すぎなみ民営化反対通信

東京・杉並発。「一人が万人のために、万人がひとりのために」をモットーに本当のことを伝え、共に歩んでいきたいと思います

『子どもたちのチェルノブイリー』抜粋・連載を終えて・・・・50回のバックナンバー一覧 

2012年09月21日 | 『子どもたちのチェルノブイリ』連載

前回記事で50回連載を終えました。これまでの50回のバックナンバーの各タイトルと記事の投稿日付を一覧で掲載します。

『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた

ー子どもたちのチェルノブイリー』

抜粋による転載50回記事のバックナンバー一覧




≪第一章≫ 突然の雨

第1回・子どもたちを助けてください 2011.11.13

第2回・喜びは幼年期に置いてきた 2011.11.14

第3回・母のもとに六人残った 2011.11.16

第4回・チェルノブイリの黄色い砂 2011.11.21

第5回・空が急に暗くなった 2011.11.24

第6回・家のそばの花 2011.11.26

第7回・ハッカの匂いがした 2011.11.29

第8回・ベラルーシにかぶさる黒い雨雲 2011.12.01


≪第二章≫ ゾーン、埋められた村

第9回・死のゾーンはいらない 2011.12.06

第10回・根が切り取られたのがくやしい 2011.12.07

第11回・ドミトリーおじさんのゾーンでの話 3011.12.09

第12回・ベラルーシの運命は私の運命 2011.12.12

第13回・殺されるまぎわの馬の悲鳴 2011.12.14

第14回・ぼくの血の中のチェルノブイリ 2011.12.17

第15回・ぼくのコウノトリはどこにいるの 2011.12.23

第16回・灰の下に 2011.12.26

第17回・ジェミヤンキ村との別れ 2012.01.07



≪第三章≫ これもだめ あれもだめ

第18回・心に秘めた願望 2012,01.13

第19回・母と私と祖父の友人 2012.01.20

第20回・空に鳥の震えるような声を聞く 2012.01.23

第21回・最後の授業のベル 2012.01.27

第22回・月の光の中で 2012.02.06

第23回・わたしのかわいいチュウリップ 2012.02.24

第24回・ぼくの町へ帰りたい 2012,02.29


《第四章》  わたしは生きる

第25回・茶サジ一杯のヨウ素 2012.03.01

第26回・わたしにふるさとを返して 2012.03.14

第27回・わたしは明るくふるまう 2012.03,23

第28回・わたしは生きる 2012.03.26

第29回・スペトラ―ナちゃん 2012.04.09

第30回・森にカッコウが鳴いていた 2012.04.14

第31回・みんな春の雨を喜んだ 2012.04,16

第32回・暗い夜になる前に 2012.04,21



《第五章》 時限爆弾

第33回 チェルノブイリのジレンマ 2012.04.25

第34回 わたしはすべての子どものために書く 2012.04.26

第35回 時限爆弾 2012.05.01

第36回 聖なる大殉教者 2012.05.03

第37回 永久に続くのだろうか 2012.05.12

第38回 ゾーリカ・べネーラの歌 2012.05.14

第39回 鏡さん はなしておくれ 2012.05.17

第40回 チェルノブりとは・・・・ 2012.05.21

第41回 苔、ああ苔! 2012.05.29



《第六章》 森よ、河よ、草原よ・・・・

第42回 二つのひまわり・・・・二つの太陽 2012.06,04

第43回 わたしはどこから来たの 2012.06,10

第44回 地球の生きている花 2012.07,09

第45回 ぼくは思い出す 2012.07,09

第46回 ニガヨモギの香気 2012.07,24

第47回 子どもたちみんなに頼みたい 2012.08,05

第48回 小麦の種をまくのが夢だ 2012.08.07

第49回 エコロジーの鐘が鳴る 2012.08.15

第50回 わたしたちの涙で雪だるまが溶けた 2012.09.18



※ すぎなみ民営化反対通信の2014年11月のサイト引っ越しに際しては、前掲50編の作文のほとんどで文中挿間されている「書いた子どもたちの写真」、「挿絵・写真」と「絵解き」について、引っ越しに伴う再編集で割愛しました。また、サイト引っ越しに伴う作業では、『子どもたちのチェルノブイリ』抜粋・連載の記事の前に載せた反原発デモや関連ニュースの記事も削除するか、別記事として分離して立てなおすかしていて、抜粋・連載記事とそれらの記事が併存している状態の記事はできるだけ少なくしました。カテゴリーは、『子どもたちのチェルノブイリー』抜粋・連載の1本にしました。リニューアル前のサイトでお読みの方で、引っ越し・リニューアル後にサイトを訪れてくださった方は記事の変更に気付かれることと思いますが、抜粋・連載の内容は、前記の写真・挿絵・絵解きの割愛を除いては、全文元のままです。できれば、ぜひ、本そのものをお求めいただき、子どもたちが書き、この本に挿絵として載っている絵や、写真や資料もお読みいただければと思います。
3・11福島原発事故の25年前に爆発したチェルノブイリ原発事故と当時の子どもたちのその後の25年は、福島の子どもたちが、今後いかなる険しい試練に外部被ばく・内部被ばくによってさらされ、生きていかねばならないのか、逃れ難い健康被害、被ばく症状と命の問題を示しています。むしろチェルノブイリ以上という困難を、このかんの小児甲状腺がんの発症数は示しています。避難・保養・医療はこんごますます重要な闘いになります。私たちは、3・11フクシマをなかった話にすることはできません。福島に向き合い、共に生き抜き、原発とも被ばくとも闘っていかねばなりません。『子どもたちのチェルノブイリ』の抜粋・連載記事が、そのささやかな一助になればと願ってやみません。

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『子どもたちのチェルノブイリ』連載【第50回】わたしたちの涙で雪だるまが溶けた

