破たんからしても、際限のない極限的大増税の道を開こうとしていることは明らかだ。

 金融不安も財政破たんも、私たち労働者人民のせいで起きていることではない。全部、社会を牛耳る資本家階級と金融資本のせいだ。カネ儲けがすべての新自由主義とそのもとでの労働者人民を食い物にしたサブプライムローンに象徴される金融商品化経済、マネーゲームとその破たんがつくりだした。その破たんに対して、「負担を分かち合え」だって?!冗談じゃない!ひとにぎりの大資本家、金融資本のぼろ儲けがひきおこした国の財政破たんに対して私たちが犠牲を強いられねばならないいわれはない。そもそも、1%にも満たない富めるものだけがますます富を膨らましているというのに、99%の私たちはますます生きていけない貧しさを強いられ、私たちの日常の生活・生計はとっくに悪化し破たんているのだ。その持たざる私たちからさらに「最後の血の一滴」まで搾りとるように、むしりとるというのが消費増税だ。絶対に認められない。

 そのために新設しようとしているのが、社会保障・税の共通番号制度導入だ。大綱はこれも明記している。政府は「マイカード」などとあたかもこれで社会保障給付を安心して受けられるかのような砂糖菓子のようなイメージを与えようとしているが、とんでもない!社会保険料と税金の課税・納付状況を電子化し、保険料・税を強制徴収し、負担できない者には給付も制限するための識別番号制度だ。

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民・自・公3党政調会長が国家公務員給与7・8%削減で合意・・・・2008年国家公務員制度改革基本法成立で手を組んだ自・公・民3党が談合、自治体による地方公務員給与削減と(国家・地方)公務員制度改革=360万人クビきりを目指す!

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 第二に、大綱は衆議院議員定数80減と国家公務員給与大削減を明記している。大綱そのものには自公野党は「与野党協議」に応じていないが、この大綱閣議決定の同じ日に、民自公政調会長で、国家公務員給与について、①0.23%引き下げの人事院勧告の昨年4月分にさかのぼっての実施、②(①の人事院勧告分を含めて)2012年度・2013年度の7.8%引き下げで3党合意した。

 大綱は、国家公務員給与削減法案と国家公務員制度改革関連法案の早期国会上程・成立を明記している。17日の民自公3党合意では、国家公務員制度改革関連法案の審議入りと合意形成の環境整備」と「地方公務員給与削減の付帯決議に向けて、国会審議を通しての合意形成」「地方自治体において条例で実施する(※させる)」が確認されている。

 自公野党は「大綱には事前協議には断じて応じない」などと言っているが、公務員制度改革、つまり(国・地方の)公務員総人件費削減と大量クビきりにむけて、政府与党も自公野党もおぞましい翼賛茶番劇を演じているということだ。「国民に負担を求めるためには隗より始めよ、身を切る覚悟」(野田)の核心=公務員攻撃で与野党は完全に一つだ。「事前協議には応じない」が「国会審議でなら与野党合意する」ということだ。

 しっかりと見ておかねばならないことは、国家公務員制度改革については、その基本法案を2008年第169国会で自公民3党合意で成立させているということであり、その基本法では▲遅くとも2012年制度実施のための国家公務員制度改革法案の成立、▲地方公務員法制度改革については国家公務員制度改革法で定めるところを参照・準用して実施するという趣旨を付帯して確認していることだ。2008年の自公民3党合意と今回の2・17民自公3党合意にほとんど隔たりはない。2・17民自公政調会長3党合意の意味するところは明白である。

 そして、この動きと根底で同じ動きの先兵として、橋下徹大阪市長が市職労から組合事務所を取り上げ、「公務員と公務員労組をのさばらしておくと日本もギリシャのようになる」と公務員労働者クビきり・賃下げ・組合解体・団結(権)圧殺を扇動し、「維新の会」の衆議院選挙での国政への大量進出をめざしているということであり、都知事・石原慎太郎やみんなの党をはじめとした公務員攻撃勢力、道州制推進勢力が一体となって動き出しているということだ。

 公務員給与削減と公務員クビきりの間には境目はない。政府、財界は、与野党翼賛、道州制推進首長、御用組合中央で、公務員労働運動をぶっつぶし、国と地方の民営化、国と地方の事業の外注化、全職員の際限のない非正規化・多重下請化・低賃金化・無権利化に突き進まんと躍起になっているということだ。大綱との闘いは、公務員労働者360万人大量クビきり、民営化・外注化・総非正規化との激突だ。

 国鉄労働運動の解体・一掃のために強行された80年代臨調・行革、中曽根の国鉄分割・民営化から25年、いまJR体制のもとで起きていることは何か。列車の運転から検修・保安、駅構内業務まで、すべて外注化し、JR会社の看板を掲げながら、列車にも駅にもJR社員はほとんどおらずすべて外注の低賃金・不安定雇用の非正規労働者が低賃金と劣悪な労働条件、危険な環境下で仕事に従事しているという異様な状況がつくりだされてきている。動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)、JR体制と闘う労働者がこの外注化と非和解的で対決し、外注化実施を労働者の団結で阻みはねかえし、闘いが拡大している。労働者が団結して職場で闘えば粉砕・阻止できるのだ。国にも自治体にも労働組合がなく、国や自治体の職員に公務員がほとんどいないというありかた、新自由主義のもとで民間大企業がアウトソーシングとして拡大してきた総外注化・総非正規化を公務員制度改革はめざしている。道州制で国と財界がめざしているものだ。ここに政府も財界も突き進んでいる。大綱、2・17民自公「国家公務員給与7.8%削減」3党合意の核心はここにある。動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)のように闘おう!全労働者の団結で公務員攻撃を打ち破り、非正規職撤廃へ闘おう。

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「若者重視」 (野田)「消費増税=社会保障目的」(大綱)は大ウソ!「全世代型社会保障」の目玉=「子ども子育て新システム」(幼保一体化)が掲げる「待機児童解消」「女性の就労支援」「子育て支援」も政府の空手形だ。若者をなめるな!非正規をなめるな!愚弄するのもいいかげんにしろ!

