・・・・・・・今回は第二回目、《ろ》です。
ろうどうしゃ(労働者) 団結にまさる武器はなし
2011年は、4月に統一地方選挙が実施されます。戦後半世紀の自民党支配の歴史的崩壊となった2009年8月30日衆院選、自民党にとってかわった民主党の大敗となった2010年7月11日参院選に続いて実施される4月統一地方選は民主党政権に政府を引きずり倒す大打撃を与え、民主党-連合政権にしがみつくしか政府カードのない日本の支配階級の国家統治の絶望的破たんを完膚なきまでにあばきだすものとなります。政府、議会、既成政党にはもはや誰も信を措いていません。労働者人民は職場・工場、地域、街頭で直接に自身の怒りと意思を表明する以外にこの腐りきった政治を変え、社会を変えることはできません。
労働運動、労働組合の闘いがいっさいを決する時代
とりわけ労働運動であり労働者の団結です。既成政党や既成労働組合指導部の裏切りによってどんなに無力化し弱体化しているように見えても、この社会の行方は労働者階級が握っています。労働者が腹をくくり、団結して立ち上がり、いっせいに生産を止めた時、社会は止まり、地域は止まります。政府をたおし、資本家にとってかわり社会を運営していく力が実際に社会の仕事を担っている労働者にはあります。2011年は、日本の労働運動の歴史の中でも特別の意味を持つ、歴史の分岐点をなす年になります。核心は、闘う労働組合を強力に復権し、労働運動を再生するのか、闘う労働組合への解体・圧殺をゆるし労働運動を潰滅・一掃され戦前のような産業報国会・翼賛運動の道を開くのか、です。不屈に立ち上がるなら、後者の道が繰り返されるなどあり得ません。
2000万人の労働者を路頭に放りだし、職場・工場の9割の労働者を低賃金・不安定雇用の非正規職に叩きこむという日本経団連が言っている支配階級の戦略は、一点、連合や全労連といった既成の労働組合運動指導部の屈服と翼賛化よって支えられているに過ぎません。クビきり・賃下げ・社会保障解体・増税の攻撃の中で、今日明日生きること、今日明日生きるために今日明日働くこと、そのために労働者がひとたび反乱に決起するならば、ただちに政府と資本主義の生産秩序を根幹から揺るがす労働者階級のゼネストと大規模反政府闘争に発展しかねない、労働者をめぐる情勢はそういう歴史的な分岐点に至っています。現にギリシャ、スぺイン、フランス、イタリアをはじめヨーロッパの闘い、韓国の闘い、中国、インドやバングラデシュの決起が示しています。チュニジア、エジプト、イエメン、ヨルダンはじめアラブ諸国でドミノ倒しのように燃え上がっている軍事独裁政権打倒の闘いもそうです。労働者階級人民は、生きるためには必ず決起し、内乱を辞さず反乱に立つということです。
日本は例外ではありません。菅民主党政権、日本の政財界が今開始している攻撃・・・・職場・工場の労働者の9割を時給800円そこそこのパート・アルバイト、派遣・契約社員、「クビきり・賃下げ自由の低賃金不安定雇用の非正規職に突き落とすことで利潤を確保し延命しようとする資本攻勢は、凶暴そのものですが体制の存亡のかかった絶望的な攻撃です。一つ間違えれば自らが打倒される・・・支配階級自身がそのことを一番知っています。
だから、労働運動、労働争議の根絶・一掃を賭けて国鉄1047名解雇の政治決着=2010年4・9大反動に踏みきってきました。闘う組合活動家を狙い撃ちにした日航整理解雇強行も同じです。この2011年、1月24日開会された通常国会に「協約締結権の付与と労使交渉による賃下げ・クビきりの自由化」のための公務員制度改革とそのための公務員庁創設法案、公務員の労働関係関連法案を上程してくるのもそのためです。360万人の公務員労働者の全員いったん解雇、総非正規職化を公務員労働運動の解体で強行してくるということです。
最大の攻防点、激突点はどこにあるのか?国会か?政労使交渉か?日本国憲法とILO勧告の遵守を求める訴訟か?違います。そんなところで労働者階級の命運、労働者階級の今日明日が決まるわけではない。生首が飛ばされ、賃金引き下げが強行されるのは職場・工場です。そこで資本のクビきり・賃下げ・無権利化に対して団結して闘うかどうか、その労働者の団結そのものをめぐって闘いの火花が散り、血が流れる闘いが職場・工場、地域、街頭で、また絶対反対を掲げた選挙闘争で闘われるのです。2011年4月統一地方選挙闘争の激突点も、どの政党が多数議席をとるのかではなく、絶対反対でストライキで闘う労働運動・労働組合の前進にこそあります。
私たち労働者にとっての最大の武器は、ほかならぬ私たち自身、労働者自身の団結です。労働組合とはそもそも労働者の生きんがための闘いの武器として労働者自身が資本や権力との血みどろの闘いの歴史を通して闘いとったものです。その労働組合の階級的歴史的意義の復権を賭けて、この2011年の闘いは闘われます。2011年、今後の未来を決する攻防のキーワードは、《団結》であり、《ストライキ》です。労働者はストライキにたちあがることによって自らが社会を動かす主人公であり、労働者の団結こそが社会を変える力であることを自他に明らかにするのです。労働者のストライキには革命のヒドラが宿っています。この労働者の底力をこそ支配階級は恐れています。
2011年、いま、この《団結》と《ストライキ》が激突点となっていることは、政府が「賃金引き下げのために労働者に協約締結権を与え、労使交渉で労働条件等を決定する」仕組みを法制化し、「争議権=ストライキ権は付与しない」と公務員制度改革法の政府案を決定したことに、すべてが明らかです。政府、政財界、支配階級は、ストライキで闘う労働組合を恐れています。