2012年09月18日 | 『子どもたちのチェルノブイリ』連載
 >今日が抜粋連載(50回シリーズ)の最終回になります。この今回抜粋した作文の表題「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」が、抜粋・転載した本のタイトル『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(副題ー子どもたちのチェルノブイリー)』となっています。抜粋・転載しながら思ったことは、チェルノブイリとは文字通り、今日明日の、また数年後、10年後、20年後、25年後・・・のフクシマであることであり、また数年後、10年後、20年後、25年後・・・のフクシマとは既に現れているチェルノブイリだということです。フクシマが直面・対峙している現実と未来に、フクシマを共有して立ち向かわねばなりません。原発・核は絶対になくさなくてはなりません。涙が流れて止まらない、その涙を振り払って私たちが固く誓い、約束し、立ち向かい果たさねばならないことは、この責任です。

 この重い現実と切迫した課題が眼前にありながら、本当に許しがたい事態が政府財界によって引き起こされています。野田政権が「脱原発」「2030年代原発ゼロ社会をめざす」と言いながら、「原子力規制委員会で安全性が確認された原発はすみやかに再稼働する」「新規増設はしないが建設中の大間・東通・島根原発は建設を再開する」「もんじゅは継続する」「核燃サイクルは継続する」としていることです。「革新的エネルギー・環境戦略」とは、性懲りもなく再稼働を積極的に推進し、原発推進の原子力政策をとことん進めるというものです。これが3・11福島原発事故をひきおこした政府財界が進めようとしていることです。被曝労働でどれだけの労働者を殺すことになろうが、放射能でどれだけの子どもたちが今後何十年にもわたって殺され続け、病に襲われ続け、未来を奪われ続けようが、「いのちより原発」「命よりカネ」「命より原子力・安全保障」が第一だというのです。絶対に許すことはできません。命の叫びを「音」としか感じず、無視してよしとする政府は、労働者を先頭とした命の反乱によって倒されなくてはなりません。チェルノブイリはソ連崩壊の導火線となった。怒りのフクシマと人々の命の反乱は原子力(原発と核)を命に勝る国策とするこの国を必ずや瓦解・崩壊させるものになります。そうしなければなりません。



 ★連載(最終回)★  

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた
-子どもたちのチェルノブイリ-


梓書院:1995年6月初版一刷発行。菊川憲司訳。チェルノブイリ支援運動・九州監修

抜粋による連載(第50回

【 第六章   森よ、河よ、草原よ・・・ 】

私たちの涙で雪だるまが溶けた

        イ―ゴリ・マローズ(男)第四中等学校十一年生 シュクロフ町

 
祖母の住むマリノフカが汚染のひどいところだということを、当時はまだ誰も知らなかった。そこにはずっと昔から、野生のナシの木があった。いつごろからあったのか誰も知らなかったが、それは祖母の庭に生えていた。

その夏、マリノフカには、すでに放射能が舞い降りていた。しかし人々は、これから恐ろしい不幸が起こるなどとは予期していなかったし、誰もこの古い大木にも死の兆候があらわれているなど、思ってもみなかった。

その木は、庭のほとんど三分の一を日影にするので、村の人たちは何度もこの木を切り倒すよう祖母に助言した。しかしその都度、祖母は断り、こう言った。「そんなことしちゃだめなんだよ。その昔、この木の下に、罪のない女の子の血が流されたんだから」と。

遠い昔の農奴の悲しい死の伝説を知っている人はたくさんいたけれど、みんながそれを本当のことだと信じていたわけではない。だけど私の祖母は信じていた。この驚くべき古木は、祖母にとっては聖なるものなのである。

僕のいとこのナジェージュダは、このナシの木が好きだった。その年の夏休みにも彼女は祖母のところにやって来た。その夏は、蒸し暑く、沈んだ雰囲気だった。でもおばあちゃんのいるマリノフカは、とても美しかったし、広々としていた。ナジェージュダは夏中、祖母の菜園に滞在し、種蒔きなどの手伝いをした。また彼女は森へ行って、イチゴやキノコを集めたり、近くの川で日光浴や水遊びをしたりもした。

ある日、地区の何だかえらい人が来て、「村の土や水や空気はとてもきれいであります。ここには安心して住んでいただきたい」と言って帰って行った。だから村人たちは安心して住み続けた。

大きく枝を張り、葉を茂らせたナシの木の下で、ナジェージュダは水彩画を描いた。彼女は画家になることを夢見て、美術研究所で勉強していた。彼女はその夏、とても美しくなった。十五歳だった。少女からレディになった。彼女は日記を書き始め、そこには秘密の想いや印象を書き残した。しかし、この日記には、その後腫瘍専門病院での苦しみが書かれることになる。彼女の日記に書かれたことは全て、言葉では言い表せられないほど、僕を揺り動かした。とりわけ最後の十日間分の内容はそうだった。何という希望、生への渇望、人間的な尊厳だろうか。何という悲劇、取り返しのつかない災いを感じていたのだろうか。今、この日記は僕の手元にある。僕はこの勇気と真の崇高さが記されたナジェージュダの日記の、最後の数日分をここに紹介したい。

三月一日 
 第十二号室の男の子たちが、春のお祝いを言いにやって来た。病室には、もうすぐ春が来るというのに、不幸な私や男の子たちがいた。通りにはまだ雪が残っていて、彼らは雪だるまを作り、病院の大きなお盆にのせて私たちの病棟に持って来てくれた。雪だるまは素晴らしかった。それをつくったのは、と―リャに違いない。彼は彫刻家を夢見ていて、いつも粘土で何かを作っているから、彼は化学治療のあと、ベッドから起きることを今日ゆるされたばかりだ。トーリャは、みんなの気分を盛り上げようとしたのだ。「だって、春が始まったんだから!」その雪だるまのそばにはメッセージがあった。「女の子たちへ。みなさんにとって最後の雪です!」と。「なぜ最後なの?本当に最後なの?」私たちは、ひとりまたひとりと泣きながらたずねた。 雪だるまは少しずつ溶けた。それは私たちの涙で溶けてしまったように思えた。