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  第三に、この攻撃の「大義名分」として「このままでは将来世代に大変なツケを回す」「若者の将来の負担増を何としても避ける」「明日の安心」というデマゴギッシュな世論操作、「一番この問題に向き合ってほしいのは若者」という青年をターゲットにしたイデオロギッシュな世論形成を始めていることだ。だがこんなウソを誰が信じるものか!

 ふざけるなということだ。誰のせいで、どんな国策のせいで、いま若者、青年が、失業、無業、ワーキングプア、非正規の塗炭の苦しみを強いられているのか

 そして消費増税を「若者の将来のため」と称して喧伝しはじめているが、消費増税が掲げる「全世代型社会保障」の目玉、「社会保障と税の一体改革」の柱である「子ども子育て新システム」「幼保一体化」の化けの皮もはげ落ち始めている。まだ、制度実施されてもいない、法案上程にも至っていない現時点で早くも、だ。先日政府ワーキングチーム案に基づき政府が最終とりまとめした「新システム」「幼保一体・総合子ども園」政府案からは、誰がどう見ても、「待機児童の解消」「就労支援」「子育て支援」の新制度見通しはまったく見えてこない。この点は、2月の読売新聞のミニ連載やNHKの特集もクローズアップして伝えている。

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(読売新聞の2月1日報道、7・8・9日の「どう変わる幼保一体化?」ミニ連載)

 待機児童の8割超が0~2歳児だ。就労しなくては食っていけない若い母親が抱える子どもの過半がこの0~2歳乳幼児だ。政府『最終とりまとめ』は、ここに何も手をつけないと言っているのだ。

 ▲幼稚園は保育機能、とりわけ乳幼児保育を背負いこむことにはコスト面、設備面、資格・人材面等から負担とリスクが多すぎると新システム「総合子ども園」移行に強い難色を示し、『最終とりまとめ』もこれを認めて、幼稚園に移行を義務付けたり移行期限を定めないとした。これは保育所の「待機児童」問題の解決の「援軍」に幼稚園はならないということだ。【①】

 ▲代わりに、「新システム」を実施しても「保育園型子ども園」として乳幼児に特化した0~2歳児保育園として保育所を存続することとした。【②】

 ▲「新システム」で変わるのは、これまでも認可保育所や認証保育所を運営している民間企業(株式会社)をより企業本位の弾力性で全面的に参入可能にし、保育料金も国・自治体が支出する運営費の使途を保育事業以外とすることも企業の自由とする点が一つ。【③】

 ▲もう一つが、保育ママ、保育ルームを財政支援し、新システム・子ども園の場合の従事者の要件よりもはるかに緩和して、保育パワーとして積極的に活用し、これをもって待機児童解消に充てるという点。【④】

 現在「待機児童」という場合、公立保育所、認可保育所に入れたくて応募・希望しても入れないケースをいう。そのほとんどの場合は、公立水準の保育料の保育所だ。いま株式会社が運営している認可保育所や認証保育所は、公立や社会福祉法人立の保育所の2~3倍の保育料をとられるため、応募・希望そのものが無理でほとんどの家庭はあきらめている。

 これに対して、新システムは、「保育の沙汰もカネ次第」で保育料金の高い株式会社の運営する保育園を増やすことはしても(③)、いま応募が集中して待機児童が増える一方の公立保育所はまったく増やさないということであり、乳幼児保育所として存続はさせても決して増やさないのだ(①②)。だから読売もNHKも「待機児童解消にはつながらない」と報じているのだ。

 それでは「足らず」は何で「補完」しごまかそうとしているか。複数の資格ある保育士が常時いなければとうてい保育の安全が確保されない乳幼児保育を、一人の保育ママが自宅に預かる、マンションの一室に複数の子どもを預かるという形でできるように規制緩和する、つまり密室保育だ(④)。

 夫婦ともども非正規で働いてギリギリかつかつの生活を営む若い世帯にとっては、保育所施設に預けようにも、株式会社運営の施設は保育料金が高すぎて預けられない。「一時保育」「預かり保育」「24時間保育」といえば、一見「便宜」でパートやアルバイト、ダブルジョブ・トリプルジョブで働く若い世代にとって「助かる」ように聞こえるが、子どもの安全や責任ある保育を考えればとうてい安心して預けられるものではない。コインロッカーに荷物をだしいれするようなものでは保育はないのだ。

 これが、「若者の就労支援」か。「女性の就労支援」「子育て支援」などと言えるのか。若者きりすて、非正規世帯きりすて、保育解体ではないか。結局、「高いカネを払わねば子どもを施設に預けられない」、「嫌なら保育を諦めろ、子どもをつくるな」「嫌なら結婚もするな」という話ではないか。

 これが野田政権が大綱と新システムでやろうとしていることだ。こんなことのために、消費税を大増税するというのだ。どこが「若者重視」だ。何が「明日の安心」だ。野田政権は、消費税大増税の道具として、「待機児童解消」「子育て支援」をコトバで言いふらしているだけだ。