連合が、「労使交渉によるクビきり・賃下げの決定」の攻撃で政府・財界、支配階級のパートナーとなっていることは闘う労働者にとっては完全に明らかになっている周知の事実です。
もう一つ画然と明らかにしなくてはならないのは、労働者のストライキ決起、資本との労働者の非和解的対決に敵対する最大の抑圧者として日本共産党が果たしている役割です。国鉄1047名闘争の金銭和解・政治決着で日本共産党は政府・JRの先兵の役割を果たしています。日航整理解雇強行に対する緊急ストライキを「法廷闘争」の名で妨げ、ストライキをたおしたのも日本共産党です。
「団結」ではなく「共同」を強調し、労働組合のストライキ決起には必ずスト圧殺に奔走する日本共産党
政府は公務員制度改革法案とともに、2010年人事院勧告によるマイナス勧告では届かない政権公約「国家公務員総人件費2割削減」の不足分をさらなる賃下げで補う特例法案を上程しようとしています。公務員制度改革によるクビきり・賃下げの自由化、360万公務員労働者クビきり、総非正規職化の攻撃をめぐっては、不可避に公務員労働者のスト権奪還を含むクビきり・賃下げ反対のストライキ決起が激突点、対決点となって燃え上がります。
この最大の決戦局面で日本共産党は、必ず労働者の団結、労働者のストライキ決起に対する圧殺者、最大の妨害・敵対者として行動してきます。
そもそも日本共産党は、「協約締結権付与」を「労働基本権回復の闘いでの大きな前進への一歩」(2007年10月20日しんぶん赤旗《主張》)という認識と立場を表明してきました。「賃下げのために公務員に協約締結権を与える。今後は労使交渉で公務員の労働条件(切り下げ)を決定する」という支配階級の攻撃を当時の自公政権、いまの民主党政権の共犯者として「労働基本権の回復の一歩」とごまかし続けてきたのが日本共産党です。だから日本共産党も全労連も公務員制度改革には絶対に「絶対反対」「断固阻止」とは言いません。「資本と非和解的になるようなことをしては絶対にならない」「ストライキやゼネストは絶対にしてはならない」ということが日本共産党の党是となっているからです。
公務員労働者のストライキ決起をめぐって日本共産党はどのような階級的態度を現すかは次の三つの歴史的事実を重々確認しておく必要があります。
① 労働組合の相次ぐ結成と工場・職場での生産管理で戦後革命が最大の決戦に至っている中で、決定され決行に突き進んでいた1947年2・1ゼネストでGHQの「ゼネスト中止命令」に屈して、「米軍は日本の民主化の解放軍」とする声明のもとにスト決行前夜にたおし、中止した。
② 1964年春闘で4・17ストライキを「米日反動の謀略的挑発」と規定してたおし、中止した。
③ B52即時撤去を求める全軍労を先頭とする1969年2・4沖縄全県ゼネストを「施政権返還が遠のく」として、たおし中止した。
つまり日本共産党は、労働者、とりわけ全労働者の決起にとって公務員労働者の決起が決定的なカギをにぎる局面で、非和解的な激突が必至となる情勢でことごとくストライキを圧殺する裏切り者、政府支配階級のスト破り、スト切り崩しの手先となってきたということです。
労働者の団結を否定・・・・日本共産党は、「資本主義の枠内での改良」「ルールある資本主義の運営」の党であり、そのために党綱領から「労働者階級の党」を削除し「国民の党」と綱領改正を行い、最近では「団結」という表現すら回避し、「共同」に置き換えています。「団結」と表現すれば、それはとりもなおさず「労働者の団結」、資本家階級との労働者階級の階級闘争になってしまうからです。支配階級のクビきり・賃下げに対しても「反対」とは決して態度表明せず「よりよい改善の提案」「ルールに基づく民主的解決の要求」に終始しているのと一体で、《労働者の団結》そのものの抹消・否定にかかっているのです。「労働者の団結」なき「共同」とは何か?政府与党との「共同」であり財界・企業との「共同」以外の何ものでもありません。
労働組合と一線画す・・・・一群の公務員制度改革法案と一体の双子の今国会大反動法案である「子ども・子育て新システム」=「幼保一体化・こども園法案」をめぐっては、保育労働戦線が日本共産党にとっての「拠点」であるにもかかわらず、そこにクビきり・総非正規職化の大攻撃が加えられているのに、決して「反対」とは言いません。公務員制度改革法案に対して「反対」と言わず「共同による民主的公務員制度の確立」を要求しているのとまったく同じで「よりよい保育をめざす共同」と言っています。民主党枝野幹事長との市田共産党書記長の「応酬」では「国家公務員法改正をめぐっては国家公務員労組と日本共産党とはまったく無関係」ということを異様に強調し、公務員攻撃をめぐる労働組合の攻防の土俵の外に自党を逃すことに汲々としている始末です。幼保一体化で保育所が保育労働者にとって一歩も譲れない非和解的攻防の激突点となるやそれまでキャンペーンを張り議会質問でも強調してきた「こどもの命」の問題をいっせいに投げ捨て、そこから脱兎のごとく逃げ出しています。これは公務員制度改革や幼保一体化=民営化に対して闘わず逆に労働者がストライキで決起することを政府支配階級と一緒になって阻止し抑圧し妨げるということです。
公務員攻撃との激突の中で、日本共産党が労働者の敵であり、政府支配階級の回し者として立ちまわることは100%不可避です。現にそのように行動しています。2011年、日本共産党の敵対をうちやぶって公務員労働者のストライキ決起をかちとろう。その闘いの中で労働者の団結、労働組合をよみがえらせよう。