三月二日
 今日おばあちゃんが来てくれた。大好きな、大切なおばあちゃんだ。彼女は私の病気の原因が自分にあると思っている。おばあちゃんに大きなナシの木の伝説を話してとお願いした。その大木の下で空想するのが好きだった。だけど、そこはチェルノブイリ事故の後は大きな原子炉になったみたいだった。
 絵に描くためにおばあちゃんの話を細かいところまで漏らさないように聞いた。おばあちゃんは静かに穏やかに話し始めた。
  「昔々、農奴制があったころのことでした。金持ちの領主が、貧しいけれど美しい娘を好きになりました。そして力づくで娘を城に連れてきたのです。マリイカは―この娘の名前ですが―ずーっと城の中で泣き悲しんでいました。ある日、この悲しい娘は、鍵番の青年の手助けで、彼と一緒に城の領主のもとから逃げることができました。しかし、領主の使用人たちは、隠れるところのない草原に彼らを追い詰めました。無慈悲な領主は激怒して叫びました。『おまえが俺のものにならないというのなら、誰のものでもなくしてやる』と。領主はサーベルで娘に切りつけると、その不幸な逃亡者は大地に崩れるように倒れました、その罪のないマリイカの血が流れたところに、美しい野生のナシの木が生えたと言われています。・・・・・・これが私がずっとナシの木を守って来た理由なのよ。でも今はな、ナジェージュダちゃん、もうこのナシの木はなくなってしまったの。どこからかクレーン車が来て、このナシの木を根っこから引き抜いてしまったの。ナシの木があったところには、セメントが流し込まれ、何かのマークがつけられたの。
 もうみんな村から出ていってしまったわ。私たちのマリノフカは、空っぽになってしまったの。死んでしまったのよ」
 おばあちゃんが帰るとき、私には頼みたかったことがあった。私が死んだら、墓地には埋めないでほしい。それが心配だ。美しい草原か白樺林がいい。お墓のそばにはリンゴかナシの木を植えてほしい。でもそんなことを考えるのは嫌だ!草にはなりたくない。生きなければならない。生き続ける!病気に打ち克つ力が充分にある。そう感じる!

三月三日
 できるかぎり痛みをこらえている。おばあちゃんの肖像画が完成した。お母さんが、この絵を見て感動し、「ナジェージュダ、おまえにはすばらしい才能があるんだね!」と言った。主治医のタチアナ先生は、私に勇気があったから治療も成功したと言ってくれた。元気づけられた。神様お願いします。持ちこたえ、生き続ける力をお与えください。お願いします。

三月四日
 医者はよくなっているというのに、どうして体力が落ちているのだろう。どうして急に病棟が騒がしくなったのだろう。点滴のあと、この日記を付けている。どうしてほとんど良くなっていないのだろう。同じ病気の友だち、ガーリャ、ピーカ、ジ―マが私を見るとき、何か悲しそうな目をする。今まで以上に同情してくれているのがわかる。彼女たちも同じような境遇なのに。わかった、誰も人間の苦悩を見たくないからだ。だがどうしようもない。ここの病棟は満員になっている。タチアナ先生の話では、三年前には、入院患者はほとんどいなかったそうだ。これらのことは全て、チェルノブイリ事故によるものなのだ。この不幸をもたらした犯人を、ここに連れて来て、この病棟にしばらくいさせたいものだ。自分のやったことの結果を見せつけたい。
 アンナ・アフマートバを読み始めた。「私は最後のときを生きている」というテーマで絵を書きたくなった。

三月五日
 一〇号室のワ―ニャちゃんが死んだ。大きな青い目をした金髪の男の子で、病棟のみんなから愛されていた。まだ七歳だった。彼はここに来る前に、ドイツに治療に行ったこともある。昨日、ワーニャちゃんは自分の誕生日のお祝いだからと、全員にキャラメルを配ってくれた。私たちもお祝いに病室に行ったら、とても喜んでくれたのに。神様、あなたはなぜ、みんなに平等に親切ではないのですか。どうしてワ―ニャちゃんが・・・・・・。何の罪もないのに。

  三月六日
 どんな痛みでも我慢できるようになった。お母さんがその方法を教えてくれた。私の胸に、病室の入り口に立ちつくす母親たちの姿を焼きつけることを考えついた。母親たちは、私たちより苦しんでいる。彼女たちを見ていると、我慢しなければと思い、希望を持たなければと思う。
 不幸を共にする仲間が、どんなに痛みと闘っているかを見たことがある。それは十五歳のボーバのことだ。母親は医者のところに走り、医者は彼に痛み止めの注射をする。薬の効く間だけ苦しみのうめきは止まり、泣き声はやむ。今後この少年はどうなるのだろう。私たちはどうなるのだろう。
 私が思うには、チェルノブイリの惨事は、人間の理解を超えたものの一つである。これは人間存在の合理性をおびやかし、その信頼を無理やり奪い去るものにほかならない。

三月七日
 今日、デンマークの人道的支援組織の人が来た。この病室にも、ふわっとした金髪の女性が入ってきた。とても美しく、魅力的な人だった。私のそばに座り私の頭をなでると、彼女の目に涙があふれてきた。通訳の人の話では、数年前、彼女のひとり娘が交通事故で突然亡くなったそうである。この外国のお客さんは、身につけていた十字架のネックレスをはずし、私の首にかけてくれた。子どもに対する純粋な愛は世界中の母親、みな同じであることを感じた。

三月八日
 今日は祝日。机には、オレンジ、バナナ、ミモザ、アカシアの花束が置いてある。それには、詩が書いてある美しい絵はがきが添えてあった。
   望みは何かというと
   あなたがよくなりますように
   あなたに太陽が輝きますように
   あなたの心が愛されますように
   あなたのすべての災難と不幸が
   勝利にかわりますように
 私たちはいつも健康と幸福を望んでいる。ただ勝利だけを。恐ろしい病気に打ち克とう。幸福はあなたのものだ。
 病院の講堂で国際婦人デーの集会が開かれた。トーリャと一緒に踊った。でもそれは少しだけ。すぐに目がまわりはじめるからだ。友だちが私たちは美しいペアと言ってくれた。