 野田政権は、この新システム実施を通して、保育労働者の団結を解体し、民営化・外注化・非正規化をすすめようとしている。現在でも自治体では保育所の業務委託や指定管理者制度を進めている。新システムによる株式会社の参入は、大手を振って保育職員の賃金破壊、非正規職化をとことん進めることから、民営化・非正規化を促進する。保育労働条件はボトムダウンで破壊的に切り下げられ、最低最悪の水準で平準化する。新システムは、60万保育労働者を標的とする公務員攻撃・非正規化攻撃の激突点だ。保育職場の職員(労働者)の団結で絶対反対で闘おう。保護者(労働者)と一体となって全労働者の団結で粉砕しよう。

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公務員大クビきり・社会保障給付削減・大増税の「財政緊縮策」国会強行採決にゼネストと騒乱で闘うギリシャ労働者人民と連帯して闘おう!

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 ギリシャの労働者人民は、ゼネストと騒乱でたちあがっている。ギリシャの青年は流血と衝突を恐れず、暴力的弾圧と対峙して闘っている。何のためか。生きるためだ。生き抜くためだ。「ギリシャは対岸の火事ではない」という野田や「公務員をのさばらせるとギリシャのようになる」という橋下大阪市長に対する私たちの態度はギリシャのようにあくまで絶対反対で私たちが生き抜くために闘おうということだ。

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原発絶対反対、大増税絶対反対の闘いは国家そのものをめぐる闘い、私たちが生きるための私たち自身の戦争。まず原発再稼働をとめよう、野田政権をたおせ!

3・11原発いらない!福島県民大集会に行こう!

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斑目(マダラメ=デタラメ)原子力安全委員長が辞任もせずに「陳謝」

2012年02月16日 | 原発再稼働反対・全原発廃炉
 

  あきれて、あいた口がふさがらないどころではない!東電や政府、原子力安全保安院、原子力安全委員会ら「原子力ムラ」への怒りがますますこみ上げてくる。▲福島第一原発事故事故調査委員会(2月15日)のかのマダラメ・デタラメ=斑目原子力安全委員長の「陳謝」「瑕疵」発言、▲15日未明の東電スポークスマン・松本純一原発立地本部長の福島第一原発2号機・異常高温値測定問題の「温度計故障」断定と究明打ち切りの会見のことだ。

事故調での斑目発言絶対許すな!腹を切るなりクビを吊るなり土下座することもせず、へらへらと「瑕疵があった」「まったく考えていなかった」「謝罪する」だと!!!!!!!

 みなさん、事故発生からこれまでの斑目発言の数々を思い起こして欲しい。具体的に挙げるまでもなく、だから斑目は代名詞デタラメで広く呼称されてきた。単に語呂合わせで斑目=デタラメといわれてきたわけではない。

 以下にメデイアの配信を列挙する。コメントする必要もない。発言の一字一句にみんな怒り、憤りがあらためてこみあげてくるはずだ。

//////////////// 以下に各配信をそのまま転載する。


斑目委員長陳謝“安全指針に瑕疵”
NHK 2月15日 18時59分 動画あり

斑目委員長陳謝“安全指針に瑕疵”

国の原子力安全委員会の班目春樹委員長は、国会に設置された原発事故調査委員会に参考人として出席し、
原発の安全対策を示した国の指針について
瑕疵(かし)があったことは、はっきり認めざるをえない。おわびする」と陳謝したうえで、
見直しを進める考えを示しました。

15日に開かれた国会の原発事故調査委員会には、
国の原子力安全委員会の班目春樹委員長と、原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長の2人が
参考人として出席しました。

この中で班目委員長は、原発の安全対策を示した国の指針について
「いろんな意味で瑕疵があったことは、はっきり認めざるをえない。
津波に対する十分な記載がなかったり、すべての電源の喪失も『長時間考えなくてもいい』とされていた。
原子力安全委員会を代表しておわびする」と述べたうえで、見直しを進める考えを示しました。

また、班目氏は、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」と呼ばれるシステムのデータの扱いについて
「迅速に公開されていたらもっとうまく避難できたというのは、全くの誤解だ。
しかし、データの公開は早い時期にされてしかるべきものだった」と述べました。

一方、原子力安全・保安院の寺坂前院長は、
政府の原子力災害対策本部の議事録が作成されていなかったことについて
「事故発生当時の事務局長として、大変申し訳ないと思っている。
概要的なものは途中からは残されているので、復元する作業を行っている」と述べました。

国会の原発事故調査委員会のあと、黒川委員長は記者会見し、
「班目氏が、原発の安全対策を示した国の指針が不十分であったことを認めるなど、
今後の調査に向けて極めて参考になるヒアリングだった。緊急時の備えが、極めて出来ていなかった。
原発事故を引き起こした日本としては、国際的に認識されるような安全基準をつくる責務がある」と述べました。




言い訳づくりばかりしていた…班目氏発言の要旨

読売新聞 2月15日(水)21時5分配信
 
国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会での班目春樹原子力安全委員会委員長の発言要旨は次の通り。

【原発の安全審査体制】
原子力安全委員会の安全審査指針に瑕疵(かし)があったことははっきりと認めざるを得ない。
津波に対して十分な記載がなく、全電源喪失については、
解説で「長時間そういうものは考えなくてもよい」とまで書いている。原子力安全委員会を代表しておわびする。

【原発の安全確保】
国際的に安全基準を高める動きがある中、日本では、
「なぜそれをしなくていいか」という言い訳づくりばかりしていて、まじめに対応していなかったのではないか。

