東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

糸巻きの聖母

2016-02-18 | Weblog
レオナルドダビンチの糸巻きの聖母が公開されている。江戸東京博物館です。

レオナルドダビンチは才能に溢れていて、絵画のみならず、建築、軍事学、飛行機、生物に至るまで、何にでも興味を示した天才なのだと改めて思い到りました。特に鳥の飛行メカニズムの観察と評価は恐れ入谷の鬼子母神。

さて、本題の糸巻きの聖母の原画は意外とコンパクトだった。しかし、その中に描き込められたあの聖母の慈愛に満ちた眼差しと、生命のはかなさを遠望した寂しさは何という美しさなのでしょう!
イエスキリストが生まれたときから、聖母マリアは、わが子イエスが糸巻きに象徴される十字架を背負う運命を予感していたことが、聖母の表情にそこはかとなく浮かんでいる。

東日本大震災から今年で5年になる。津波で多くの人々が亡くなり、また原子力の事故があり、これらは我々の痛恨の極みだ。しかし、我々の罪と懺悔を救う糸巻きの聖母マリアのあの優しい微笑みから、モナリザの微笑みに至るあの慈愛が我々を救うだろう。

哀しみを乗り越えて次の時代に向かおう!












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山形最上藩はなぜ分断されたか?

2016-02-09 | Weblog
山形は何度も通過したことがある。車では県内各地に行った。ただし山形駅で降りたのは初めてだ。霞城跡は公園になっていて、現在は石垣と堀の一部がある。

最上義光は傑出した人物で伊達政宗と戦ったこともある。最上義光といえば豊臣秀次に連座して愛娘を処刑された悲話が有名だ。関ヶ原では徳川方に付き57万石の大名になった。

義光の死後、10年も経たないうちに改易され、山形は幕府領となり、最終的には5万石まで分断され、縮小した。

一方、仙台の伊達藩は62万石で分断を免れた。地理的にも歴史的にも理由があって現在の山形と仙台の都市の基盤になっているのだろう。

最上藩が改易されたのはもちろんお家騒動あってのことだが、個人的な感想だが、幕府にとっては山形と仙台が隣接して2つの大きな大名が存在することを良しとしなかったのかも知れない。


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