三月九日
 おとぎ話は終わった。再び悪くなった。こんなにひどくなったことは今までなかった。朝から虚脱感がひどく、けいれんが止まらないが、薬はもう効かなくなった。最も恐ろしいことは、髪だ。髪が束で抜ける。私の頭からなくなっていく。
 回診の時にタチアナ先生は、治療はもう完了したので、あとは自宅で体力を回復させなさいと言った。私は先生の目をのぞきこんだ。そして理解した。全てのことを。

三月一〇日
 おかあさんは私の好きなコートを持ってきてくれた。それを着れば私だってまだこんなにかわいいのに!私はやっと歩いて、病棟のみんなに別れを告げて回った。さようなら、みんな、私を忘れないでね!私もみんなのこと忘れないから!
 ナジェージュダは三月の終わりに死んだ。日記の最後はラテン語の「ViXi(生きた)」で結んであった。彼女は自分の人生で何ができたのだろうか。彼女は何を残したのだろうか。何枚かの風景画とスケッチと肖像画、それと大地に残る輝かしい足跡だ。
 みなさん。子どもたちの無言の叫びを聞いてください。援助に来て下さい。髪も悪魔もいらない。ただ人間の理性と優しい心だけが、痛み、苦しみぬいている大地を救うことができるのです。みんなで一緒になって初めて、チェルノブイリの恐ろしい被害を克服することができるのです。

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資料:山下俊一「放射能安全、福島原発事故の健康への影響なし」デマゆるすな  

2012年09月16日 | 日記(メモ・覚書・資料・所感その他・・・

 毎週金曜日行動で、現在行われている政府や福島県の対応とそれを正当化する御用学者・御用専門家の「放射能安全」キャンペーンを「これは殺人だ」と渾身の怒りをこめて弾劾し抗議しています。

 

20120914 UPLAN こどもの甲状腺癌の発見―福島疎開裁判文科省前抗議(4分40秒台くらいから福島のお母さんたちの訴えが続きます) 

http://www.youtube.com/watch?v=xxeZeFW6JAU

 今日の記事では、福島県で実施した甲状腺検査の結果、ついに福島で被曝した子どもに甲状腺がんの発症が認められるに至った重大事実に対して、原子力ムラの御用学者、福島医大の山下俊一副学長・鈴木真一教授らが「福島原発事故の影響ではない」「事故以前からのものと考えられる」と強弁し、「福島原発事故による放射能の放出による被曝はチェルノブイリの場合のような重大な健康被害をもたらすレベルにはない、健康に影響はない」と言いふらしていることに関連して、資料を二編、転載で掲載します。

 国と御用学者、御用専門家が言いふらし、流し続けている見解は、百%、実に許しがたいデマです。そのデマが目的とするものは、被曝した子どもたちが今どれほど危険な状態にさらされているか、今後数年後、十年後、二十年後・・・にいかなる苦しみに直面するのかについて、無視・抹殺し、子どもたちにいま直ちに必要な医療、避難、保養、支援を完全に切り捨てるものです。断じて許すことができません。

【資料第一編】

日本語で公表されていない東電の「福島原発事故放出セシウム量」見直し結果の発表(9月12日水曜日)

東電は、福島原発事故で放出されたセシウム量は、1948年8月6日広島原爆の4023倍だったと“見直し結果”を今頃になって報告した。

Fukushima nuclear cesium fallout equals 4,023 Hiroshima bombs

 東電は、福島原発事故で放出されたセシウム量が、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故の場合の4倍と報告している。

The estimate is also more than 4 times Chernobyl which is estimated to have released 85,000 tera becquerels of cesium radiation into atmosphere.<o:p></o:p>

 詳しくは、全部英文ですが、下記を参照してください。東電は、国内には日本語ではいっさい発表していないのです。

http://<wbr></wbr>www.exa<wbr></wbr>miner.c<wbr></wbr>om/arti<wbr></wbr>cle/fuk<wbr></wbr>ushima-<wbr></wbr>cesium-<wbr></wbr>equals-<wbr></wbr>4-023-h<wbr></wbr>iroshim<wbr></wbr>a-bombs

//////////////////////////////////////////  /////////////////////////////////////// /////////////////////////////////////

【資料第二編】

福島県・子どもの甲状腺検査結果と甲状腺癌報道

 下記の #原子力発電・原爆の子 からの記事全文転載をごらんください。

http://<wbr></wbr>besober<wbr></wbr>now-yui<wbr></wbr>ma.blog<wbr></wbr>spot.jp<wbr></wbr>/2012/0<wbr></wbr>9/blog-<wbr></wbr>post_12<wbr></wbr>.html 

 

  福島の子どもから甲状腺がん発症が確認されたことのついて調査を担当、検討した福島医大の副学長・山下俊一や鈴木真一教授が言っていることは何か?

「内部被ばくのあったチェルノブイリ事故でさえ甲状腺がんは発生まで最短で4年。本県では広島や長崎のような高い外部被ばくも起きていない。事故後1年半しか経過していない本県では、放射線の影響とは考えられない」(県民健康管理調査検討委員会の鈴木真一福島医大教授) 

「甲状腺がんの進行は遅く、現段階で原発事故の放射性ヨウ素を原因とする症状が出ることは考えられない。今回症状が確認された人は原発事故以前から発症していたはずだ」(福士政広・首都大学東京大学院放射線域長)

 ところが、この山下俊一は、チェルノブイリ事故と甲状腺がんの発症について。2000年2月29日には「被爆体験に踏まえたわが国の役割ー唯一の原子爆弾被災医科大学からの国際被曝者医療協力ー」と題して長崎大学教授として報告している中で、「ベラルーシ共和国ゴメリ州における小児甲状腺がん発症」の統計を載せている。そこでは、

 