安全指針一つ取っても、変えるのにあまりに時間がかかり過ぎている。
そもそもシビアアクシデント(過酷事故)を(前提に)考えていなかったのは大変な間違いだった。

【原発事故時の住民避難】

放射性物質拡散予測システム「SPEEDI(スピーディ)」の計算には1時間かかる。
今回のような原発事故にはとても間に合わなかった。

予測計算などに頼った避難計画を立てたのが間違いで、
発電所で大変なことになっているという宣言があったら、
ただちにすぐそばの方には避難してもらうというルールにしておくべきだった。
スピーディが生きていたら、もうちょっとうまく避難できたというのはまったくの誤解だ。


2トップ、福島事故で謝罪「言い訳に時間をかけた」「私は文系で…」
産経新聞 2月15日(水)22時43分配信

国会が設置した東京電力福島第1原発事故調査委員会(委員長・黒川清元日本学術会議会長)の
第4回委員会が15日、国会・衆院別館で開かれ、
原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長と経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長が、
原子力の安全規制当局として事故を防げなかったことについて陳謝した。

班目氏は津波や全電源喪失に備える原発の安全指針について
「瑕疵(かし)があったと認めざるを得ない。おわびしたい」と謝罪。

指針が改善されなかった背景について
「低い安全基準を事業者が提案し、規制当局がのんでしまう。
国がお墨付きを与えたから安全だとなり、事業者が安全性を向上させる努力をしなくなる悪循環に陥っていた」と言及し、

「わが国は(対策を)やらなくてもいいという言い訳に時間をかけ、
抵抗があってもやるという意思決定ができにくいシステムになっている」と述べた。

寺坂氏は平成16年の美浜原発配管破断事故などを挙げ、
「(保安院は)安全規制を進めようとしていたが、個別の問題の改善や安全確保に相当な時間や人員をとられた」
と釈明した。

官邸への助言など、事故当時のそれぞれの行動について、
班目氏は「1週間以上寝ていないのでほとんど記憶がない。
私がいた場所は固定電話が2回線で携帯も通じず、できる助言は限りがあった」と説明。

寺坂氏は「私は文系なので、官邸内の対応は理系の次長に任せた」と述べた。

また、放射性物質の拡散予測システム(SPEEDI)を
避難に活用しなかったと政府事故調などで指摘されていることについて、

班目氏は「SPEEDIがあればうまく避難できたというのは全くの誤解だ」と反論。
寺坂氏は「避難方向など何らかの形で有用な情報になったのではないかという思いはある」と述べ、
異なる認識を示した。

黒川委員長は委員会後の会見で
「安全委員会と保安院は安全を担う使命を持っているが、緊急時の備えができておらず、
事故がない前提で原子力行政を推進するなど、国民の安全を守る意識が希薄だ」と批判した。

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「福一・2号機:異常高温値」問題で、「温度計故障」断定、「全温度計の取替の検討」発表! 松本純一原発立地本部長会見は、究明と対策を投げ出し、打ち切りを策するものだ! 原発再稼働・原発政策護持のために、危険もみ消し、「事故収束」「低温冷却状態」の建前防護に走る東電許すな!

 これもコメントはほとんど要しないだろう。

 片方では「異常高温はひとつの温度計だけ、残りは低温」というかと思えば、他方で「(低温値示す)ほかの温度計も問題の温度計同様高温で故障する可能性があるので別の方法を考える」。つまり、現状では炉内温度を客観的に正確に知るすべがないということを平気でさらけだしたわけだ。そんな現状で、どうして342度Cや400度Cを記録した温度計ではないほかの温度計の測定値が「正確」で「低温」「安定を示す」などと無責任にも言い切れるものだ。壊れているのは異常高温を示した温度計のほうではなく、低温値にとどまっている温度計の方かもしれないし、全部こわれているかもしれないのだ。

 「このような高温は溶け出した燃料の60%が問題の温度計付近に集中していないと出ない温度だ」と言いながら、その危険性を疑ってもみず、究明ぬきで、ありえないこととした。さらに「ケーブル断線」の模擬再現実験で、ケーブルのカバーの破損で実際値より高い温度が出たから、342度C、400度Cを記録した温度計の場合も、同様と考えられるという実証的根拠をあげた。逆は真とは限らない!こんなものは屁理屈でしかない。格納容器の中も圧力容器の中も状態は誰にも分かっていないし、いかなる方法でも確かめられてはいないのだ。

 新たな温度計を圧力容器からの配管に取り付けることで、安定して温度を正確に測定する装置をつけると言っているが、1月19日の工業用内視鏡の格納容器挿入実験で何がわかったのか。中の状態は高温高線量・低水位という以外は何も分からないこと、人はもちろん、先端機器を駆使しても何も作業できないことだけがはっきりしたのではなかったか。現時点ではまったく困難で不可能なのに、「新たな測定方法、設備の設置」などとやれもしないことを言うな!

 結局は、松本会見は、大変な兆候が現れたこと、「事故収束」とか「低温冷却状態」とかいったノー天気なことを言っていられない危険な徴表に対して、もみ消し、なかった話にするということを狙っている。何もやらないで、投げ出すということだ。

 ことほど左様に、私たちは絶対に追及の手を緩めてはならない、手加減してはならないということだ。

 何度でも確認しよう。政府と東電は取り返しのつかない人類史上最大最悪の原子力事故として福島原発事故をひきおこした。その現状は何一つ収束しておらず、再臨界の危険をはらんだまま現在進行形で危機的状態が続いている。だから毎日毎日次々と戦慄すべき出来事が起きている。そのさなかでその都度行われる政府や東電の説明は、ことごとく、全国の原発の再稼働と原発輸出という国策の継続のために、「何事も危険はない」「収束した」を維持するための政治的作り話以外の何物でもない。そのことで日々踏みにじられ抹殺されているのは、福島200万県民と子どもたちの命であり、私たちの未来と生存だ。

 絶対に手加減してはならないし、手加減しない!政府・東電の責任を徹底的に追及しよう!

