東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

八幡堀 近江商人

2021-10-27 | 淡路・神戸・明石・京都



学生時代には神戸のJR灘駅から京都に通学していたことがある
灘から芦屋まで普通電車で行き、快速か新快速に乗り換える
その時の電車の行き先は京都、草津、安土、米原などだったと思う
近江八幡はあまり記憶にない

後年、会社に入り、I君という若い人が近くに配属された
彼は優秀で京大の航空から大学院は東大の宇宙科学研究所に行った
初対面のとき彼は「八幡の出身です」と言った
ボクは「八幡はどこ?」と聞いた
「近江八幡ですよ」
快速電車の行き先の駅しか知らないボクは
「草津? 安土? 米原?」
などと間抜けで失礼な会話をしたことを思い出した
近江八幡は近江の中心なのだ

近江八幡に来たのは生まれて初めてだ
横浜と神戸の間は新幹線や車で何度往復したか数知れないというのに!

今回、近江八幡に来たのはカミさんのリクエストだ
近江商人のふるさとを見たいとのことで

信長の安土城建設の一大プロジェクトがあり
人も金も膨大な市場ができた
それに楽市楽座で益々繁栄する
安土城炎上のあとは豊臣秀次の八幡城だ
楽市楽座は継続した
地元の近江商人が黙っているはずがない
その膨大な利益をもとに堺や全国へ
「黄金の日々」ではルソンまで行った話がある

琵琶湖は水運が盛んだった
水運が商売の雌雄を決する
大量輸送には船が最も効果的だ

水運や海運業は昭和の高度成長期まで続いた
祖父と父は生船(なません)乗りをやめた
生船は水産運搬業だ
2人で船を買った
鉄鋼製品の海運業を始めた
自分が大学に行けたのは海運業のおかげだ
祖父と両親に感謝、多謝!







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