1985年 1

 

1986年  1(4月26日チェルノブイリ原発事故)

 

1987年  4

 

1988年  3

 

1989年  5

 

1990年 15

 

1991年 47

 

 この12年前の2000年に山下自身が引いたベラルーシ・ゴメリのデーターそのものがいかに山下らが現在言いふらしているデマの罪深さ、デタラメさを説明不要で示しているとは思いませんか。福島の子どもたちでの甲状腺がんおよびその疑いの広がりはチェルノブイリのテンポより早いはるかに速い、それだけ被ばくは深刻だということ以外の何ものでもない。しかもチェルノブイリのデーターはソ連によるデ―タ―隠蔽・統制で原発事故直後はおさえられているという経過も故意に無視している。山下らは学者でも専門家でも何でもない。原発推進、放射能安全キャンペーンのためには何でもする、どんなウソでも平気でつく、山下は自分が依拠したデーターすら平然と反古にするデマゴーグです。そのデマの中身も目的も、子どもたちの命をなんとも思っていない点が核心です。こういった連中が「ヨウ素の配布はやめろ」「追加調査は行うな」「放射線の影響はないから、被曝治療はするな」「年間100ミリシーベルトでも健康に影響はない」と言っているのです。まさに「子ども殺し」「ふくしま殺し」「殺人」です。絶対に許せません。

 

 

 

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原子力規制委員会人事の強行に緊急抗議

2012年09月14日 | 原発再稼働反対・全原発廃炉

 野田政権は、19日にも原子力規制委員会設置法の例外規定「首相による任命」で田中俊一委員長はじめ5人の規制委員会人事をあくまで強行しようとしています。今夜14日の金曜日行動では渾身の怒りで「人事案撤回」「田中(俊一)をおろせ」「中村(佳代子)をおろせ」「更田(豊志)をおろせ」「大島(賢三)もおろせ」「全員(※)おろせ」「再稼働反対」「原発やめろ」「核燃やめろ」「さっさとやめろ」「大飯を止めろ」「いますぐやめろ」「子どもを守れ」「命をまもれ」「福島返せ」「ふるさと返せ」のコールが、繰り返し繰り返し中央合同庁舎4号館(7階に規制委員会準備室)に叩きつけられました。スピーチでは、「原子力ムラ」=規制委員会人事の違法と野田による国会同意なしの首相任命強行の違法に対する弾劾、「19日野田の任命強行許さず官邸前と全国で一斉抗議を」の訴えとともに、「野田政権の2030年代の脱原発依存」の嘘を批判、「大飯を止めない脱原発はいっさい信用できない」「再稼働をやめず、大飯を止めない規制委員会は即刻やめろ」「原発なくせ」「福島の子どもたちの疎開・避難の要求を無視・抹殺する野田政権許すな」と徹底的な闘いが呼びかけられました。

【※前掲「全員」とはこれまであまり「おろせ」の名前にのぼってこなかった「島崎邦彦」も真っ向から弾劾の対象とされました。島崎は、地震専門家でありながら政府や原子力安全保安院や電力資本が言い張る「安全に影響ない」「再稼働に影響ない」に一度も「ノー」と言ったことがない『隠れ原子力ムラ分子』だからです。】

                                    027

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『脱原発基本法』運動は絶対に容認できません

2012年09月12日 | 原発再稼働反対・全原発廃炉

今秋、フクシマと原発労働者の怒りと苦しみと思いをひとつに、首相官邸前・国会正門前ー霞ヶ関一帯100万人デモ、全国一斉行動、職場からの労働者のストライキで、原発・核と命おびやかすすべてに反対の声をあげ、フクシマと連帯して歴史を変える行動で再稼働絶対反対・全原発即時廃炉へ、ひたすら前に進もう!

 福島原発事故をナカッタコトにするのか、フクシマと連帯して闘うのか、私たちと子どもたちが明日生きるか殺されるかの闘いです。この記事の表題の『脱原発基本法』制定運動への批判は、この根本理由からあえて提起しています。

野田政権がめざしているのは「脱原発」などではまったくありません。政府がめざしているのは再稼働であり原発推進そのものです。このことをまず何よりもハッキリさせなければなりません。

 「最終的には脱原発依存のエネルギー政策の転換をめざすというのが政府方針」「原発ゼロをめざす」「2050年原発ゼロ、前倒し」「2020年~2025年脱原発、前倒しをめざす」と野田政権と民主党がさんざんにふりまきながら、そして財界中枢から「原発ゼロなど無責任な政策を打ち出すことはゆるされない」となじられながら絶対に譲ることなく強行突破をねらってきた、その核心は「原子力ムラ」人事=規制委員会設置・発足の強行にハッキリ示されています。
 

 政府財界は「脱原発」や「原発ゼロ」「段階的計画的廃炉」などハナから考えていません。「原子力ムラ」人事=原子力規制委員会発足こそ、誰を首班とする政権になろうとどんな政界再編がおきようと「この国は原子力(核・原発)立国で行く」「原発は何が起きようとも国の譲ることのできない国策だ」として、そのために「(8割~9割が反原発・脱原発という民意で)いま縛りがかかってしまっている原発再稼働」を解禁することに狙いがあります。それを可能とするために、①法律(原子力規制委員会設置法)を成立させ、②組織(「再稼働の安全性を一元的に判断する」規制委員会)をゴリゴリの再稼働推進・原発推進派で固めることを狙い、③実際にも名うての「原子力ムラ」の起用を何がなんでも強行してきたということです。

 これは、福島の人々、子どもたちのの怒りと苦しみ、「二度と福島原発事故をくりかえしてはならない」「原発を再稼働させることはフクシマをきりすて、見殺しにし、さらに私たちと子どもたちの命と未来を危険このうえない原発と放射能に委ねるものだ」という思いと危機感からやむにやまれぬ行動に立ち上がっている数十万数百万の労働者、老若男女の決起、その背景にある数千万人の人々の怒りと危機感を冒とくし、侮辱し、蹂躙し、圧殺するもの以外の何ものでもありません。福島の人々は「これは国による殺人だ」と怒りをこめ声を大にして訴えています。