 2・19脱原発・杉並デモ、2・25反原発反失業・高円寺一周デモに集まろう。3・11原発いらない!福島県民大集会(郡山開成山野球場)に行こう!

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3月11日原発いらない!福島県民大集会:訴え①椎名千恵子さん

2012年02月16日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

                         
椎名千恵子さんのアピール

子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人/原発いらない福島の女たち・未来を孕む女たちのとつきとおかのテントひろば世話人

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3・11にいらしてください
 

 3・11福島集会の名称が「原発いらない!3・11福島県民大集会」になりました。当初は、反原発・脱原発という言葉が入らず「安心して暮らせる福島をとりもどそう」というサブタイトルだけだったんです。私たちは当然、6万人が集まった9・19集会の流れで3・11集会を開催すると思っていたのに、労働組合の代表も市民団体の代表も呼びかけ人に入らず。

 

 

 
 実行委の会議では十数人が意見を言いました。その後も声を上げ続け、ついに「原発いらない」の言葉が入った。私たちの声、福島の女たちの実力行動がかちとったと思います。並行して「自分たちでできる企画をどんどんやろう」とプレ企画も準備しました。「3・11原発いらない!地球(いのち)の集い」。福島にいる私たちが今知りたいこと、県外から来た人に知って欲しいことなどを企画しています。
 

 

 
 子どもたちを放射能から守る福島ネットワークは鎌田慧さんの講演会や野菜カフェをやります。被曝労働者の問題や、被曝者援護法制定についての企画もやります。11日午前は福島での診療所建設に向けてお医者さんを囲んだテーブルトークもやります。2年目の闘いをさらに力あるものにするために、一人ひとりが強くなっていくための企画です。11日と併せてぜひご参集ください。
 

 

 
 福島の女たちはこの1年間闘ってきて本当に鍛えられました。「命が一番大切」という根底的な思いとストレートな怒りにベールをかぶせないことが女たちの強みです。私たちは手加減しませんからね。
 

 

 
 もちろん国や原子力村の責任を徹底的に追及していくわけですが、同時に私は自分たちの責任も問い返していく必要があると思っています。とりわけ子どもたちにはなおさら謙虚に、そうとらえ返さなければいけない。自分自身も変わっていくことで、この社会の現実を変える力をつくり出していきたい。
 

 

 
 私は今、この大きな時代の転換点に立って、緊張感と同時に、本当に感慨深いものを常々感じています。本当のことに向かっていける、もうすべてをごまかさないでいいという解放感が確実にあります。まったく新たな仲間たちともいっぱい出会えました。青春の時のような解放感を持って日々を過ごしています。
 

 

 
12月1日に「未来を孕(はら)むとつきとおかのテントひろば・フクシマ村」を始めて2カ月あまり。1月27日には750人も集まってくださって、経産省の撤去命令を阻みました。予想した以上の反響です。みなさんがこういう場所を必要としていた。出会いを喜ぶ顔があり、「ここに来るのが楽しみだ」というリピーターがどんどん増え、27日の攻防をきっかけにテントの存在がますます広く知れ渡って、ものすごいエネルギーを「孕んで」います。みなさん、ぜひテント村にもお越しください。
 

 

 
 福島では今、診療所をつくろうと運動しています。冬になって子どもたちがインフルエンザや風邪にかかっています。避難できずに無関心を装っているお母さんたちも、放射能汚染に不安がない人はいないから、お医者さんに「放射能の影響が出ているんですか」と聞くんです。だけどお医者さんは「あり得ない」と全否定する。するとお母さんたちは心を閉ざすしかなくなってしまうんです。正しい情報をもとに、子どもたちの命に親身に寄り添って心と体にアドバイスして導いてくれるお医者さんが必要です。ぜひ診療所建設にご協力をお願いします。
 

 

 
 3月11日は福島の現場に立っていただきたい。命の問題というのは肌身で、皮膚感覚で物事を見るということ。地震の恐れもある中で、傷みきっている福島第一原発4号機の爆発も考えられる。線量が高いところですけれど、そこに立って感じとることによって、原発をなくすための次に行動に進むことができると思います。郡山にぜひいらしてください。
 
 
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3月11日 原発いらない!福島県民大集会


▲球場は放射線量が高いため、妊婦の方、お子さんは参加をお控えくださるようにしてください。

▲福島を知ってください!フクシマに立ってください!

12時半:郡山開成山球場 

 

 13時開会:オープニングコンサート(加藤登紀子さんほか)//発言(大江健三郎さんほか)

プレ企画 原発いらない!地球(いのち)の集い

3月10日10~20時半

3月11日9~12時

ビッグアイ郡山駅前

労働福祉会館中ホール2F

★福島原発事故障害者の命と尊厳を守る法律の制定を求めて

★世界市民法定・原発をさばく

★子どもは訴える 子どもの声を聞いて!