 この「ノー モア フクシマ」・再稼働絶対反対の戦いのとどまることなき高揚と追い詰められた野田政権の再稼働への暴走の重大局面で、「安全性が原子力規制委員会で判断されれば再稼働」もあるというような中身を含んだ『脱原発基本法』制定を求める運動が影響力ある諸人士や法律家から社会的に提案されていることに対して、私たちは、それがどんな主観的意図で提案・賛同されたものであれ、とうていこれを容認するわけにはいきません。

 『脱原発基本法(要綱案)』を「容認できない」とする理由を、その「再稼働容認」の立場の批判にしぼって、結論的に述べます。

【1】 福島の人々、子どもたちの苦しみと怒り、日々命を削る被ばく労働を強いられている原発労働者の悔しさ・苦しみ・怒りとかけはなれたところで着想・考察・起案・提案されている「脱原発基本法案(要綱案)」

 これが提案されている「脱原発法」制定運動に対して、何をおいても強調しなければならない根本的疑義であり、心底から同運動の提案を容認できない第一の点です。

  福島原発事故であれだけの大惨事といまなお続く危険、放射能による被曝のおそるべき拡大がありながら、反対の声を踏みにじって大飯3・4号機の再稼働を強行し、原発の再稼働をあくまで行うという政府の動きは、天人ともに許さざる、フクシマを想えば誰にとっても信じられない許しがたい暴挙です。

  私たちは福島原発事故とその引き起こした大惨事、いまなお拡大する危険と福島の人々、子どもたちに襲いかかっている放射能を「なかったこと」「起きていないこと」であるかのように、なきものにしてしまうような政策や言説、提案には、それが政府によるものであろうと運動内部の一部からなされるものであろうと絶対に反対です。『脱原発法』制定運動の提案者は、「安全性が規制委員会で判断されれば再稼働」というような条項を考える前に、放射能に殺されるという命の危険にさらされ、日々未来を奪われている福島の人々と子どもたちや被曝労働を強いられている原発労働者の苦しみ、くやしさ、怒りについて、どうしてまっすぐ向き合い、思いを馳せること、思い直すことをしなかったのか、できなかったのか。なぜ、こういう提案ができるのか理解に苦しむとしか言いようがありません。

  「反原発」「脱原発」で重要な役割を果たしてきながら、なぜ、そんなことが口にできるのか。福島の人々と子どもたちや原発労働者を目の前にして、面と向かって「安全なら再稼働はしてもいい」などと果たして言えるのか。そもそも「原子力安全神話」を批判し「安全な原発などない」と主張しプロパガンダの先頭に立ってきた、政府の原発事故と放射能と再稼働をめぐるキャンペーンを「百%嘘とデマ」と批判してきたのではなかったのか。

  私たちは、どんな主観的意図や脈絡からなされたものであろうと、明確に再稼働を容認し、再稼働に道を開く『脱原発法』制定運動の提案を絶対に認めるわけにはいきません。今なお心から反原発・脱原発であり、福島の人々、子どもたち、原発労働者の命と未来に思いを馳せる心があるならば、提案や賛同は直ちに撤回すべきです。

【2】提案されている『脱原発基本法』制定運動は、3月29日の3百名から始まり、野田の再稼働会見、大飯3・4号機再稼働に対する抗議から、10万、20万、数万の抗議として燃えひろがっている首相官邸前、今では霞ヶ関・永田町一帯を埋め尽くして戦われている、とどまることを知らない再稼働反対・人事案反対の労働者、老若男女の怒りの決起に、混濁をもちこみ、戦いをねじまげる役割を担おうとするものです。

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写真はいずれも7・29国会包囲の20万人決起

 多くを語るまでもありませんが、霞ヶ関で毎週金曜日に取り組まれ、全国各地に拡大している大衆行動は、「再稼働反対」と「今すぐ廃炉」「子どもを守れ」「人事案撤回」のコールを軸に戦われている怒りの大衆行動です。そのコールに代表されるやむにやまれぬ思い、矢も盾もたまらず、居てもたってもいられず、自分がどうするかで子供たちと自分たちの未来が決まるという一刻を争う切迫感から、人々は決起し、その怒りが怒りを広げ、決意が決意を呼び、勇気が勇気を呼び起こして、日本の歴史でなかったような空前の政治闘争・社会運動が爆発しています。「あきらめない」「ひるまない」「後戻りしない」という決意がこの再稼働反対・原発即時廃炉・子どもを守れの戦いの中で気風としてしっかりと打ち立てられています。これは原発・核をなくし、命を脅かすすべてのものと対峙し、絶対反対で、すなわち私たち自身の大衆行動で歴史を変え、社会を変えるという運動となっています。福島の人々はその先頭で、苦難と対峙して生き抜き闘っています。

 だから8月22日の首都圏反原発連合の野田首相との面会でも、反原連は、野田政権に抗議し、①大飯原発3・4号機の即時停止、②再稼働を絶対しないこと、③全原発の即時廃炉とエネルギー政策の転換、④「原子力ムラ」人事案の白紙撤回を求め、これに対して、野田首相が「脱原発依存へのエネルギー政策をめざしている」と大嘘をついた上で、前記4点の抗議と要求をことごとく拒否し、今後は面会しないと言明したことに対しても、瞬時にその場で、▲再稼働をやめ廃炉を決めるまで首相官邸前抗議を徹底して拡大する、▲人事案撤回に抗議の全力をあげると会見し、大衆行動で再稼働阻止・全原発廃炉をめざすことを明らかにしています。そこにはブレもゆらぎも微塵だにありません。この開始した大衆行動には、福島の人々と子どもたち、原発労働者の命と未来、私たちと子どもたちの命と未来がかかっており、一歩も退くことはできない、たたかって政府を追い詰め、私たち自身の行動の力によってしか、命も未来も守れないという思いと決意と認識、実践感覚が根本から戦いとられているからです。