★障害者にとっての東日本大震災

★保育情報相談会

★鎌田慧講演会

☆文化交流会・ワークショップ <会津磐梯山古式踊り><古式フラダンス・イマジン>

☆避難者の声を聞いてください

☆被曝と労働 / 震災とジェンダー / 福島診療所づくり /DVD上映会

/展示

☆野菜カフェ「はもる」模擬店などなど

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東京~杉並情報

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2月19日 ビキニデ―58周年東京集会

3月1日はアメリカによるビキニ環礁水爆実験の日です(1954年)。
ビキニ事件は1000隻にもおよぶ漁船が被曝。大石又七さんの乗った第五福竜丸は、ほとんどの乗組員の方が壮絶な闘病の末に命を奪われています。大石さん自身もたくさんの薬を飲みながら、反核運動に尽力され続けています。
 ビキニ事件を契機に日本の反核運動は盛り上がり、当時2300万の署名、世界では6億7千万の署名が集まったと言われています。これを取り込むためにこそ、「原子力の平和利用」が「毒をもって毒を制す」という形で行われた。アメリカの核独占のひとつの転機であり、日本の反核運動のひとつの原点です。原発の再稼働阻止のために学び決意する集会にしましょう。



2月19日(日)再稼働ゆるすな!  脱原発・杉並デモ

 集合13時  蚕糸(さんし)の森公園(丸ノ内線東高円寺駅すぐ)
13時30分デモ出発予定:蚕糸の森公園出発→JR高円寺駅→
青梅街道→中杉通り→JR阿佐ヶ谷駅(予定)   

 2月25日(土) 反原発・反失業  高円寺一周デモ

 

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資料:福島第一原発170キロ圏:「強制移住」~250キロ圏:「いずれ避難」

2012年02月07日 | 原発再稼働反対・全原発廃炉

福島第一原発170キロ圏:「強制移住」~250キロ圏:「いずれ避難」(首都圏も首都機能も)の資料

福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描

 

福島事故直後に「最悪シナリオ」 半径170キロ強制移住(東京新聞)

 ※上記URLは当サイトノ2012.2.6付け記事の中に出てくる「・・・・・不測事態シナリオ」の証拠=裏付け資料です。調べたい方は前掲のワンクリックでごらんになれます

誰も信じない!何が「事故収束」だ!

 そういうやばいことがあって、②今も原子炉の中身や燃料プールの中の燃料棒の状態がさっぱりまったく「どうなっているか」わからなくて、昨年8月26日経産省公式ホームページで「放射性物質で3月14日~16日のわずか3日間の間に放出した量」がチェルノブイリ匹敵またははるかに超えるデータが開示されていて、建屋が青天井になって大気中に放出した量と、圧力容器も格納容器も穴があいて色々な道筋で海水に放出された量が、想像を絶していて、その結果として、1月にNHKスペシャルでレポートされ、2月5日にその再放送があった「海からの緊急報告」「いま水の中で何が起きているか」【▲第一原発直近の海底のベクレルほどにはなっていないが、20キロ圏内の海底土・底魚のベクレル=沿岸流によって溜まる場所の海底土・底魚のベクレルの「海のホットスポット」が既にできており、180キロ圏にも海底土もどんどん汚染が拡大し、沈殿しており、▲同様のことは、空中から飛散し山林に雨で降って吸い込まれた放射性物質が、群馬・赤城大沼のように山の湖沼に流れ込み、湖沼から流れ出る川がないところはワカサギもイワナもヤマメも、釣りも観光も禁止・規制されるくらいのベクレルとして起きており、▲同様に東京湾に流れている河口付近の底土でベクレルがどんどん上がっており、そこから東京湾が2年2カ月後がやばいらしいという計算値が、原発事故後1年も経過していない時点で出ている、▲こした結果として、食物連鎖で内部被爆が不可避に出てくる、▲それは放射能だから子子孫孫の被曝症状=「時限爆弾」がチップとして埋め込まれているということであり・・・・・】・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 にもかかわらず、政府・東電(電力資本)は、一点、原発再稼働・原発輸出のために、あり得ない『事故収束』を宣言した。

 ▲公開されたグチャグチャ、の建屋内の画像や、

 ▲内視鏡で覗いた炉内状態(高温、水蒸気がすごく、水蒸気以上にシャワー式注水が冷却注水が必要なところに注がれず、ざんざん降りの雨のようになっていて、中の状態がまったくわからず、僅かに判明したのは、「4メートル50センチ以上の水位だから、低温冷却は安定」と説明されていた水位が4メートル以下しかないこと)、

 ▲・・・・だから、「40度cで安定的推移だから低温冷却」と言われていた温度が、ここ数日75°cに上昇し、注水量を増やしている事実、

 ▲その結果は、必然的に放射性物質の汚染水があふれかえり、配管の隙間や空いた穴からどんどん漏れ出し、あふれて、大量に拡散していくことになる・・・・

炉内高温化も水蒸気も爆発の危険をたかめており

それをごまかし、のりきるための注水頼みは放射能汚染水の量をますますかさ上げし、どこにもキャパシティ上貯蔵できなくなり、海水に放出して行く羽目になる

  という話だ。「事故収束」など誰も信じない。

政府・東電に責任を取らせる!フクシマ先頭とする私たちの怒りと力で全原発の停止・廃炉へ!