 だから「あきらめない」「ひるまない」「後戻りしない」はこの大衆行動、金曜日抗議では、大衆的あえて言えば「国民的」に確立された行動原理、政治原則になっています。ここに絶対にとどまるところを知らない、無限の大衆行動、その結束力と広がりの展望があります。だから「原発はとめられる」「私たちは変えられる」という確信が人々の思いに脈打っているのです。

 『脱原発基本法』制定運動の提案には、この無限の大衆行動の担い手となっている数十万数百万の決起、その背景にある数千万の人々の思い、怒り、そのやむにやまれぬ気持ち、つまり言葉の真の意味での民意が、政府を追い詰め原発再稼働攻防情勢を動かしているという根本認識がありません。感動的なまでの福島の不屈の闘い、大衆行動の高揚とその不退転性に対する信頼と積極的評価が、驚くほど、まったくといってよいほど欠落しています。

 恥ずべきことだと思いますが、政府が「いずれ反原発・脱原発も勢いを失う」「流行病のようなものだ」と思いたがり、財界が「反原発・脱原発は表層の民意」というのと同じ土俵の発想にたって、「この盛り上がりを固定化する」という趣旨のことを人々の意志と怒りやエネルギーに対する上から目線で言っている人さえ提案者の中にはいます。このかんの私たちの行動をまるで「烏合の衆」「付和雷同」のようにとらえていることに私たちは反対です。それは根本から間違いです。「再稼働反対」の一点での「ゆるいつながり」の中でも、人々は命懸けの怒りの表明、決意と勇気の行動に立って統一と団結と連帯を戦いとってきています。この結束力、一致団結、連帯は、既にして、こういってよければものすごい行動的な運動と行動的な組織、歴史を紐解けばあのパリコンミューンを想起させるような画期的な地平を戦いとりつつあります。だからますます拡大し、霞ヶ関・永田町を埋め尽くす百万人デモはそう遠くない日に実現するでしょう。この人々のやむぬやまれぬ「再稼働反対」「今すぐ廃炉」「子どもを守れ」の決起を根本から信頼しない、信頼できないからこそ、《「国会で」「法律で」脱原発を確定することが唯一の道筋》というような発想に陥ってしまうのではないでしょうか。

  提案者が忘れてしまい、見失ってしまっているのは、①3・11福島原発事故以来の政治休戦・自粛に率先して与してきたのが、国会はじめ議会であり、既成政党だったということであり、②今日の反原発・脱原発の大行動・大運動は、国会も地方議会も既存の政党もまったく声をあげようともしない中で、そこからではなくフクシマの叫び、それに応える青年と母親たち、老若男女を問わぬ懸命の決起から作り出されてきたということです。

  原発いらない福島の女たちの決起、4・10杉並高円寺の原発やめろデモ1万5千の決起をよく思い起こすことです。原発最多立地県・福井に狙いを定めた大飯原発再稼働に困難な中で福島に連帯し徹底抗戦でたちあがった福井の人々の3月から7月の戦いをよく思い起こすことです。連合はじめ御用組合が財界・政府の原発推進・再稼働のお先棒を担いで反原発・脱原発を掲げず、逆に敵対・抑圧してくる中で、組合、職場から沢山の労働者が組合旗を掲げ、職場から仲間と連れ立って、昨年9・19や今年3・11、7・16、7・29のように巨万の規模で立ち上がっていることに確信をもつことです。青年、老若男女、労働者は、自分たち自身、どうするのか、まず自ら声を上げ、つながりを求め、戦いを切り開くしかないというところから出発し、声を上げ、つながって戦っているからです。そして全国で各地で燃え広がったのです。

 そのフクシマを先頭とする自主的で歴史的な大衆行動が10万・20万の決起となり、百万人をめざす規模になってきたことで最も追い詰められているのが政府です。だから「再稼働に舵をきりながら、その強行のために、「原発ゼロ社会をめざす」とか「2020年~2025年脱原発」などと口先だけの「脱原発」政策を言い出した。燃え広がる大衆行動に追い詰められた結果です。もとより政府はそんなことはハナから考えていない。「あれ(2020年~2025年)は目標、決定ではない」と政府は公言しています。

 こうして政府が「2020年~2025年原発ゼロ」とか「2030年代原発ゼロ、前倒しをめざす」と言い出している、その前提に、『脱原発基本法』制定運動の提案の「2020年~2025年原発ゼロ」があるということに、提案者の人々は、自らが担わされようとしている役割というものを恥ずかしいことだと自覚しないのでしょうか。嘘と政府強権による再稼働強行への総力体制に「原子力ムラ」人事案強行でシフトしている政府が「2020年~2025年原発ゼロ」など本気で考えているはずなく、人をたぶらかし、反原発・脱原発の戦いを混乱させ分断して再稼働を強行するためにだけ言っている真っ赤な嘘にほかなりません。この大嘘に「説得力」をもたせるために、あるいはこの大嘘に「有効性」をもたせるために、『脱原発基本法』制定運動の提案と議論は政府に使われ、政府を利するものになっているということです。

 考えてもみてください。もともと原発そのものが、危険そのものであり、人類が絶対に共存し得ないものであるうえ、福島原発事故で完全に明らかになったように、地震の巣の上にあるのが54基の原発です。先日、南海トラフの大地震で津波による32万人の犠牲者が出ると発表されていますが、地震と原発の問題はそこではいっさい触れられてもいません。経済で言えば南海トラフでの地震発生は日本壊滅をもたらすと言われていますが、原発は浜岡はじめ各原発が3・11福島原発事故ないしそれ以上の破局的な苛酷事故と爆発となるのです。提案は、この緊迫した危険とその爆発に向き合って、原発の存否や再稼働の是非に関する態度を明らかにしていません。