★ハッキリしているのは、政府、原子力安全保安院、原子力安全委員会、東電・電力各社や財界、その擁護にこれつとめる「原子力ムラ」の御用学者・御用専門家には「事故収束」や「廃炉」は何も期待できないということだ。私たちがすべての知見と英知と経験と技術を結集して、収束と廃炉のために行動するしかないということだ。

 政府・東電・財界・企業等の連中がすべきこと、連中に私たちがとらせ果たさせなければならない責任とは、すべての情報を全部公開し、原子力とカネのために蓄えている設備・機器・先端技術・装置を全部、事故の収束と全原発の停止、廃炉と私たちが生き延び生き抜くために吐き出し、国と電力資本の中枢が原発によってしこたま大儲けしてため込んでいるすべてのカネを賠償・補償、地域再生のために全部吐き出すことだ。

 ★政府・電力資本・財界がすべきことをやらせたうえで、後は私たちがやる。私たちが人間として生きていくことができる社会、誰もが幸せになる社会は原発をなくすことなしには訪れない。

全54基中、いま運転・稼働しているのはわずかに3基だ。大飯原発再稼働を絶対に阻止しよう。4月全原発停止に追い込んで「原発が運転していない」状態をつくりだすことはすべての原発をなくす第一歩だ。

 福島第一原発事故事故以来、停止している全国の原発で「再稼働」の突破口に野田政権は大飯原発再稼働をすえた。前記の通り、福島原発事故が危機的悪化情勢の真っただ中にあり、福島200万県民が険しい苦難の中で怒りの声をあげているときに、そしてこの福島原発事故と怒りのフクシマと全国の反原発・脱原発の声がゆえに「停止」状態に追い込まれてきた政府・財界が、ストレステストの評価にIAEAまで呼び込んで、再稼働に舵をきるなど絶対に許さない。

 54基中3基しか稼働していなくても、電力に不足は生じていない。ゼロ稼働でもそのことが完全に明らかになる。原発はいらない! 1基も残さず、まず停止させ続けよう。

全原発の停止・廃炉、放射能から子どもたちを守れ、ふるさと福島を返せ!

3・11郡山開成山球場「原発いらない!福島県民大集会」に全福島全国から総結集しよう!

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『子どもたちのチェルノブイリ』抜粋・連載【第22回】月の光の中で

2012年02月06日 | 『子どもたちのチェルノブイリ』連載

 抜粋による連載(第22回)

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた<o:p></o:p>

 -子どもたちのチェルノブイリ-<o:p></o:p>

 (梓書院:19956月初版一刷発行。菊川憲司訳。チェルノブイリ支援運動・九州監修)<o:p></o:p>

           【第三章   これもだめ、あれもだめ <o:p></o:p>

 月の光の中で<o:p></o:p>

 ナタ―リア・ビノグラードバ(女・十六歳)

第三中等学校十年生  ルニンツァ町<o:p></o:p>

 八歳の私には、私たちを襲った不幸を完全には理解できなかった。 

事故について初めて知ったのは、二日たってからだった。そのときはそんなに恐ろしくもなく、自分たちの国で反区手、他の国の出来事だと思った。私たちはチェルノブイリ原発がすぐ隣にあるとは思ってもいなかった。<o:p></o:p>

 日を追って、テレビやラジオで不安な情報がどんどん入ってきたが、もっと多かったのはいろいろな噂だった。私の幼い心に初めて恐怖が生じたのは、母がある時仕事から帰って来て、どうやら町から避難させられるらしいと泣きながら話した時だった。<o:p></o:p>

 私は、まだその意味が分からなかったが、母が泣くのは何か怖いことが起こったということを意味していた。その時に私の心配のない幼児期は終わった。土の上に座ること、はだしで草地を歩くこと、畑でそのままイチゴを食べること、日光浴をすることは、すべてしてはいけないことになった。毎日、禁止事項が増えていった。<o:p></o:p>

 私は翌病気をするようになった。以前は「悪い」血液の病気や甲状腺肥大といった病名を聞いたことがなかった。しかし、統計報告には、私たちの町の住民の健康状態に異常はなく、心配されるようなことは何ひとつないと、まったく事実と違うことが書いてあった。最近では、診療所に行けば、患者が増えていることが一目でわかる。単純な風邪もひどくなりやすく、死亡にいたることが度々起こるようになった。<o:p></o:p>

 毎年夏が来ると、家庭で大きな問題になるのは、子どもをどこで療養させるかということである。最初のころは出かけることがうれしかったが、だんだんいやになってきた。家にいたくてたまらない。誰かにしばられ、急いでどこかに行くこともない。決められた時間になると食堂に走り、与えられるものだけを食べ、すべて日程表通りに行動する。こんなのはいやだ。ここはこんなに美しい町ではないか。静かで平和だ。そばにはすばらしい森、プリピャチ川、すばらしいベ―ロエ湖がある。よい休暇を過ごすためにはまだ何が必要だというのか。ところが、すぐ目の前には汚染ゾーンがある。<o:p></o:p>

 一九九一年九月、学校が、ドイツに私を送ってくれた。私はそこに二十七日間滞在した。たくさんのものを見、たくさんのことを知った。バルチック海と小さな町へリングスドルフで休暇を過ごした。この町は美しく、清潔な町だった。私たちは泳いだり、日光浴を楽しんだり、遠足にも出かけた。私たちのグループはこの町の小学校を訪れ、そこでドイツの教育システムについて興味深いことをたくさん知った。しかし、何よりも思い出に残っているのは、星を見に行った時のことだ。小さな天文台には天体望遠鏡があり、それで月を観察した。そして初めて、写真ではなく自分の目で、間近に人工衛星を見た。 

もちろん、この旅行は私にとって、忘れがたいものとなった。私はつい最近まで敵だった人々の生活や文化を知った。私の祖母はドイツの強制収容所の捕虜だったのである。祖母はむりやりドイツに連れて来られたのだが、私はそこに休暇をとり、療養に行く、なんと矛盾したことだ。私と同じように星を見るのが好きな言い人たちが、私を受け入れてくれた。彼らは私たちのこと、私たちの健康を非常に心配してくれた。すべてがすばらしかった。しかし、私の故郷の町のほうが楽に息ができる。たとえ放射能で空気が汚染されていても。

  私たちが不幸に見舞われたことを知ったあの忌まわしい時から、八年がたった。時は最良の医者であり、苦痛は少し和らいだ。親たちから教えられた禁止事項を、少しずつ忘れようとしている。だが私には忘れられない写真がある。全員が立ち退いた村だ。家の窓は破れていた。一人ぼっちのコウノトリだけは自分の巣を離れられない。そのすぐそばには、「居住禁止」の立て札が立っていた。私は泣いた。時間が止まったように感じた。むしょうに叫びたかった。「チェルノブイリよ。お前は何ということをしたのだ」と。 

神様、私たちに大きな苦痛をもたらしたチェルノブイリの悲劇が、再び起こらないようお願いします。太陽が輝きますように。どんな禁止事項も知らないで、子どもたちがほほ笑みますように。お母さんたちが、もうこれ以上、嘆かなくていいように。

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資料:放射線被曝:呼吸器系疾患の初期症状(日本語訳)

2012年02月04日 | 日記(メモ・覚書・資料・所感その他・・・

  記録的な寒気団の襲来と長期間の居座り、豪雪・・・・、その束の間のように今日は東京もカラカラ乾燥状態は変わらずとも日差しは久しぶりに温かい日中でした。こうした気象を繰り返しつつ、やがては春になります。今日は暦の上では立春です。

  さて立春と言うと身構える人も多いはず。早い人は1月にも始まっていますが、そうです。花粉!花粉症です。花粉症と言えば、マスクですが、数日前のテレビ報道によれば、今年は放射性セシウムを吸着することで呼吸を通しての内部被爆をできるだけ軽減・緩和・抑制しようというマスクが売り出され、あっという間に欠品、店頭で入手するのが難しいとのことです。

 飛散する花粉と一体化した放射性セシウムに今年は、日本全国どこにても要注意です。

 折も折、そんな呼吸器系統と放射線被曝の問題についてのサイト記事がありました。放射能防御プロジェクトの木下黄太さんのサイト

            http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927

に紹介された『呼吸器疾患の初期症状』というニューヨーク科学アカデミー刊行の小論文の翻訳文です。

 福島第一原発事故直後に、福島県内各地、さらに首都圏や湘南地域で、同じ時期、たくさんの子どもたちに広範に発生した鼻血症状について、母親が「原発事故のせい」「放射能のせい」と不安と危機感を抱いていた時、原発御用学者や放射能擁護専門家、政府やマスコミは「過剰反応」「原発事故とは無関係」と被曝の影響を頭から否定してかかりました。

 この鼻血症状と今春の飛散花粉の危険性の認識にとって、重要と思われる科学的指摘なので、以下に転載します。

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呼吸器系疾患の初期症状(日本語訳)

Annals of New York Academy of Science (2009)
P.92

5.5 呼吸器系疾患


              ・・・・・・・・・・・・Terry Yabumoto訳・・・・・

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 チェルノブイリからのフォールアウトによって汚染された地域では、いたるところで呼吸器系の罹患が著しく増加している。鼻腔、喉、気管、気管支、肺などの呼吸器系の疾患は、放射線による影響の中でも、明白なる最初の影響であり、(症状は)鼻血や喉の刺激感から肺がんにまで及んでいた。
 
 ホット・パーティクル、別名 ”チェルノブイリ・ダスト” は、溶融した核燃料に由来する放射性核種と共に、金属の建造物や、土壌、etc.からの微粒子をも含んでいた(詳細は第1章参照)。これらの微粒子は、ウラン酸化物の低可溶性のゆえに、長期間にわたって肺の組織内に残存するのである。事故につづく初期の何日かの間において大人の口、喉、気管などの呼吸器系におこった諸症状は、基本的に、放射性核種がガスあるいはエアロゾールという形態であったこと関係していた。
 この初期の期間においては、I-131、Ru-106、Ce-144が呼吸器系に最も深刻な影響を与えた(IAEA, 1992; Chuchalin et al., 1998; Kut’kov et al., 1993; Tereshenko et al., 2004)。さらに、ホット・パーティクルと外部被ばくによって、呼吸器系疾患にさらなるダメージが引き起こされた。それは、また、免疫系やホルモンが変化したことも影響している。最も小さなホット・パーティクル(<5μm)は、容易に肺の最深部まで到達し、いっぽうそれより大きな微粒子は、肺より上部の呼吸気道でトラップされたのである(Khrushch et al., 1988; Ivanov et al., 1990; IAEA, 1994)。
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原発再稼働絶対反対!すべての原発を廃炉に!
放射能から子どもたちを守れ!
ふるさと福島を返せ!

★3月11日 原発いらない!県民大集会

12時半:開場 13時:開会 郡山市開成山球場

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(JR郡山駅からバスで市役所下車)

(呼び掛け人)

青木千代美(県女性団体連絡協議会長)
大石邦子(エッセイスト)
小渕真里(アウシュヴィッツ平和博物館長)
片岡正彦(弁護士)
熊谷純一(県生協連会長)
玄侑宗久(作家・福聚寺住職)
清水修二(福島大副学長)
山崎捷子(国際女性教育振興会長)"

 集会終了後:市内デモ

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