 そして、『脱原発基本法』要綱案には沢山の看過できない問題がありますが、やはり最大の問題は再稼働の容認です。2020年までは南海トラフ大地震や3・11東日本大地震クラスの自身が起きないなどということは誰も保証できません。いや、3・11以来、反原発・脱原発が一刻を争う、明日生きられるかどうかの問題となったのは、福島の人々と子どもたちの強いられている惨状の問題とともに、このいつどこでフクシマが起きるかわからないというリアルな危機感の問題があります。それを最大限回避するためには、すべての原発を止め、すべての原発を廃炉にするしかない、それはいますぐでも決めるべきだ、再稼働などもってのほかだ、これがみんなが思っていること、すなわち民意にほかなりません。

 多くの人々が『脱原発基本法』をみて根本的な疑義と本能的で直感的な違和感を覚えたのは、法律を言うなら、なぜ「即時廃炉」「今すぐ廃炉」を決める法案ではないのか、という点ではないでしょうか。ところが、『脱原発基本法』提案は「2020年~2025年脱原発」「安全性が規制委員会で判断されれば再稼働」と言っているのです。しかも、原子力規制委員会が、これまで同様の「原子力ムラ」人事であり、「活断層が直下にあっても影響ない」などと平然と「安全性」評価をする原子力安全・保安院とまるきり同じ「再稼働推進委員会」となるというのに、何の躊躇もひっかかりもなくこのように提案が言っているということです。断じて容認できません。

 今回の原子力規制委員会発足の閣議決定と「原子力ムラ」人事を目の前にして、なお『脱原発基本法』提案者や賛同者の人々が、この「安全性判断による再稼働」や「2020年~2025年脱原発」、「脱原発基本法」制定運動の提案を撤回しないとすれば、それは提案者が政府の回し者になるも同然の反原発・脱原発からの転落といわねばなりません。

【3】他にも、『脱原発基本法』要綱案やネット上のQ&Aでは、法案の目的に「経済の安定確保」とか「電力の安定的提供」といった、野田首相が「再稼働会見」に際して言ったことや、政府や東電が言っていることと同じことが随所に出てきます。

 私たちは、「経済の安定確保」とか「電力の安定的提供」などという政府財界の利害・立場・考え方が、今般の『脱原発基本法』制定運動の提案者・賛同者の人々がもともと持っていた考えや気持ちであるなどとは考えていないし、考えたくもありません。

   だが、「電力は足りている。電力需給逼迫は再稼働強行のためのデマ、脅し」「いのちが大事だ、命と経済を秤にかけることはおかしい。経済より命だ」と政府を批判してきた人々が、ためにする「二項対立では脱原発のエネルギー政策は実現しない」という政府の口車に乗り、何のために、こともあろうに政府や財界や東電が言っている「経済の安定確保」「電力の安定的提供」という表現を『基本法』の条項にもちこむまで、ここまで政府に擦り寄ろうとするのでしょうか。鏡を見てください。政府が言っていることと、『脱原発基本法』制定運動の提案者が言っていることは同じです。

 【4】結びとして・・・・これは福島、私たちと子どもたちの命と未来が懸かった、《原発・核・放射能との戦争》、生きるための《政府との戦争》です。「脱原発」の名で、「脱原発基本法」制定運動で敵に塩(再稼働の容認)を送ることは絶対に認められません。直ちに提案と賛同は撤回されねばなりません。

 私たちは、なぜ「大飯原発3・4号機をいますぐ停止せよ」が首相官邸前抗議のメインタイトルであり続けていると考えるべきでしょうか。なぜ「大飯を止めろ」でなくてはならないのか。これは大切な重要な問題です。原発は1基たりとも動かしてはならない、それは福島原発事故をナカッタコトにし、福島をきりすてることだからです。原発を稼働させることは絶対に認められないからです。3・11福島原発事故の教訓、それは原発はなくさなくてはならない、一刻も早くゼロにし、全部廃炉しなくては再びフクシマは繰り返すからです。

 「再稼働反対」も同じです。1基たりとも動かしてはならない、再稼働などもってのほかだということです。

 「命が大事」「今すぐ全部廃炉」「子どもを守れ」「ノー モア フクシマ」ーこれは、福島の人々をはじめとする3・11フクシマを目の当たりにした民意であり、人々の叫びです。昨年のさようなら原発9・19明治公園6万人大集会、今年原発いらない3・11福島県民大集会、さようなら原発7・16代々木公園17万人大集会、6・29首相官邸前20万人抗議をはじめとする10万、数万の毎週金曜日行動、7・29国会包囲20万人決起での誓いであり、私たちが心を一つにした約束事です。

 60代の男性がこのかん金曜日行動で「戦のほら貝」を吹き続けています。その方は「これは政府との負けることができない戦争」「孫、子のための戦だ」と言っています。その通りです。

 原発・核・放射能との戦争とは、「命よりカネ、命より安全保障」を国策とすう政府という敵との、私たちと子どもたちの生き抜くための戦争です。この戦いで、『脱原発基本法』制定運動は敵に「規制委員会の安全性の判断による再稼働」という塩を送るものです。

 私たちの武器は「あきらめないこと」「ひるまないこと」「後戻りしないこと」であり、継続して、原発・核をなくすまで「数の力」、つながり・団結の力を拡大して戦い抜くことです職場・組合、地域、学園、家庭から無限の決起を作り出すことです。この秋、金曜日行動を軸に霞ヶ関・永田町を埋め尽くす百万人デモ、全国一斉行動、職場からの労働者のストライキで大飯3・4号機停止、再稼働阻止、全原発即時廃炉の大行動を爆発させ、野田政権を引きずり倒しましょう。

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資料:チェルノブイリ事故結果から福島の子どもたちの甲状腺障害等を考察(松崎道幸博士意見書)

2012年09月05日 | 日記(メモ・覚書・資料・所感その他・・・

 深川市立病院内科・医学博士、松崎道幸さんの今年5月19日の意見書を転載で紹介します。

下記でごらんください。

http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/kou131Matsuzaki-opinion.pdf

 

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